漆黒の笑み

 永書記えいしょきは安堵した。

 敵を屠り損ねて、安堵というのもおかしい話である。

 しかし今の一撃は、高名な騎士である彼女でも避けきれないと思い込んだ。しかしこちらの予想を裏切って、彼女は至近距離で繰り出された億の刃を躱した。

 さすがにすべてを完璧にというのも無理だったようだが。

 至近距離からの攻撃に対し、まず回避の行動に移ったが、しかし反射神経が突然のことにまだ寝ぼけていたようで躱しきれず、肌の表面を掠め斬られる。

 その痛覚が寝ぼけていた反射神経を叩き起こしたことで、その後降り注がれる刃を躱しきることに成功した。

 結果、骸皇帝がいこうてい魔天使まてんしの二人をその場から引き離し、無数と呼んでもいい数の刃がそそり立つ戦場の中で、掠り傷だけを受けた純騎士じゅんきしが立ち尽くしているという光景を作り上げた。

「信じていました、純騎士さん」

「……死ぬかと思いました」

 億を超える刃が、一瞬でまとめて消え去る。

 純騎士はレイピアを抜き、突撃の構え。

 対する永書記はすでに新たな魔術の記述を終え、次のページを捲っていた。いつの間にか、骸皇帝によって潰された顔は元に戻っている。しかし純騎士に開けられた額の傷は、開いたままだった。

「光の皇帝、闇の皇后。ここに愛を分かち合い、育み、永遠を誓う。さぁ、宣誓の口づけを……旧約生誕の書・序章・生誕の項目より抜粋……“光と闇交わってレフコ・カィ・マヴロ”」

 飛び上がった魔天使の背から、伸びる白と黒の混じった閃光。自在に曲折しながらもそれぞれが純騎士に向かって伸び、襲い掛かる。

 文字通り光の速度で襲い掛かって来た攻撃を、純騎士はレイピアで受け止めた。

 魔術を使って犬騎士けんきしの剛腕のおよそ三割を顕現、自らに加算して受け止めた。だがそれでも元より大魔術に匹敵する代物を受け止め切れるわけもなく、その圧力に吹き飛ばされて遠くの崖の断面に叩きつけられた。

「宣誓。我々は我らが勇姿と武勲を誇り、その誇りに賭けて我らが勝利を誓う。さぁ掲げよ、我らが星に捧げる凱旋の旗を。息吹く風は勝利の勲風。巻き起これ、凱旋の風。常勝の英雄の物語最終幕・決戦より。“息吹く英雄の武勲オ・アネモス・フォナゼイ・スィアヴェヴメノス”」

 永書記の魔導書のページが、次々と捲れる。それを巻き起こす突風が塊となって純騎士に突進し、純騎士を絶壁に張り付けた。

 凄まじい風圧に腕を上げることすら叶わず、身動きを封じられる。だが術者の永書記も踏ん張らなければならない風圧で、永書記は魔導書とペンを抱いて耐えるしかできなかった。

 故に風が止んだ時、純騎士と永書記は同時に動いた。

 距離にして約三〇〇メートル。馬騎士ばきしの走力と猿騎士さるきしの軽量化を加算した純騎士ならば、およそ七秒で縮める距離だ。

 そして同時、これから発動する極大魔術を発動するのに、永書記がかける最短時間でもあった。すでにペンを走らせて三秒。長文の半分を記述し終えている。

 地面を蹴り上げ、その跳躍力で前方に跳び加速していく純騎士の速度と、純騎士との距離を常時測りながらペンを走らせる速度を上げていく永書記の戦いは、どちらが速いかで勝敗を分ける。

 そしてこのとき、速度の領域で先に達したのは、永書記だった。記述を終えた魔導書が、文字を輝かせる。

「“神の後光・王の威光エンピストスィニィ・フォティナ”!!!」

 すべての生物を屈服させる神の光。それが魔導書から広がり始める。純騎士も迫っているが、あと半歩届かない。

 自由を奪われた純騎士が膝を折り、あとは骸皇帝が殺すまで束縛という展開は目に見える。だがそこで、純騎士はとっさの賭けに出た。

 その場で強烈な突きを繰り出し、そしてレイピアの先から高圧の水鉄砲を繰り出す。龍道院りゅうどういんの高熱すら振り払った青い閃光は永書記の肩を射貫き、魔導書を落とさせて吹き飛ばした。

