天界の日輪

 天使達にとっての太陽が沈んだ。

 そのことを認識できる天使は、上級の天使達だけであるし、さらにそれに関して何かしら思うことができるのは、最上級の熾天使クラスだけである。

 天界に悲しみの色はなく、かといって喜びの色もない。

 まるで平静を装うが如く、天界は普段通りに稼働している。

 戦争十日目の朝日が昇る頃、熾天使してんし魔天使まてんしの亡骸を天界の霊安室に収めるべく、天界に戻っていた。

 天使の亡骸は、地上の魔術師にとっては魔術に使えるとても貴重な素材。それを媒介にすれば、禁忌とされている大魔術すらノーリスクで、一発限りならば発動も可能だ。

 さらに魔天使ら最高位天使の亡骸となれば、地上の魔術に与える影響はとても大きい。

 異界の大陸といえどそれを考慮しなければならず、天界は地上を統べる存在であるという義務の元、熾天使もまた、面白くもないとは思いつつその義務を果たさなければいけなかった。

 魔天使は炎の熾天使。その体は冷たくなることはなく、故に死後硬直も発生しない。

 魂が死んでも、まだ体は生きているのだ。天使の肉体の生命力とエネルギーは、全生物の中でも群を抜いている、その証拠と言えるだろう。

 さらに魔天使の体は、魔天使自身の制御を失ったことで暴走した魔力が、魔天使の体を燃やしていた。しかし炎の熾天使である魔天使の体は燃えて尽きることはないために、無限に燃え続けている状態である。

 故に他の死体に燃え移らないよう、魔天使専用の霊安室が作られた。

 耐熱素材はもちろんのこと、耐熱耐衝撃の防護結界を張り、完全に密閉された状態である。

 輝ける炎に身を包まれる魔天使。もう魂はないというのに美しく燃える姿を見て、やはり天使は天使かと、堕天使である魔天使を侮辱し切れなかった。

 地上の生物すべてを俗物アリと一蹴する彼女だが、天界の天使に対してはそれなりの敬意を払っている。

 天上の天使こそが世界の穢れを浄化する存在であり、地上こそが穢れを生む存在である。

 天界を造り上げた創造主――いわば神と呼ばれるべき存在が、かつてそう語り、現代まで受け継がれている。

 熾天使も無論その言葉を知っているが、しかし彼女は知ったからそうあろうとしたわけではなく、付いた物心そのものがそうあっただけのことである。彼女は生まれつき、神の言葉を体現した存在だった。

「地上の毒など受け付けない天使が、地上の病に蝕まれるとは……」

 魔天使の体に棲みつく病が、表層に斑点となって現れているのを見て、熾天使は呟く。

 それが、地上では不治の病とすらされている難しい病であることまでは、熾天使は知らない。知らないが故に、地上の毒ですら受け付けない天使ですら受け付ける恐ろしい病なのだということを知らず、今の言葉が出た。

 だが感覚では感じ取っていた。この病によって体が弱っていなければ、翔弓子しょうきゅうしに勝ち目などなかったのだと。

 だがそれはわかりきっていたことだ。

 天界の四人の頂点は、時間を操作する魔術を使う彼女の才能が成長することを加味して送り出したが、魔天使を甘く見過ぎていた。戦闘能力の低下を計算していたようだが、他の参加者と戦ってもまるで後れを取らないレベルだった。

