第7話 これは君のおかげかな?

「朝…か。」


 その日の朝の目覚めは不思議と世界が鮮明クリアに見えた、今までは気付かなかったけれど、薄ぼんやりとしたフィルターを通して見ていた世界を肉眼でしっかりと捉える事が出来ているような感じだ。


 確かクオリアと言うんだったか、世界の感じ方が数段上に上がったような感覚というか、昨日までは食べていた焼き菓子を(甘い焼き菓子)として認識してそれを当たり前だと感じていたけれど、今は(何処其処どこそこ何々なになにという名前の甘く風味豊かな焼き菓子)として認識しているような何とも表現しがたい不思議な感覚だ。


 恐らくだが、心の中に少しずつ溜まっていたおりのような物が涙と共に流れていったのではないかと思う、おやすみを言ったのも五年ぶりであれば涙を流したのも五年ぶりであった。


 今思えば親父の死は悲しくなかったわけではなく、母の死から間隔が短すぎて心が負担を処理しきれずに感情の整理が後回しになっていただけなのだ、そして感情が動かないことに理由付けをするために親父の悪いところだけを思い出していただけなのだろう。


 小さい頃、親父は家族で出掛ける時間を大事にしていた、毎週の休みには結構な頻度で親父の運転する車で出掛けていた、子供だったから親の買い物に付き合わされる退屈な時間と感じていたが、親父なりに家族の時間を大事にしていたのだろう、親父の趣味の釣りに付き合うと子供のように目を輝かせて喜んでいたのを覚えている。


 自分の感性と家族の感性の微妙な齟齬そご、家族を養わなければいけないプレッシャー、職場でのストレスをプライドが邪魔して家族に相談できないこと、様々な要因があり親父は酒に逃げてしまったのだ、他に逃げ道を知らない親父は酒に逃げることで家族との距離が更に遠くなり、また酒に逃げるという悪循環におちいってしまったのだろう。


 今更ではあるが、父親の酒に付き合って愚痴を聞いてやれば良かったのではないか、釣りに付き合ってもっと親父と時間を共有した方が良かったのではないか、ただ一言「いつもありがとう。」と言えれば良かったのではないか。


 母には当然のようにやっていたのに、親父には全くと言って良いほどやってこなかった事があまりにも多かった。


 父親ちちおやなのだからやって当然といった態度で、やってくれていることに感謝も示さなければ不満だけは一人前に口に出す。


「確かに、そんなの酒でも飲まなきゃやってられないのかもなぁ。」


 親父がああなったのは親父の自制心が足りなかったからと言うのは簡単だが、自分もその一端を担っていたのだと考えればすとんと腑に落ちる、暴力を振るえば嫌われるのが分かっていても止められなかったのはと思い込んでいたからなのだろう、ただただ不器用だっただけなのだ。

 

「今度墓参りに行ったら親父に謝らないとな、今更遅いかもしれないけど俺の方こそごめんって、言葉にしなきゃ伝わらないのに言葉にするのがなんだか恥ずかしくて苦手で、伝えるべき事すら言えてなかったって。」

「ピー…ピー…ピー…」(恐らく寝ているのだろう)

「今まで考えられなかった事をしっかりと考えられている、これは君のおかげかな?」

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