エゴイスト
眠い。
しんどい。
もう、体が動かない。
自分を濡らす鮮血が熱い。
もう体に流れる血が足りない。
死に一歩一歩、毎秒近付いているのがわかる。
そんな、人間生きている間、毎秒死に近付いているものよなんて意地悪を言わないで欲しい。今は反論する力すら、残されていないのだから。
「さい、てい、しゃ……これは? これはさんかしゃ?」
自分をこれ呼ばわりする誰かがいる。
自分の側に降り立って、自分を見下ろしている。
そのすぐ側には、巨大な黒馬に跨った鎧の騎士がいた。
しかし今さっき戦った彼女で、この戦争の参加者は全員のはずである。ならばこの二人は何者か。
さらには
首がない状態で生きている生物など、龍道院の人生でも知り得ない化け物である。
そんな首のない怪物は、どうやって発生しているのか低い声で、少女の問いに答えた。
「彼方は名を龍道院。其方と同じ、この戦争の参加者である。彼方と戦い、その命を奪うことで玉座の位置を知るのだが……もう、その者の命は尽き欠けている」
「……殺したら、いすすわれる?」
「見つかるかもしれぬ。しかしそれは其方が決めることである」
「殺しちゃ、いけないの?」
「個人の美学の問題である。虫の息である彼女に、命が燃えるこのわずかな時間を自由にさせるのが美徳と取るか、それともこれ以上苦しませないよう、其方の手で息の根を止めてやるのを美徳と取るか」
「よく、わからない」
「其方が選ぶのだ。このままそっとしてやるか、殺してやるか」
そんなの、殺せばいいと教えればいいのに。
二人のやり取りを聞いていた龍道院は、未だ死ねない意識の中でそう思う。
殺せば玉座の場所がわかるのだし、ここで殺さないのは彼女にとってなんのメリットにもならないだろう。
自分がもしも目の前に虫の息で倒れている敵を見つけたら、確実に殺す。
敵は減る。玉座の位置もわかる。一石二鳥で殺さない理由がまるでない。
殺すのなら殺せばいい。早く、この首を両断すればいい。
覚悟はしていた龍道院だったが、しかしその目でしっかりとその相手を見た瞬間、自分の中の考え方が一瞬で上書きされた。
――子供。
目の前に子供がいる。
実際に目の前で自分を殺せばいいのかどうか断じ切れていない少女は百年間生きており、さらに魔術によって作られた生命体。
子供と呼ぶには余りにも異端過ぎる彼女のことを知らない龍道院は、ただ子供がいるとだけ認識していた。
まぁ元々、百年以上生きている天使をも子供扱いする彼女にとって、何年生きているかなど関係のないことだし、
とにかく、彼女の目の前に子供がいる。
それが自分に最後のとどめを刺そうかどうか迷っている。
子供が、自分を殺そうとしている。
その状況を知ったとき、彼女の中で混沌が訪れた。
子供は誰も殺さない。
子供は自分勝手に周囲を傷付けるけれど、大人は自分勝手に周囲を殺す。
それが心か精神か志か、肉体かどうかだけの差であって、大人は自分にとっての不都合が、死んでいなければ安心できないというのが大人なのだと、龍道院は思っていた。
子供は一度でも脅威を排除すれば、それがかつて自分を苦しめていた何かだとしても許せるし同情できる。そんな優しさを持ったものなのだと、龍道院は思っていた。
そんな凝り固まった思考回路をしている彼女を作り上げることとなった人生の中で、彼女はまだ出会ったことがなかった。
子供が大人を殺して、先に進もうとしている姿を。
逆は数えきれないくらいあるし、自分がそうだった。
大人は自分達にとっての不都合に対して、自分達にとっての脅威に対して躊躇なく殺気を込めて殺しにかかれる。
だから自分は何回も殺されかけたし襲われたし、死にかけた。
そんな大人達を充分に知っていながら、彼女はまだ人を殺す子供を知らなかった。
自分にとっての脅威を払うのに、殺人という手段を取る子供の存在を知らなかった。
いや、ただ無視していただけだ。本当は知っている。
だって自分自身が、昔そうだった。
自分は大人達を手に掛けた。正当防衛という正当な理由を得て、自分を狙う大人達を殺し続けた。
そしてそのまま成長し、今も自分が護る子供達にとっての脅威を殺し続けている。
その究極が、世界中に子供しかいない世界。この戦争の果て、自分が勝利した暁に手に入れようとしていた世界である。
これが子供達にとっての理想郷。
なんの脅威もなく、災害も何も起こらない。子供を護るための法律、世界、秩序。すべてが揃った子供達だけの世界。
