太陽に向かって飛んで羽を焼かれて落ちて
そして同時、彼女では熾天使に勝てないとも思っていた。
実際戦況は熾天使が圧倒している。翔弓子は魔力の差から、見ずしてその戦況を理解した。
たった今龍道院が発現した魔術で、どこまで熾天使と張り合えるか。
そこまで考えたところで、翔弓子の意識は別の方向へと向いた。
微かだが感じられる。この魔力は――
「――
熱く、燃えるような魔力。間違いない。
しかしそれはもはや消えかけの蝋燭程度のとても弱いもので、消えてしまうのではないかと心配に駆られる弱弱しい魔力。
魔天使が死にそうだと、翔弓子は翼を広げる。
だがそこで、一度思いとどまった。
この戦争に自分が投下された意味、理由を思い出す。
自分の役目は魔天使の殺害。
熾天使がここに投下されているということは、自分では力不足だと断じられたということだろう。
そして脳の抑制が外れている今、魔天使殺害のために動いていない自分を天界が反逆者として見做してもおかしくはない。
熾天使ではなく
反逆者だと見做されている、もしくは問答の後に見做された場合、即刻斬殺ということも充分あり得る話である。
ならば逃げるのが得策か。しかしそれはそれで、反逆者という印象が返って強くなるのではないのだろうか。
ならばどうすれば――
そこまで考えて、翔弓子は再び考え、思いついた。
そして翼を広げ、飛び上がる。
龍道院に何も告げずに消えることは少し心苦しさを感じたが、それでも飛んでいく。
熾天使の力を知りながら、しかしそれでも龍道院の無事を祈る。
激しい爆炎が轟き広がるのを最後に、翔弓子は飛んでいった。
それに気付くほどの余裕があり余っている熾天使と、気付く余裕すらない必死な龍道院。
煌炎を宿した魔鎌を振り回し、何度も炎を爆発させる龍道院の攻撃を、熾天使は左右に浮遊させている剣を抜く様子もなく、ただ増殖するだけの槍一本で受けきっていた。
「このっ……舐めてるのか、羽アリ!」
「元々貴様ら
「舐めてんじゃないの!」
鎌に炎の球を乗せ、振り払う勢いで射出する。
一つ一つが炎の爆弾で、分散された槍がぶつかる度に爆発を起こす。その爆発で、熾天使の体は吹き飛んでいく。
鎧を着ているものの、女性である彼女は体重がとても軽く、爆発によって軽々と吹き飛んでいた。
そして後方に吹き飛ばされる熾天使と違い、龍道院は爆発の勢いで加速、熾天使に迫っていく。
そして自分と熾天使の距離が跳躍一歩分にまで迫ると一気に肉薄し、灼熱を宿した魔鎌を振り下ろした。
槍と鎌がぶつかり、互いの魔力で火花を散らして、その威力を互いに受ける。
両者吹き飛ばされたが熾天使は体勢を立て直して上昇し、龍道院は大木に足が着くと同時に跳躍。上昇する熾天使に斬りかかった。
「“
金色に燃え盛る滑車が回る。
斬撃と同時に放たれた巨大な滑車が熾天使に向かって駆け抜け、数十に分かれた槍と衝突した。
そしてその熱が熾天使へと突き抜けて走る。
熱によるダメージを熾天使は負わなかったが、しかしその熱を払わなければ喉が焼けてしまうので、わざわざ急いで槍を戻し、熱を振り払わせた。
そしてそれが隙になる。
熾天使が振り払った熱と熱の間からさらに高温の灼熱が襲い掛かり、熾天使に槍の防壁を築かせる。
そしてその防壁が熾天使にとって防御壁かつ視界の邪魔となっている間に、飛び込んだ龍道院の足蹴りを躱した熾天使だったが、直後に飛んできた尻尾による打撃を回避し切れずに槍で防御した上から叩きこまれ、危うく地上に叩きつけられるというところまで吹き飛ばされた。
「……
「“
直線状に灼熱の円陣が飛ぶ。
龍道院から見て真正面の敵を一掃するこの技を空中で回転しながら放ったことで、三つの円陣が地上を抉る形で繰り出された。
熾天使は再び増殖させた槍を並べて防壁を作り上げ、防御する。
だが今度はそれだけでなく、その防壁の奥でさらに槍の数を増やし、龍道院のそれと同じ円陣を組ませて高速回転。
チェーンソーのように抉り切る刃を飛ばし、防御した龍道院の鎌を両断してみせた。
しかし龍道院は怯まない。
両断された鎌を投げつけて一瞬ながら注意を引くと、それらを弾いた槍に爪を突き立てた。
「“
まるで龍の咢に噛み砕かれたかのように圧力をかけられ、龍炎に焼き焦がされる。
凄まじい炎熱と圧力に槍は耐えきれず、遂にヒビが入った。
さらに龍道院は追いうちを仕掛ける。
肺を風船のように膨らませるほど息を吸いこみ、そして口火を切った。
「“
龍道院が放つ灼熱の咆哮は拡散し、大地に広がり森を焼く。
地上に叩きつけられるまでに槍は砕け散り、熾天使の姿も龍道院の目の前から灼熱に呑まれて掻き消えた。
火炎放射を吐き切って、龍道院は大きく咳き込む。
