時は金なり《エクステンド・リミッター》

 熾天使してんしは感じ取っていた。

 自分の向かうずっと遠方で、二体の天使が戦っているのを。

 魔天使まてんし翔弓子しょうきゅうし。随分と長引いてしまったが、そろそろ決着か。

 天界の占術によると、翔弓子が魔天使を倒せるという結果が出ている。だからこそ天界は彼女を送り込んだわけだが、実力だけを見れば彼女に勝機などありはしない。

 確かに時間を操る大魔術を会得している彼女は、天使として素晴らしい逸材だ。間違いなく将来は最高位の熾天使階級を約束されただろう。

 だが彼女は脳の抑制を外すのが早すぎた。完全ではないにしろ、感情によってガタガタになるまで外さない方がまだよかったのだ。その結果、魔天使に抑制を術式ごと破壊されるという大事にまで至った。完全に天界の失態だ。

 だが地上最強の魔術師、骸皇帝がいこうてい。あれの参戦によって、魔天使が酷く弱ってくれた。千年生き続けた地上の老害も、最後の最後で使い道があったようだ。

 殺されては生き返り、相手に多大な傷を残した彼の執拗なまでのしぶとさは、魔天使に致命傷を与えて病気を促進させ、弱らせてくれた。

 まぁその結果私と相対するに値しない存在となったがな……と熾天使は嘆かざるを得ないが、しかし地上にとっての害を取り除けたのだから、次は天界の害を取り除かなければならない。

 第八次玉座いす取り戦争ゲームにおいて銃天使じゅうてんしを屠ったのだ。この戦いで確実に、二つの玉を押さえる。

 魔天使殺人計画たるこの戦争で、魔天使だけは確実に屠らなければならない。それさえできれば、あとはエタリアの純騎士じゅんきしだろうとヴォイの骸皇帝だろうとリブリラの永書記えいしょきだろうとベルサスの異修羅いしゅらだろうと多重人格の重複者じゅうふくしゃだろうと翔弓子だろうと孤児院の龍道院りゅうどういんだろうと、はたまた深淵の滅悪種めつあくしゅだろうと――

 最後に魔天使が死んでいれば、あとは脳内操作でどうとでもなる。骸皇帝や異修羅、滅悪種ならば即座に殺して第九次玉座取り戦争自体を無きものとして扱ったが。そうでなければなんでもいい。もっとも一人殺してしまったが。

 龍道院が自らと戦ったあとに滅悪種と邂逅し、自らの意思を貫いて自害したのを、熾天使は知らない。彼女は戦ったあとの敵に関しての興味関心が著しく低く、皆無と言っていいくらいだったために、魔力感知も行わずに放置していた。

 過去にそれが要因で後ろから刺されかけた経験もあるのだが、そのときも羽虫のごとく散らしたので、記憶に残っていなかった。

 まぁいい、このままいけば八時間後には着くだろう……と熾天使の目測。ただし彼女が最速でその距離を縮めれば、一時間もかからない。だが彼女は特別この戦いを急いでいるわけでもなかった。結果的に、魔天使を殺せればいいのだから。

 それに八時間かけた結果、翔弓子が魔天使を倒せば上々といえるだろう。それさえ済めば、熾天使も天界に戻ることができる。

 彼女にとって一瞬であろうとも地上の俗物アリと同じ空気を吸うことは我慢ならないことであり、これ以上ない屈辱。第八次にも参戦した彼女だが、そのときも速攻で終わらせに来た。さっさと玉座を取らなければ、終わらないからだ。

 その結果、彼女は白雪姫しらゆきひめという地上の俗物アリで唯一の友を得た。勝利を譲ることになったが、しかしそれで構わなかった。好戦的ではあるものの、戦いの過程に愉悦を感じるタイプではない。相手を完全に殲滅し、洗浄し終えた戦場を見るのが爽快的なのであって、戦い自体に愉悦を感じることはなかったのである。