 永書記の魔力を失って、魔導書は光を失う。だがわずかに光を浴びた純騎士はその効力によってわずかに体の自由を奪われ、その場で躓き転倒した。

 前回の戦いでは出て来ず、故に出てくることなど想定していなかった遠距離攻撃。突きの延長線上にしか伸びないため、正面にしか攻撃はできないが、しかし威力は抜群。

 永書記はその攻撃に肩を貫かれたことを、驚きはしたが臆することもなかった。むしろ感心した。さすがはエタリアの純騎士。攻撃手段がないわけではない。

「僕の魔術が発動後に潰されたなんて……初めてです」

「そもそもこの大陸に入ってからではなかったですか? この魔術を会得したのは……!」

「……そうでしたね」

 微量の光を受けて利かなかった自由が、徐々に回復していく。足元にある魔導書をレイピアで突き刺しながら、純騎士は辛うじて立ち上がった。

 このまま永書記に肉薄し、体を串刺しにすれば勝ち。だがそれは、生きている相手ならばの話。今の永書記は、すでに死んでいる体。殺しようがない。

 だが永書記はそんなことを忘れているのか、今から再び殺されるかのように語り始めた。

「聡明なあなたに二度も引導を渡されるなんて、光栄です。とはいっても、最初の死はほとんど記憶にありませんが……僕は、満足です。僕の敵があなたでよかった」

 純騎士のレイピアが、震える。一瞬だったが、しかし純騎士の戸惑いが見て取れた。

「死ぬ前に、再度忠告申し上げます。逃げてください。あなたでは、骸皇帝陛下は倒せない。今戦っている魔天使でも、おそらく……陛下は、ただの死霊魔術師ネクロマンサーではありません。歴史上例を見ない、僕ら永書記の記述にも前例のない存在です。もし弱点があるとすれば――」

 突然、言葉が聞こえなくなった。何故だか一瞬わからなかった純騎士だったが、すぐさま自分の両耳が後ろから手で塞がれているのだと気付く。

 そしてその手に力が入り、頭を捻じ曲げて首をへし折ってやろうとしたそのとき、純騎士は後方に肘鉄をぶつけて背後の何者かを揺らがせ、そして手の力が緩んだところにすかさず突きを繰り出した。

 腹の真ん中に風穴が空き、倒れる黒い人型の塊。わずかに見える目は白目を剥き、血の気が切れて死んでいく。純騎士はその正体も知らぬまま、敵を殺したのだと錯覚しそうになった。

「へぇ、やるじゃん」


「まともにやったら勝てなさそうだ」

 不意にまた背後――自身と永書記との間に入って来た何かに、純騎士は再びレイピアを向ける。しかしその誰かは刃のないレイピアの刀身を捕まえて、舐めるように手を滑らせて直進。純騎士との距離をほぼゼロにするまでに顔を近付けた。

「そんな神経立てるなよ。俺ぁちょっと話したいだけだって……エタリアの、純騎士」

 耳元で名を囁かれたことに、酷い悪寒が走る。レイピアで薙ぎ払おうとした純騎士だったが、その細腕からは信じられないくらいに握力が強く、離せなかった。

 こんなとき、先にしか刃のないレイピアは痛い。

「落ち着けって。んなことより、平気か?」

 漆黒に言われて純騎士はハッとなる。振り向けば背後では腹を貫かれ死に絶えたはずの黒が、低く唸りながら純騎士に手を伸ばそうとしていた。

 対処しようとするが、レイピアを掴まれて動けない。もはやこれまでかと覚悟さえした次の瞬間、風穴の開いた黒は壮絶に耳を不快にする悲鳴を上げながら溶けていき、液状になって息絶えた。

 一先ず助かったことに安堵を覚える純騎士のまえで、漆黒は高々と笑う。そしてレイピアから手を離すと肩を組み、純騎士の顔に指を立てた。

「いやぁ悪い悪い。ちょっと揶揄からかいたくなっちまって! いやぁやっぱ、死ぬって覚悟した奴の顔最高だわ! ……ホント、マジウケるなぁ」

 そのとき初めて、純騎士は男の顔をハッキリと見た。

 フードの下に隠れているために少し暗めに見えるが、痩せこけた白肌に切り傷のついた高い鼻。赤い瞳はまるで吸血鬼で、濃いクマがある。目蓋が重いらしく、半開きだが、しかし鋭い眼光を飛ばしている。

 その鋭い眼光を喜々として輝かせるその男は、高価なガラスを扱うかのように純騎士の顔に指を這わす。だが決して目線を合わせることなく、その視線はずっと遠くの光と闇の衝突に向いていた。

