裁定する者
「誰だ」
低く、ノイズ交じりの声が問う。
大陸の地下に捕らわれた首なしの
自分はこの戦争の裁定者。
この戦争のルールを取り仕切る者であり、違反があればそれを罰する者である。
その裁定者を捕縛した骸皇帝。そして参加資格を失っても尚玉座を狙う
だがその力も奪われ、今はただ誰かが来るのを待つ状態。
来るのが骸皇帝ならば、おそらくは裁定者に与えられる戦争の知識と玉座の位置情報を絶えず取得している魔術をその仕組みから解剖され、それを骸皇帝自身に植え付けるか何かして玉座の位置を完全に把握。
そして後は不死身の体と禁忌の魔術を駆使して敵を掃討し、全員を生きる屍として軍門に入れた後に玉座を手に入れ、天界を堕とす気であろう。
もし来るのが他の誰かなら、助けを乞う。
そして助けた礼にと当然ながら要求されるだろう玉座の情報を一部与え、自身はとにかく骸皇帝と重複者の二人を罰しに行く。
それが今の役目。今のところは、それが――
「……あなたこそ、だれ?」
来たのは、今まで相対したことのない参加者だった。
ならばそのどれでもない彼女の正体は、必然的に決定するわけだ。
「深淵の、
「……つかまってるの……?」
四肢を貫かれて平然としていることがか、それともそもそも首がないのに生きていることがか、とにかく物珍しそうに滅悪種は裁定者を見つめる。
そしてしばらく見つめると、いつの間にか四肢を繋いでいた杭をいっぺんに引き抜き、裁定者を解放した。
「……はい、これでもうだいじょうぶ、だよね」
貫かれていた裁定者の四肢から血が噴き出していることなど気にも留めず、滅悪種は彼を無事と判定する。
骨の杭を拾い上げて掌に乗せて回し始めるが、面白くなかったと溜め息をつきながら軽く
「いきてる、の……?」
今更、筆談する必要はない。
元々来るのは骸皇帝だと思っていたが故、声は出してしまった。
それにもう筆談の必要もない。純騎士と出会ったときは召喚されたばかりで声もうまく出せなかったが、今は口がない身でも声での対話が可能である。
故にもう筆談する気すら起きず、裁定者は貫かれた両腕を自ら治癒の魔術で癒しながら応答した。
「其方のように首はなけれど、しかし我は生きている。我はこの戦争の裁定者である。其方、戦争の参加者であろう」
「さい、てい、しゃ……? って、なに?」
「この戦争の秩序――ルールを護る者である。この戦争にも、少なからず人の理というルールがある。参加者がそのルールを護っているか、我はそれを裁定する者。護らぬ者を、粛清する者である」
「むず、かしい……」
戦争のことも先日聞かされたばかり。世界の常識すらもまだ半分もわかっておらず、天界のことすら理解し切れていない彼女に、裁定者の操る言葉は難し過ぎる。
ましてや人の理など、理解できるはずもなかった。
今までの参加者の中でもより一層子供な滅悪種に、裁定者は少し困る。
ルール違反を裁こうにもそれは向こうがルールをある程度理解していることが前提であり、元よりルールなど知らない相手には理解する余地を与えなければならない。
ルールも理解できない者がルールを犯したとして、理解できる能力がなければそれは仕方ないと無罪になってしまう。
つまりは裁けないということ。
それは裁定者にとって、死活問題とも言えそうなことであった。
まず裁定者がするべきことは、彼女にこの戦争のルールを理解させること。それを試みることである。
「其方、名をなんという」
「……? めつ、あくしゅ……みんなそう呼ぶ。あなたも、そう、言った」
名は理解しているようだ。
自分のことまで理解できないようなら、もはやルールを教え込むまでもない。
ルールを破れないように、参加資格を剥奪させてこの戦争から離脱させるべきであるが――元々、真の裁定者ではない代行者である自分に、そこまでの能力は与えられていない。
故にルールを破った永書記や骸皇帝を、直接粛清するしかなかったわけだ。
この滅悪種も、いざとなれば粛清しなければならない。もっとも彼女から発せられている魔力の量と質からして、自分にそれができるかは別の問題であるが。
「では滅悪種。其方、この戦争のことをどこまで理解している」
「……
とっさに裁定者は身を引いた。
両腕の治療はまだ終わっていないし、脚の傷もまだ血を噴き出しているが、しかしそうしなければ今確実に死んでいたのは想像に難くない。