「八時間……猶予としては寛大だぞ、翔弓子」

 熾天使がゆっくりと八時間飛行すると辿り着くその先、魔天使と翔弓子の戦いは、魔天使の弱体化を感じさせない凄まじさと迫力を兼ね備え、激化し続けていた。

 空中から叩きつけられた翔弓子。そこに炎をまとった拳を握り締め、殴りかかって来る魔天使の攻撃を身を転げて躱し、即座に飛び上がってボーガンで威圧射撃する。

 舞い上がった粉塵を片腕で薙ぎ、魔天使は視界を広げる。だがその先に飛び上がったはずの翔弓子の姿はない。

「“暴発エクリクスィ”」

 気付かれぬよう、翔弓子は言の葉を呟く。

 魔天使の背に向けて時間差で打ち込んでいた矢が膨張、爆発し、その爆炎で魔天使を包む。が、その炎を糧に魔天使は巨大な炎を燃やし、翔弓子へと走る火柱を上げる。

 空を仰ぐ形でギリギリ回避した翔弓子は上空へと矢を連射し、そのまま身を翻して地上にいるはずの魔天使へとボーガンを向けるが、すでにそこに魔天使はいない。即座に気配のする左方に視線を向けたが、魔天使の拳が回避し切れなかった翔弓子の頬をわずかばかりに焼いた。

 即座に距離を取り、無意味な威嚇連射。魔天使はすべての矢を叩き落とし、迫ってくる。が、翔弓子は計算の上だった。

 空中戦をする翔弓子を殴るため、絶えず跳躍をする魔天使。そのために必ず地面に足がつくタイミングがあり、翔弓子が狙ったのはそこだった。魔天使の足の裏が地面に着地するかしないかというところで、翔弓子は魔術起動の印を結ぶ。

 時間差で打ち込んでいた矢は陽動。爆発を目眩ましにして地面に撃っていた数本の矢が、魔力を伸ばして陣形を組む。そしてその中央に魔天使を捕らえると、一斉に電流と化して魔天使の動きを一時的に麻痺させる。そしてその隙に、大技を叩き込む。

「“回避不可能アナッポ・フィクストス”」

 彼女最強の一撃が、魔天使へと飛ぶ。

 激しい怒号を轟かせて光の柱を衝撃として立てたが、すぐさまその柱は中心から燃え始め、次には完全な火柱となって渦巻く。その中央の魔天使は右手の五指すべてに力を込めて、自身を囲う火柱に爪を立てるようにして、放った。

「“天界龍輪爪オ・ドラコス・アネベイニ”!!!」

 魔天使の繰り出した手が火柱を巻き込んで、龍の爪を模した形に膨れ上がって襲い掛かる。

 翔弓子はとっさにあらぬ方向に矢を放つと、次の瞬間に矢と自分の位置を入れ替えた。転移の魔術だ。初の試みだったがなんとかできたと、翔弓子自身、内心で安堵する。

 だがそれに浸っている時間はない。すぐさま反撃の体勢を取る。再び魔天使ではなくあらぬ方向にボーガンを向け、次々と別方向に乱れ撃ち。その後撃った矢と入れ替わる形で転移を繰り返しながら、全方向から魔天使に向けて撃つ。

 魔天使はそれを跳躍して躱すと、そのまま翔弓子より上空を取って、上から火炎弾を正拳突きで放つ。

 繰り出される連弾を低空飛行で山肌スレスレを飛んで躱す翔弓子は、火炎弾の雨から抜け出してボーガンに魔力を蓄積、チャージに時間をかけながらも、連射可能な程度で押さえつつ、より攻撃力と速度を上げた矢を放つ。

 魔天使は攻撃力と速度が上がったその矢の最初の一本を叩き落とすと、次、その次と叩き落としながら落下、肉薄してきた。

 だが翔弓子はすぐさま魔天使が最後に叩き落とした矢と自らの位置を変え、難を逃れる。そして撃つ。裏拳で叩き落した魔天使に、直後に放った一発のさらに直後に放ち、背後に隠れる形で魔天使の隙を突いた。

 魔天使の体に深々と、矢が突き刺さる――しかしそう翔弓子に見えたのは一瞬のことで、魔天使は自身の胸に刺さる寸前で片手で捕まえ、燃やし、握り潰した。

 まだまだだなと言わんばかりに口角を持ち上げる魔天使。そして今ので捕らえたと思ったのに、と正直甘く見ていたことを後悔し、口角を下げる翔弓子。

 そして魔天使は拳を、翔弓子はボーガンを構える。ここから第二ラウンド、と言ったところか。そしてその口火を切ったのは、一拍早く、翔弓子だった。

 矢を放った翔弓子。それに一拍遅れて、その矢を撃ち落とす形で魔天使は拳を振るう。そして今さっき胸を撃たれそうになった重ね撃ちを警戒してすぐさま翔弓子に視線を向けたはずだった魔天使は、次の瞬間、翔弓子を見失った。