その世界を実現するため、この戦争でまた殺しをしようとしていた。
いや、本当にそのためか。
あの天使も言っていた。結局は自分のためではないのか。
子供達の理想郷とは、すなわち龍道院自身にとっての理想郷ではないのか。
自分をまったく傷付けない子供達。その子供達を傷付ける大人がいない世界。
それを想像し、思うことは一つだけである。
なんて素晴らしい。
自分にとって最高の世界。理想郷。
あぁそうか、自分はそのためにこの戦争に参加していたのか。孤児院にいる子供達のためにではなく、戦争で死んでいく子供達のためではなく、ただ自分のために。
だって本当に子供達のことを想うのならば、こんな戦争に参加する必要なんてなかった。自分の手が届く範囲だけでも、子供達を護り続ければよかったんだ。
滑稽。滑稽。滑稽過ぎる。
そんな利己的な考え方で、私はシスターになったのか。
「殺す……」
自分の理想は、子供が誰も傷付けない、傷付けられない世界。
子供が自分の目の前で殺すことは絶対的にあってはならず、ましてや自分を殺すことなど皆無である。だって自分の理想郷は、自分を護ってくれる子供達なのだから。
「殺す……殺せば、いすにすわれる、でしょう?」
「少なくとも、場所はわかる」
「……殺した方が、いい?」
「其方にとってはどうなのか、考えるのだ」
「……なら、殺す」
殺される。
殺される。
殺されるのが怖いのではない。
子供が自分を殺すのが怖い。
子供が誰かを殺すのが怖い。
誰かを殺す子供が怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
殺さないで。
「ね、がい……ろさないで……殺、さないで……あんたには……殺されたく、ないの……お願い、あなただけには、私は……」
血反吐を吐きながら、涙ながらに訴える。
自らの中に残った熱をすべてこの訴えに注ぐように、自らの死を早めるくらいの力を持って、力のない声を振り絞って。
それを聞いた滅悪種は首を傾げ、意味を理解しようとしているのか、視線をあちこちに飛ばしながら固まる。
だが視線が遥か遠くを見つめながら、彼女の髪が動いていた。
凄まじい長さと量の頭髪が蠢き、龍道院の体に絡みつく。そしてズタズタに引き裂かれて体の至るところから出血している龍道院を、締め上げた。
全身の骨が折れる音の中に、龍道院の虫の息で上げる絶叫が混ざる。
「殺さない、りゆうがない……殺さないとだれもほめてくれないの。殺さないと、だれもおしえてくれないの……殺さなかったらわたし、なんのために生きているのか、わからないの……」
滅悪種は容赦なく、躊躇なく締め上げる。
腕や脚が簡単に折れるのに、首や胴体などの鱗が固い部分が折れないことが、龍道院を苦しめていた。
そんな中でも、龍道院は訴え続ける。
殺すことを何も感じない、何も知らない少女に対して、彼女の運命も何もかもを知らない龍道院は、力のない今、ただ訴えることしかできない。
死にたくない。
殺されたくない。
なんでよりにもよって、自分が子供によって殺されなければならないんだ。
――だがそれも、自分のエゴなのだろうか。
子供には殺されたくない。それは自分の我儘だ。
ただ単に自分を例外として他に見ていなかっただけで、子供が人を殺す世界は確かに存在する。実際、わかっていた話ではないか。
人を傷付ける、殺す子供を見たくない。しかしそうしなければ生きられない子供達がこの世界にはたくさんいて、生きていくのに必死な子供達がたくさんいる。
そんな彼らにお願い殺さないでというのは、私のためにではないか。少なくとも、彼らのためにではない。
殺すことでようやく生きられる子供達にとって、殺すなと言うのはすなわち死ねという意味ではないか。自分の都合で、彼らに死ねなどと言っているようなものだ。
誰も傷付けない。傷付けられない世界。
人間の殺し合い、戦いの歴史を終幕に導くこの願いも、味方を変えれば自分を護るための利己的な願いである。
結局は自分を護るため、子供達に嫌われないための願いだったのならば、この世界平和と言えば聞こえのいい願いを、叶える意味はあるのだろうか。
全身を締め上げられる感触すらも遠のき始めた龍道院は、自らの血で濡れた滅悪種の黒髪の一束を掴み取る。
そして自ら最期の力を込めて、煌々と燃え始めた。
突如高熱を持ち始めた龍道院に驚き、反撃されると思わず束縛を緩めてしまった滅悪種。
拘束から逃れた龍道院は最期の力を振り絞って立ち上がると、自らの首を強く絞める。