 真正面からやっていれば、翔弓子は確実に負けていた。

 今回のこの勝利は、奇跡と呼べる代物が立て続きに続いたからこそ起こった結果だった。

「だとしても、褒美は与えなければな……」

 勝者には栄光と褒賞を。

 例えその勝利が偶然の産物だとしても、勝者は欲望のままに権利を行使し、欲しいものを欲しいままに手にするべきである。

 それが熾天使の考え方だった。

 故に翔弓子に何か褒賞をと思って、一番目イナ・ディフテロ二番目ディフテロリプト三番目トリトスに頼みたくもないのに頼もうとしたのだが――

「今は忙しい! 後にしろ!」

 の一辺倒だった。

 ムカついたので全員の首を刎ねてやろうかとも思ったが、それだと後々面倒なことになるし四番目テタルトスにも怒られるなぁと思った熾天使。

 だがその四番目テタルトスも召喚士同様に行方不明だというから、熾天使の機嫌はこの上なく悪い。

 病弱な彼女がそう出歩くことはない。となると何かあったのは間違いないのだが、その何かは見当もつかない。そもそもそういう考えるのは、召喚士の領分だ。

 まぁもう一人、いないこともないのだが――

「あいつに頼るなど……」

 嫌いではない。嫌いではないのだ。

 だが大の苦手だ。

 熾天使、召喚士に次ぐ三体目の例外ミ・ティピキィ

 確かに頼りにはなるのだが、あれは例外の中でも特に例外の力を持った例外ミ・ティピキィ

 熾天使よりも弱く、召喚士よりも賢くはない。

 だがただ単に、なんでも知っているというだけの天使。翼の代わりに、その厖大な知識を求めた変わり者。

 その代わりにその考えを実行できるだけの能力を、まるで持たなかった。

 ただの知識だけで、三体の例外ミ・ティピキィの一体に入った翼を持たない天使。

 故に性格が合わない。

 あれは自分以外のすべてを、一つ下に見ている。だから苦手なのだ。

 本当は強い癖をして、弱くあろうとするから。

「翔弓子」

『はい』

 燃え盛る魔天使の亡骸を見つめながら、熾天使は背後の天使が持つ連絡機器に向かって話す。

 連絡先にいるのは、未だ大陸にいる翔弓子。

 戦争ゲーム参加者は戦争ゲーム中に開催場所から離れてはいけないというルールのもと、例えその上空にある天界と言えど異国は異国ということで、魔天使を収めるその場には行けなかった。

 熾天使にはわからないが、天使の頂点たる存在との対話ということで、翔弓子はその場で片膝をついて首を垂れている。

 自身の方が目下だという忠誠と服従の姿勢だが、これは基本その意味すら理解していない下級天使達の姿勢である。翔弓子がその姿勢をしてしまったのは、過去にしていたその経験を体が覚えていて、無意識化でやってしまったという経緯があった。

 ともあれ、その場には翔弓子以外の誰もいない。熾天使も見ていないため、咎められることもない。

「おまえはこの戦争における最重要項目を成し遂げた。幾数の奇跡が重なっていたとしても、成果は成果だ。評価されるべきだろう。故に私自ら、おまえに褒賞を与えることにした」