火炎放射はできるものの、喉と肺に相当な負担を掛けるためあまりしたくはなかった。威力と攻撃範囲があるので、デメリットは仕方ないとは思うが。
自分の周囲に気配がなく、魔力も感じられないことから龍道院は灰になったかと一瞬ながら思う。
しかし次の瞬間には、一瞬でもやったと思った自分を責め、後悔した。
上空を仰げば、まったく無傷の熾天使の姿。
熱にやられている様子もなく、涼しい表情は変わっていない。
だが一つ表情に変化があったとすれば、彼女からさらに余裕が増し、慢心を感じているだろう嘲笑を浮かべていることだった。
槍を破壊されたことで憤るどころか、むしろ喜んでいるのである。
もしかしたら槍は彼女にとって自分では破壊できない枷か何かで、自分はその枷を破壊するようまんまと誘導されたのではないか。
龍道院がそう思ってしまうほど、熾天使は清々しいと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
彼女の側でずっと浮遊を続けていた二振りの剣が、より一層眩く光る。
「ようやく槍を破壊してくれたな……それくらいはしてくれなければ面白くない。それでこそ我が双剣を引っ張り出してきた甲斐もあるというものだ」
「余裕ね……」
「余裕? 貴様はアリを踏み潰すのに、本気も余裕もあるのか?」
白と黒。二本の聖剣が鞘から抜かれる。
真白の聖剣はまるで太陽のように輝き、それを受けて黒の聖剣は月のように光る。
陰と陽、正反対の属性を感じさせる二つを、熾天使は握ることなく操り動かす。
二本を擦り合わせて剣戟音を響かせ、龍道院を威圧した。
「真白は聖陽剣“
「……私の力を認めたってことでいいのかしら」
「まさか。これ以下の刃物を今持ち合わせていないだけだ
「“
真白の聖剣、銀が能力を発揮する。
眩い閃光の後に熾天使の背後に複製を生み出し、二重三重の円陣を描いて回りだす。
その切っ先に真白の炎を宿し、それらが互いの炎を結んで熾天使の背後に真白の曼荼羅を描いた。
「“
漆黒の魔剣、鉄が真白を受け、熾天使の言葉を鍵に能力を起動させる。
銀と違って大きな変化は見られなかったが、魔力の質に変化が見られた。
禍々しさと美しさの両方を兼ね備えた、そんな魔剣が襲い掛かって来る。
鎌がない龍道院は躱すしかなかったが、この攻撃は鎌があっても躱していた。
魔剣の魔力が禍々しく、呪いか何かを掛けてきそうだったからである。そして龍道院のその予測は、当たっていた。
龍道院が躱した先にあった大木に魔剣が刺さると、大木が斬られたのではなく一瞬で枯らされ、殺されたのである。
魔剣の攻撃は絶対回避。これが龍道院に突き付けられた。
が、相手は魔剣だけではない。
熾天使を中心に広がる曼荼羅の各中央から、眩い閃光が放たれる。
灼熱を宿した閃光はもはや破壊光線で、龍道院が躱すと躱した先の大地を薙ぎ払い、一瞬にして塵に変えたのである。
そんな光線が雨のように、間髪入れずに放たれる。
さらにその間を掻い潜って、一撃必殺と思われる魔剣の斬撃。
武器を失った龍道院は回避を余儀なくされ、どんどん距離を取らされるが、接近戦を仕掛けてこない熾天使から距離を取ると言うことは、彼女の領域にどんどんと入り込むということだった。
魔術式が込められた特殊武装を操る彼女にとって、得意なのは絶対的に接近戦よりも遠距離戦。敵が距離を取ればとるほどに、彼女の領域は広がっていく。
「このっ!」
ダメもとで放つ炎弾は、やっぱりダメだった。攻撃力で勝る閃光に、一瞬で掻き消される。
そうなると攻撃手段がほとんどない。
接近戦に持ち込めれば勝機もあるだろうが、当然ながらその接近戦をやらせてもらえない。
接近しようとしても即死の魔剣を向けられ、取らされる一方である。
何か、何か策がないと戦えない。このままでは確実に死ぬ。
「その姿になってすでにかなり経っているが……時間制限はなしか。まぁそうでなければつまらないが、まぁしかし何も術がないのでは、どちらにせよつまらん展開ではあるか」
熾天使は余裕を通り越して退屈そうである。
悔しい。彼女に対して、自分は反撃らしい反撃もできていなければ反論すらできていない。
彼女にはまるで対抗できていない。自分の非力さを憎みながら、何も言い返せない悪い頭を憎んだ。
だが――
「っ!!!」
突如目の前に聳えた炎の壁。
閃光で貫いてもすぐに炎が生え、視界を遮って来る。
そして何より熱い。
鎧を着ている自分を蒸し殺すつもりかとも思った熾天使だったが、魔剣を自分の元に戻そうとしたときにその考えを捨てた。
熾天使の魔術は単に自身の視界に入っている無機物を操るという操作魔術である。それ以上でもそれ以下もない。