そして自らの体を黄金の煌炎で包み込み、焼き始めた。
「な、んで……?」
それは自決しようとしていることに関してか。
それともそこまで頑なに、子供にだけは殺されまいとしていることに関してか。
黄金の煌炎に包まれる龍道院を見て、滅悪種は理解できないと首を傾げる。
「……戒めよ」
「いま、しめ?」
「……あんたみたいな可哀想な子を助けられなかったことに対してね」
「ごめんなさい。あんたみたいな子を助けるのが私の役目なのに、私は今の今まで、あんたを見つけられなかった……! だから、これは戒め。ずっと自分勝手に戦ってきた、ずっと自分勝手に殺してきた、最期の最期でしかあんたを見つけられなかった、私の戒め……!」
「わから、ない……むずかし、い……」
「わからなくていい! 理解なんて、しなくていい! 私のことなんてすぐに忘れなさい! だけど……これだけは憶えていて」
息が苦しくなってきた。意識も薄い。
だが彼女は最期に、黄金の輝きを放っていた。
「世界のすべてを肯定しないで! 世界のすべてを否定しないで! 肯定は自分を護って否定は他人を傷つける! その二つがあって人間だから! だからすべてを理解する必要はないけれど、理解することはできないけれど、絶対に――」
「――世界全てを、殺そうとしないで」
繰り返しておく。
龍道院は決して、滅悪種の本質を理解できてなどいない。
大量殺戮のみを考慮されて作られた魔導生物兵器である彼女のことなど、まるで一縷もわからない。
だが最期の最期にして最後。
彼女はまるで理解していたかのように、その言葉を投げつけた。
百年もの間、誰もそんなことなど言わなかった。
誰もそんな涙を流さなかった。
燃え尽きかけていた命の最期の一揺らぎを使った決死の一言は、滅悪種の脳髄に突き刺さって、彼女の価値観を一部ながら破壊した。
「滅悪種、生き残りたいのならば乗るがいい。死にたいのならば、止めはしないが」
「……行く」
黄金の炎が、龍道院の血を糧にして燃え広がる。
森全体に届いた灼熱は森を焼き、大気を焼いていく。
その結果、何百と言う生物が命を焼かれたものの、その炎は森だけに留まり、それ以上広がることはなかった。
黒馬に跨った滅悪種は、自分を支えてくれる裁定者に問う。
「あのひとは、なんであんなことをいったの?」
「其方を想っていたからであろう」
「でも、わたしあのひとをしらない……」
「彼女もまたそうであろう。しかし彼女は彼女の信念を貫こうとしていただけだと、我は思う。彼女は其方に、人殺しをして欲しくなかったのだ」
「なんで……?」
「それは我も知り得ない。しかし実に利己的。自分自身のための願いだった。彼女にとって其方が人を、自分を殺すのは、我慢ならないことだったのだろうな」
滅悪種は理解できない。
彼女の信念どころか、他人の信念を理解するなど、それは彼女にとって無理難題と言えた。
しかし彼女にしては珍しく、龍道院最後の言葉を胸に刻んでいた。
世界のすべてを肯定しないで。
世界のすべてを否定しないで。
世界のすべてを、殺そうとしないで。
それは、世界のすべてを殺すことを目的として作られた彼女からしてみれば必要ないと言っているようなものだけれど、しかしこの言葉を捨ててはいけないと思った。
まだ何もわからないけれど、まだ何もわかっていないけれど、でもいつかわかるようになったなら、そのときにまた答えを出そう。
「行くか」
「まだ……もう少し、ここに、いたい」
「……了解した」
かつて世界を飛び回った炎の龍。
炎帝と呼ばれたその龍の炎は、数十年間のときを未だ燃え続けているという。
その伝説を再現するかのように、黄金の炎は森が焼け落ちた後も燃え続け、その後自らを燃やして燃え続けていた。
それを見つめる滅悪種に、強く訴えてくる。
忘れないで。
いつしか理解できるそのときまで。
私の言葉を忘れないで。
世界のすべてを、殺そうとしないで。
その炎を強く胸に刻みつけた滅悪種は、この戦争で誰も殺さなかった、子供のために戦い続けた、そんなエゴイストなドラゴンシスターを忘れることはなかった。
彼女の戦いぶりなんて知らなかったし、彼女の信念も知らなかった滅悪種だったが、彼女のことを理解することもできないまま、彼女の言葉を胸に刻みつけたのである。
*リザルト:
*脱落者:孤児院の龍道院/脱落理由:自害*
*残り参加者:四名*
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