何せ彼女の黒い髪が揺らめき、その場に先ほどまでいた裁定者の影を縛り上げていたのだから。
彼女は間違いなく、殺すつもりで攻撃をしてきた。
裁定者への攻撃は、明らかなルール違反だが――
「あなた殺せば……
――やはり理解していない。
どういう風に聞かされていたのか、目の前に現れた人間すべてを殺せばいいと思っているようである。
確かにこの大陸にはそもそも人類こそいないが、しかし今この戦争の裁定者と名乗ったばかりの相手を殺しに行くだろうか。
自分で理解している範囲を口にしたことで、そうだ他の人を殺さなきゃと思い出した節がある。あまりにも焦燥、そして軽はずみな行動だ。
彼女はまるで、自分がこの戦争の裁定者でルールの守護者なのだと、理解できていないのだろう。
「……残念ながら、我を殺したとて何も手に入りはせぬ。玉座に座ること叶わず」
「……?」
「我を殺しても、いすには座れないということだ」
それを聞いて、滅悪種は傾げていた首をさらに傾げる。
そしてパキっという破裂音が小さく響くと、そのまま首を二七〇度回転させてみせた。
首のない裁定者にだって、人間の首がそこまでの可動域を持っていないことは知っている。フクロウだって、縦には回りはしない。
そのまま首を左右に振って自らの中の疑問符をどうにか解消しようとしている滅悪種に、裁定者は吐息した。
彼女は物事を理解できないわけではない。
ただ物事を正しく理解するのに、とてつもない時間が掛かる。
今の彼女には参加者と裁定者の区別などなく、出会った人間すべてを殺せばいいと思っている。それを否定しても、この反応だ。
難しい、この上なく難しい。
彼女がこの戦争を正しく理解するのに、何度教えなければならないのだろう。この先の行く末に、裁定者は吐息するしかなかった。
先が思いやられると、思わざるを得なかったからである。
「滅悪種、其方は何故勝利したい。勝利することに、なんの意味を持つ」
「……かつ……? なんで殺したいかってこと?」
度々思うのだが、何故そんなにもたどたどしく時にどもりすらするのに、殺す関連の単語はそうもスラスラと言えるのか。
魔術によって作られた人造人型兵器という正体を知らない裁定者は、疑問に感じる。
しかし例え知っていたとしても、違和感は感じただろう。彼女の中での命の価値は、あまりにも低すぎる。他人は殺す、それが彼女にとっての常識だ。
自分の中での勝利の意味を考えると、滅悪種は漆黒の双眸で自身の真白の手を見つめる。
その手で力強く自分の顔を包み込むと、大きく息を吐き出した。
「……しりたい。わたし、何者。なんのためうまれて、なんのために生きてる、のか。わからない……わからない……だけど、おそらの国はしってるかもしれない。だから、聞き、たい。わたし、なんのために生きればいいか。わたし、どうしていけばいいのか……」
「だから、殺す」
裁定者の動きが奪われる。
しかし見た目では、何が起こっているのかは裁定者でもわからない。
だが魔力を感知してみれば、彼女の厖大な量の中でも細すぎて不可視の頭髪が伸びて、裁定者の全身を縛っていた。
彼女は質問に答えながらも、確実に裁定者を殺すつもりだった。思わず惚れ惚れする手際。殺すことにおいては、彼女の頭はとてもよく回るようである。
しかし裁定者はすぐさま魔力を放出し、その威力で見えないくらいに細い髪を切り裂き千切る。
だがその一瞬の間に滅悪種の髪が伸びて来て、今度は太い髪で縛り上げた。
「絞め殺す……そうすれば、わたし、天界にいける」
「何度言えばいいのか……我を殺したところで、天界に行けぬのだと……!!!」
裁定者の魔力がさらに膨れ上がると、彼の頭上に魔力の渦が巻き起こる。
そして魔力の渦から蹄の音が鳴り響くと、髑髏の面を被った黒馬が飛び出してきて裁定者を拘束から解き放った。
髪を踏み散らされ、さらに巨大な黒馬の登場に怯んだ様子の滅悪種。
裁定者は黒馬に跨ると、黒馬が背に縛り付けていた四本の西洋剣を腰に差し、うち二本を抜いて改めて滅悪種と対峙した。
「警告す。これ以上の攻撃行為は断罪の刑に処す。これ以上我に手を出せば、其方の戦争参加権利の剥奪。最悪、その命を我が刈り取ることとなる」
「……ことば、むずかしい、わからない……」
「……我をこれ以上殺そうとすれば、其方は天界に行くどころか殺される、というわけだ」
怒りを込めて律するのではなく、理解を促すように優しい口調を心がけて言ってみる。