ただし操っているものに触れている感触と重さはあり、武装が敵の肉を裂く感触もその手の中。本人は気にしていなかったが、しかし他人からしてみれば気色の悪いデメリットである。
熾天使は今までそのデメリットに対して特に何も思わなかったが、しかしこのとき思わざるを得なかった。
実際槍を砕かれた際は、そのときすでに魔術を解いていたために感じることはなかった。
しかし今は炎の壁に視界を遮られ、把握が遅れて解除できなかった。故に痛む。
魔剣の柄を龍道院が爪を立てて握り、さらにそれを足場にして跳躍したことで、魔剣を操っていた熾天使の手には爪を立てられた痛みが走り、蹴り飛ばされた痛みで腕が一瞬跳ねた。
ただ爪を立てられ足場にされただけだろうと思うだろうが、侮ってはいけない。
龍族の膂力は人間のそれを遥かに超越している。
例え天使であろうとも、それに爪を立てられれば痛むし蹴り飛ばされれば痺れもする。
故に熾天使は爪を立てられ蹴飛ばされた腕が痺れ、魔剣の操作が効かなかった。その場で静止する魔剣。
そして忘れてはいけない。
龍道院が魔剣を足場にしてした大ジャンプで、熾天使に迫ってきていることを。
熾天使はすぐに聖剣を動かし、狙撃する。しかし正確さよりも威力を誇る閃光は、光の速度で龍道院の側を素通りしていく。
「っ……“天照――”」
「“
「“
一閃。
一閃。
鋼の剣と同等の硬度を持つ龍族の爪が、熾天使の体に突き立てられる。
天界でも名匠が打った蒼銀の鎧の上に突き立てられた龍の
だが、そこまで。
「“
熾天使の背後で回っていた曼荼羅の円の一つが分離し、それを作り上げていた聖剣の複製がそれぞれ切っ先から光線を放つ。
それに捕まった龍道院は全身を斬り裂かれ、硬い鱗の上から全身を斬り刻まれた。
元々腹に風穴を開けられ、血が足りていなかった。
これが最後の攻撃だと、自分自身思っていた。だからそれが決まって、悔いはない。
負けたこと、これから死ぬことに悔いはある。しかし元々死ぬ覚悟も決めていた。
覚悟を決めている人間があれこれ死ぬ前に後悔するのは、覚悟していなかったと言うことだ。
心のどこかでうまく行くと思っていたからこそ、覚悟が足りていなかったのだと言うしかない。
だからこそ後悔はないと、自分自身に言い聞かせたが――
涙が止まらなかった。
自分は何もできなかった。
子供達を護ることも、子供達を助けることもできずに死んでいく。
ただ自分はこの戦争に出て、目の前で子供を殺されただけだった。
必死になって助けようとして、それで手酷く失敗して、結局自分はこの戦いに出て、何もできなかった。
ただ来て、死ぬだけだった。
それを――悔むしかなかった。
「……」
燃え盛る大地で眠るように倒れ、起き上がってくる様子のない龍道院を見て、熾天使は剣を収める。
未だ痺れている魔剣を操っていた片腕と、生涯で二度目となる傷を受けた鎧を見つめて、舌打ちするように吐息した。
「誇れ
「貴様が思う
わざとらしく、無理矢理武勲を褒め称える言葉を並べている様子の熾天使だが、その胸中は実に平静。思い切り素の我が身から、龍道院を称えていた。
最後の炎の壁から魔剣での跳躍、そして一撃への流れは、熾天使にとっても
ただそれでも、友と呼べるほどのことではない。
自分のために子供達を護っていた龍道院と、熾天使の友――
彼女の武勲は龍道院のそれと違い、自分のためでなければ他人のためでもなく、人々の懇願のために世界を救った――そんな、絵空事のような物語だった。
だからこそ熾天使も彼女を認めた。龍道院は一撃を与えはしたものの、それ以上のことはしていない。
故に龍道院は武勲を褒めただけで、わざわざその手を差し伸べてやろうなどとは思わなかった。助けようとも思わない。
彼女の中で龍道院の存在が一体の龍に昇華されたところで、地上の
「さて……今の戦いを奴は感知したか……逃げた。となるとやはり叛逆を――いや、これは……」
魔天使の方に向かっている……それもかなり魔力を練って……戦うつもりか。
「……どういうつもりか知らないが、少し様子を見てやるか。一度きりのチャンス、取り零すなよ。翔弓子」
龍道院に一瞥をくれることもなく、熾天使は闊歩するように移動する。
翔弓子と魔天使までの距離は近くなかったが急ぐこともなし、ましてやチャンスを与えるのに時間を与えないのでは意味がない。
魔天使を殺すかそれとも殺せないか。
いずれにせよ翔弓子がこの先どうなるかは、殺そうとするか否かという二択に、熾天使は絞っていた。
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