はるかな川小説大賞の個人的反省、言い訳、居直り

 とりあえず、前提として『』ていで話を進めます。

 よろしいですか?

 では。




 さて、拙作についてのはるかな川小説大賞での評価がわかったところで、拙作の意図について少し。

 まず、『絶望と輪廻』で場面がクルクル変わって焦点がボヤけるというのは、僕の意図通りに読まれているというのは書いておきたいと思います。

 ようするに、単線で一本道を進んでも、ただの一本調子になるし書いてる側も飽きる(これは僕の性格の問題。この文章読めばわかるように、500文字くらい書くと飽きる)ので、ひたすら蛇行し、転調し続けることで、ふわりふわりと、夢と誠の境界線をあやふやにしてみようとしたわけです。アンビエントっぽいのに、ギターの転調によって話が展開していく感じ。まあ、僕は好きだけど、そんな人そうそういません。好き嫌いはどうしようもない。

 『ガールフレンドエクスペリメント』においては、コマンドーのカルロが、北斗の拳の3ページ生きてればよいモヒカンをやっつけるというような、ケチで地味なつまんない話をリズムにして、無駄な情報をメロディにして話を回す感じ。ここで重要なのは、『話全体はどんな話でも良い』ということです。別に謎の組織のエージェントの話じゃなくても、学校の何でも屋とか、上条さんみたいな不幸()の詰め合わせみたいなのでも構わない。いかに『無駄な情報』を入れるかが大事なのです。極端なことを言えば、作品に関わる細かい詳細は雑で安くて良いわけです。例えば、作中で『AS』なるロボットの件がありますが、あれはスペックとかは考えとらず(多分ロボット三等兵とか先行者とかブリキのオモチャみたいなの)、『ヘビィーオブジェクトみたいな生身でロボット倒し芸』なだけで、熊でもライオンでもかまわないけど、どうでもいい蘊蓄を書くために、ああいう描写になったわけです。

問題は、講評者様方のおっしゃる通り、それが全く効果的ではないということです。はっきり言ってしまえば失敗している。それは僕の文章のへたくそさ(エルロイや浅井ラボさんあたりのでき損ない)に原因があって、どのくらい酷いかというと、『絶望と輪廻』冒頭の描写は戦争ではなく所謂『ベルリンの壁』にインスパイアされた挿話(さらに間接的に浦沢直樹のモンスターに影響を受けて。直近で見たり読んだりしたものにすぐ被れるやつだ)なのですが、ヒロマルさんは『戦争描写』と読まれてました。理由は僕のへたくそな文章で、そう読めてしまうということが原因なのでしょう。つまるところ、その流れにあった文体が書けるかどうかが、僕の課題になるように思いました。

 さて、さっきから文章や文体の話で中身の反省してないなという気もしますが、それというのも、まず『ひたすら転調』『無駄な情報によるノイズ』が書きたくてそれにあわせた中身を書いているという、僕の書き方がそもそもオカシイのかもしれません。『手段のためなら目的は問わない』というやつですね。最終的に機械デウス仕掛エクスけのマキナを出しておしまいという。まあそこは、おのおの書き方があるということで。

 『絶望と輪廻は、官能小説のつもりなのに、さういう描写が書けなかったお上品ぶり』や『ケチなエージェント話が目立ちすぎて、誰もメインである無駄な情報を読んでくれてない』や『自分で書いててどれがどのキャラで、どのキャラが喋ってるかさっぱりわからない』という問題もありますが、結局『それにあった文体を作れば良い』という結論オチでそれも解決でしょう。

 お後が宜しいようで。

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