言葉に敵対心が無ければ理解しようとする姿勢をするらしく、滅悪種は静かになると少し小さく唸って、ヘタリと力なく座り込んでしまった。
そしてみるみるうちに瞳に涙を溜めると、ボロボロととめどなく溢れさせ始め、泣き崩れた。
「ご、めんなさい……ごめん、なさい……。殺さないで、殺さないで……死にたくない、死にたくない……わたし、まだ……死にたくない……」
人を簡単に殺せる力を持っていながら、自分が簡単に殺される存在だと思っているのか、簡単に命乞いをする滅悪種。
魔術によって作られた体がそんな簡単に死ぬわけがないとは知らないらしく、まだ実力も発揮していない裁定者にとにかく命乞いをする。
裁定者の実力が自身と互角ならば、戦って逃げようとは思わない。
敵に少しでも自分に勝る部分があるのなら、命乞いしてでも生き延びる。
今まで敵の実力も知ることなく殺してきた滅悪種にとって、それが処世術であった。
自分が少しでも死ぬ可能性があるのなら、常に最悪を想定している。
敵に襲われるのは、その敵が自分よりも勝っているからと思い込む。だから怖い。
敵に襲われるのは、この上なく怖い。怖い怖い怖い。
そして現状、自らその状態に持っていってしまったことに気付いたのだ。
裁定者を怒らせてしまった今、襲われる。相手が襲って来るということは、勝算がある。ということは殺される。
そういうことだ。
故に彼女はなんの躊躇もなく命乞いする。
彼女は騎士でもなければ戦士でもない。ただ自身の生命の循環に、平然と殺戮があるだけの少女だ。戦う者ではなく、殺す者なのだ。
そう、一方的に。
そしてそれを知らない裁定者は突然の命乞いに困り果てる。
あえて落ち着き払って攻撃を制したことで、彼女の中での自身の戦闘能力値が高めに設定されたことも知ることができず、殺すと言っていた少女が突然命乞いしてきたことに逆に不信感すら抱きそうになっていた。
魔力の量に質、扱える魔術の数とその威力。魔術に関してだけでも、彼女の方が戦闘能力値はズバ抜けて高いのは裁定者にとって明白。
なのに頭を下げ、泣き崩れて命乞いをしてくるその神経というか性格というか、彼女を形作る感情の根幹がわからなかった。
そうまでもして、彼女は自らの正体を知りたいのだろうか。自分の存在意義を見つけるという、思春期の子供ならば誰もが通るその葛藤のために、どうしてそこまで必死になれるのか。
そんなにまで必死になって命乞いをしてまで、見つけたいものなのだろうか。自身の存在意義、それは人間が必ずと言っていいほど辿り着く行き止まりで、しかし誰もが明確な答えなど出せずにいる問題ではないのか。
結局皆が揃いも揃って、自分は自分、だから自分にしかできないことをやればいいんだなどと、自分を慰めるような結論を出して納得するので終わるのではないのだろうか。
彼女がここまで命を欲し、そして玉座を求める理由は、他に何もないのだろうか――
そこまで考えて、考えるのをやめた。
裁定者は剣を治め、自身の胸元を絞めているスカーフを緩めて外すと、それを滅悪種に抛って渡す。滅悪種がそれを見て硬直すると、涙を拭けと促した。
涙を拭く滅悪種に、裁定者は吐息を投げかける。
「決定を言い渡す。我、裁定者への攻撃行為を不問とする。しかしこの戦争の秩序は知ってもらわねばならん。故に其方は我と共に行動せよ。其方が理解し切るまで、我が教え続ける」
「……おしえて、くれるの?」
「そうだ」
それを聞いて、滅悪種はパッと顔が晴れやかに澄み渡る。
首のない裁定者には表情がないので感情を見ることは難しいが、しかし難しくも優しい言葉をくれた裁定者に、彼女の中では笑って許してくれたように見えていた。
「……おし、えて、おしえて……! わたし、どうすればいい? どうすれば、天界いける?」
「フム。では現状を確認しつつ、少しずつ理解を深めていくとしよう」
戦争七日目の日が落ちる。
参加資格を失っても尚戦場にいた者は排除され、戦争を理解し切れていない者は、理解するために裁定する者と共にいることとなった。
そして、死に怯えていた騎士が勝利への意欲を芽生えさせたのに対して、一体の天使は今勝利への意欲を失っていた。
この戦争のために若干は解除されていたものの、しかし悩まされ続けていた脳の抑制と命令から、解放されたが故であった。
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