 魔天使が矢を叩き落した直後、魔天使と翔弓子の位置を入れ替えたのだ。故に魔天使は翔弓子に完全に背を向ける形で宙から落ちていて、それを翔弓子が狙い撃ちしようとしている状態となった。

 すぐさまその状況に気付いた魔天使は、肘から炎を噴き出してそれを推進力として反転。その勢いのまま、矢を撃ち落とそうと振りかぶる。

 だがそのとき、翔弓子は動いた。これまで不安定だったがために使用を躊躇してきた時間操作の魔術“時すでに遅しタイムアウト・リミッター”にて時間を停止。そしてその直後に自分と自分が放った矢の位置を入れ替えてから、最大火力まで魔力を溜める。

 時間停止の効果は最大七秒。一秒で入れ替わり、残りの六秒間をすべてチャージに費やす。そして時間が再び動き出すと、魔天使が振り下ろす拳を相殺するように、翔弓子は最大火力での射撃をゼロ距離にて撃ち込んだ。

 魔天使からしてみれば、撃ち落とそうとしていた矢がいつの間にか翔弓子へと代わり、さらにゼロ距離での最大火力攻撃。防御のしようはない。魔力温存のため、最初に向かってきていた矢を撃ち落とすだけの魔力しか込められなかった魔天使は、ついに翔弓子の矢をその身に受けた。

 さらに追撃。翔弓子が翼で宙を一掻きして上昇すると、翔弓子が自身と位置を入れ替えた矢が時間差で走って来た。さらに上空からも追撃。結果二発の矢が、魔天使の体に深々と突き刺さる。

 この戦争ゲームが始まった直後の戦いでは、目に見えないほど薄く伸ばされた魔力の膜に阻まれ、通常攻撃はまったく入らなかったが、魔天使の弱体化によって膜が簡単に崩れ、魔天使の体に三本もの矢が突き刺さったのである。

 だが魔天使は揺るがない。全身に炎を滾らせて三本の矢を燃やすと、さらに傷口を燃やして無理矢理塞ぎ、失血を防ぐ。そして着地すると、地面に拳を突き立てて魔力を放出した。

 地面から溢れ、天を突く勢いで噴き出すマグマ。それが一斉に翔弓子へと襲い掛かる。

 だが翔弓子も負けはしない。時間操作で巻き戻し、マグマをすべて地面へと返すと、さらに自身と魔天使の位置を入れ替えて再び魔天使を宙へと移す。そして振り返りざまに一矢、とまではうまくいった。

 が、魔天使は時間の感覚が元に戻って宙に放り出されるとすぐさま両肘から炎を噴き出し、その勢いで翔弓子へと一直線。炎の噴出を片肘だけにして回転すると、その勢いのままに翔弓子の顎をアッパーカットで打ち抜いた。

 さらに魔天使の勢いは止まらない。自分よりもずっと小さな天使に、容赦のない連打、連打、連打。攻撃の手を休むことなく、翔弓子を殴り続ける。

 そして最後の一撃ですべてを決めようとしたそのときだった。病の進行が、魔天使を止めた。

 病に蝕まれた体は、戦いによる不可に耐え切れずに痛みという悲鳴を上げた。それが魔天使の動きを一瞬だが止めた。そしてその一瞬を、翔弓子は見逃さなかった。ここしかなかった。

 その場から垂直に飛び上がり、魔天使と再び場所を転換。その直後に時間を停止。二秒で上空八方向に矢を放ち、三秒でそれらすべてと連続で位置を転換しながら、矢を放つ。そして二秒で、安全圏へと隠れる。

 時間が動いた。

 八本の矢が同時に、魔天使を囲うように襲い掛かる。矢にも時間停止の魔術が施されていて、魔天使にぶつかる寸前で矢の中に蓄積されていた魔力が動き出し、一斉に膨れ上がって雷の矢と化す。