「見ろよ、あれ。すげくね? 骸骨皇帝が本気出そうとしてやがる。やっぱあの人に付いて行って正解だったわ。あの天使絶対死ぬもんな、ハハ」

「……あなたは……?」

「俺? 重複者じゅうふくしゃって言ったらわかるか? エタリアなら情報くらい入ってるだろ? 少しくらい。これでも結構有名なんだぜ」

「……どこの国にも属さない暗殺者と、聞いています。多重人格だとも聞いていますが……あなたは、主人格ですか」

「さぁどうだかね。俺ももう自分がどれで本体かどうかとか完全に忘れちまったよ。なんせ主人格が隠れてから、もう百年経ってるものな」

「百? そんな高齢なわけが……まさか、あなたも不死――」

「んなわけねぇだろ? 俺の魔術は特殊なんだ。一つの人格が死んでも、他の若い人格が生きてりゃその人格に体変えて生きてられる。寿命なんかじゃ死にやしねぇし、殺されてもなかなか死なねぇよ? 今さっきみたいにな」

 重複者はニンマリ、気色の悪い笑みを浮かべる。その指が純騎士の口に入り込み、口角を無理矢理上げさせた。

「まぁ笑えよ。笑えばとりあえずどうでもよくなるぜ? 諦めもつく。そのまま死んでくれると嬉しいんだけどなぁぁ?」

 重複者の手を払い除け、一定の距離を作ってからその距離を一気に縮めてレイピアで貫くのは至極簡単。

 だがその一撃で屠れる敵ですらなく、まずたった一本の口の中に入った指がそうさせない。黒肌というわけでもなければ衣服をまとっているというわけでもない、漆黒の指の気色悪さに負けて、動けなかった。

「ってかさ。わかんねぇんだけど、おまえなんであんな優男のこと気にしてんのさ」

 重複者が無理矢理指で引っ張り、永書記の方に顔を向けさせる。

 魔導書を失った永書記はというとその場に俯きながら立ち尽くし、動いていなかった。起動の時を待っている、魔導人形のようである。

 それを差した重複者は、滑稽だと言わんばかりに再び歪んだ口角で笑う。吸血鬼のように赤い目は、フードの下で爛々と輝いていた。まるでいたぶる相手を見つけた子供のようである。

「あんなのもう死体なんだぜ? 何を気遣う必要があるよ。それとも、これから自分がなる運命を先に見て怖じ気づいてるのか? かわいいなぁ……まぁ同情する気持ちもわかるけどな? 何せあいつなんて、もう操られてるんだから」

「二度……も?」

「そうさ。今は陛下の魔術で操られ、んでもってこの戦争に行くために禁忌の魔術と別の人格とその暴走を与えられた不運な男さ。可哀想だろ? 散々書記官としてこき使われた挙句、国のために戦えって無理矢理人格与えられてさ。それでどんな手段使ってでも勝てだもん。残酷だよなぁ? 残忍だよなぁ? でもそれが、超おもしろいんだけどなぁ? アッハッハ!」

 別の人格? 

 もしそれが、本当ならば――もしそれが本当なら、あのとき純騎士を殺そうとした永書記は、永書記ではなくて……いや、永書記本来の意思ではなくて……!

 純騎士の中で、酷い濁流が巡っているかのような気持ち悪さが込み上げる。だが同時、頭の中は澄み渡っていた。この頭の晴れやかさのために、体は重く気持ち悪いのだとさえ思う。

 もしも今重複者が言ったことが本当だったとしたら、もしかしたら――

「国のために戦うって決めたのに、国のために死ねなんて言われてさ。禁忌の魔術なんてあんな弱っちい人間に埋め込めばどうなるかわかるだろ? 元の人格はその圧力に押されて保てず、逃げ場を失って自壊する。後に残ったのは勝てという命令とそれに従う本能だけだ! 戦闘兵器にされてたんだよあいつ! 無様だよなぁ! これだから弱い奴は惨めなんだよなぁ!」

「は……」

「あ?」

はまっへふははぁい黙ってください

 純騎士がレイピアを振るう。切っ先が自分の方に向いたことで警戒した重複者は純騎士から自ら距離を取り、後退する。

 そして純騎士が馬騎士の走力と犬騎士の怪力とで得た突進力で持って突っ込むと、重複者の軽い体が撥ね飛ばされた。体重の軽い女の人格と体に変え、ダメージを最小限に食いとどめてはいるが、しかしそれでも折れた肋骨が肺を突き破って死に絶える。

 再び漆黒の中から現れた重複者は、今度は背の曲がった老人の姿で顕現した。

「なんと小癪な娘よな。そんなにあのワッパが大事か小娘!」

 重複者の咆哮も聞き捨てて、純騎士はその突進力のまま走る。レイピアを収めて、腕を振ってひたすら全速力で。

 そして骸皇帝の指示のない状態で呆然としていた永書記の頬を、大きく広げた掌で撃ち抜いた。

 

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