『は……お心遣い感謝致します』

「私とて、全能ではない。しかし天界でもそれなりの地位を持つ者として、望むものはできる限り与えてやるつもりだ。さて、何が欲しい?」

 翔弓子が、押し黙る。しかし熾天使は咎めない。

 天使は元々無欲な存在。褒賞を与えようと言っても、お気持ちだけで充分ですという連中だ。脳に感情の抑制が掛かっているのだから、物欲などあるはずもない。

 だが今の翔弓子は、その脳の抑制が完全に外れている。故に何か求めるような度量もあるかと、熾天使は興味本位で試したのだが――

 ――結果は予想を超えなかった。翔弓子は何も望まず、何も言いだす気配がない。

「いい、わかった。おまえにはとりあえず智天使ケルビムの称号を与えることが決まっている。これを今回の褒賞として――」

『無礼を承知で申し上げますならば、一つ、所望したいものがございます』

 突然だった。

 まるで計ったかのようなタイミング。

 翔弓子には、欲しいものがあるという。天使にしては珍しい。

 熾天使は、彼女が何を求めるのかに興味があった。天使からの頼まれごとなど仕事上の何かでしかなく、褒賞を求められたのは初めてだった。

 これを聞けば、一番目イナ・ディフテロらがどう驚くのか楽しみですらある。

 熾天使はずっと背を向けていた通信機器に向き直り、そこに翔弓子がいるかのように見下ろして、悠々と問いかける。

「いいだろう……何が、欲しい?」

 物か。

 時間か。

 それとも勝利か。

 第九次はすでに役目を終えた。もう誰が勝とうが関係はない。

 だが強いて言うならば、滅悪種めつあくしゅに勝ち残られては困る。あれは世界にとって猛毒であり災害。できることならここで浄化しておきたい穢れ。

 ここで消しておいて損はない。

 故に翔弓子が勝利を求めるのならば、協力を惜しむつもりは熾天使にはなかった。

「言ってみよ」

『……かつて魔天使が煉獄と呼ばれる所以となった礼装を、私に譲ってはくれませんか』

 求めたのは物――いや、勝利か。

「魔天使を殺したおまえが、奴の礼装でもって勝利するということか」

『魔天使にとって、これ以上ない皮肉でございましょう。自らの力及ばず敗退したというのに、その力が勝利への道となるのですから』

 熾天使はほくそ笑んだ。

 翔弓子が魔天使を殺した現場に行ったとき、翔弓子は魔天使に馬乗りになった状態だった。だが魔天使の体のどこを見ても、致命傷となりうる傷は存在しなかった。

 故にまだ殺していないのかとすら思ったが、息をしていない、心音も感じない。死んでいると理解したと同時に、その死因も理解していた。

 魔天使は病で死んだのだ。

 おそらく翔弓子がとどめを刺すよりも早く、死んでしまったのだろう。

 そしてそれに気付いた彼女は役目を終えて、突然のことで電源が切れたが如く動けなくなったのだろうと思った。

 翔弓子が自らの手でとどめを刺していなかったのは不甲斐ないが、しかしこの場合重要なのは魔天使が死んでいるかどうか。死因など、二の次三の次の問題――いや、問題ですらない。

 だがもしも、もしも翔弓子が魔天使を憐れんだか同情して手が出せなかったというのなら、それは堕天使を許すという罪。そんな罪状は存在しないが、だが罪人を許して手心を加えるなど、穢れを浄化する使命を帯びた天使に、あってはならないこと。

 いわば、天使の誇りを穢したのではないか。

 熾天使の懸念はそこだった。その場合、翔弓子を許すことはできない。

 聖剣でも魔剣でも、どちらでもその首を刎ねてやろうと思っていた。

 だが今、その懸念は振り払った。罪人の力を利用してすら勝つ。まだいる穢れ、滅悪種と首なしの裁定者の駆逐を、翔弓子は行うつもりなのだ。

 自分の力だけでは足りないと、かつて英雄とされていた堕天使の力を使ってまで。

 その姿こそ、穢れを浄化するべく戦う天使の姿。天使にとってあるべき姿。

 故に熾天使はほくそ笑んだ。

 この天使はまだ、戦争を続けるつもりだと。この戦いに集った穢れを祓うまで、まだ――

 その決心が心地よかった。最高に。

「よかろう……だが魔天使の礼装と言えば灼熱の聖剣と日輪の弓。おまえの礼装は弓だったな……ならば――」

『はい。日輪の弓、六光環ティファレトを所望します。使い方も伝え聞いておりますので」

 魔天使から聞き出したか……準備のいい。

「いいぞ? ならば使いこなして見せよ」

『は!』

 数分後、熾天使から光を伝って魔天使の弓が送られた。

 真っ赤な胴体に輝ける金の弦。燃え盛る太陽の日輪が如くその姿は、火の天使最強の存在が持つに相応しい代物だった。

 魔天使の弓、六光環ティファレトを握り締めて、翔弓子は飛ぶ。

 向かうは断罪の対象、首なしの裁定者と滅悪種の元へと。

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