 そして八方向から襲い掛かる雷の矢が、魔天使と衝突。激しい雷鳴を轟かせ、雷撃で周囲を斬り、焼いて行く。故に退避が必要だった。これは規模が大きすぎる。

 だが故に必中必殺。その技こそ――

「“真・絶対必中雷矢アナッポ・フィクストス”!!!!!」

 数秒後、雷撃は一瞬で弾けた。体験した者からすればそれが数秒続いただけでも地獄のようだったろうが、しかし翔弓子の魔力を見ればその程度である。

 だが結果的に大地は焼けた。山の山頂は消し飛び、標高を下げた。

 本来一日二発が限度の大技を八つも同時に叩き込むこの技は、一切の戦闘ができなくなる。およそ思いつく限りのあらゆる力の回復に時間が掛かり過ぎるため、いつ次に戦うことになるかわからないこの戦争時においては、絶対に使ってはならない代物だ。本当に、一切の戦闘ができなくなる。

 故に周囲に他の敵がいる場合、もしくは敵を討ち損ねたその場合、彼女の致死率は限りなく百パーセントに近い。

 ――今回のように。

「いい攻撃だった。が、惜しかったな」

 本当に惜しかった。そう残念がる魔天使の声が、翔弓子の耳には酷く寂しそうに聞こえる反面、若干嬉しそうにも聞こえたのは空耳だと思った。

 魔天使が何をしたのかはわかっている。八方向すべての攻撃を防御不能と悟るや否や、これまで無意識下で垂れ流していた魔力だけで作り上げていた魔力の防御膜を、己が現在持ちうる魔力の大半を費やして強化したのだ。

 最大の一撃を八つ同時に受けて、魔天使の体には刺し傷一つない。雷による裂傷と、わずかばかりの火傷を浴びせただけだ。つまり一つとして、矢の先は魔天使に直接触れなかったということである。炎を操る魔術師に火傷を負わせた点で威力は充分と見て取れるが、結局、魔天使には届かなかったということだった。

 確かに惜しかった。ここまで来ると、もう彼の強さに脱帽するしかない。本調子だったなら戦いになっただろうかと、翔弓子は今回の戦いがこのように決着したことを奇跡だとすら思った。

「最後に言い残すことはあるか? よろしく伝えてやるぜ、おまえの友達によ」

「……友達、ですか」

 友達、そんな存在もいたような気もする。脳の抑制が酷かったから思い出すのも難しいが、しかし今この前髪を留めている髪留めは、確かその友達がくれた物だった気もしなくもないが――

「いえ、何も。うっすらとも憶えていない相手への言葉なんて、思いつきません」

「そうか」

「――ただ、一つお願い事がありまして」

 このときの魔天使の状況を言うならば、油断していたとしか言いようがない。そもそも翔弓子から感じられる魔力は微弱。さらに自身の攻撃の負荷に耐え切れずに体はボロボロ。もう戦う力なんて残っていないと、最後の一撃が全身全霊のものだったと思っている魔天使は、そう考えた。

 彼女には今なんの脅威もなく、逃げられる心配もそれをされる力もない。故に油断し切っていた。このときまさか翔弓子が、自身に魔術を施して、自分自身すら騙していたなどとは思いもしなかった。

 もう一度だけ繰り返す。最後に翔弓子が放った攻撃は、間違いなく全身全霊のものだった。これで彼女はしばらくの間、戦闘行為そのものができなくなる。

 詳細を語れば、戦うための魔力及び体力、その他エネルギーがほとんど枯れてしまうということだが、しかし実際、動けないというわけではない。ただだ。

 翔弓子最大の狙いはこれだった。ここに来るまでに、彼女は自身に魔術を施していた。それは自身の魔力をある程度の量、時間差で自身に撃ち込むという魔力補充の術。

 しかし実際には補充というよりは、自身の魔力をあとで使うために封をしておき、それを開封するという方が正しい。

 故にこのとき翔弓子は、このとき温存していたある程度の魔力を得た。それはとある魔術が発動できる、最小の量。

 そして油断し切っていた魔天使の胸に倒れるように滑り込み、直に触れることで発動した。

「“時は金なりエクステンド・リミッター”」

 翔弓子の言霊を受けて、発動した魔術が時間を止める。翔弓子と魔天使を残して、世界すべての時間が、一斉に止まった。

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