翼を持たぬ天使

 神話大戦大陸・アトランティア。

 その上空に浮かぶ天界の中――さらに詳しく言えば、天界でも地下と呼称される国の内部で、三番目トリトスはグラスを傾けていた。

「そういうわけだ二番目ディフテロリプト。俺は即刻、あの人を解き放ちたい」

 と呼ばれた彼に問う。三番目トリトスと同じく現在天界を支配する玉座の一つに座る彼だが、その容姿は実に幼さを残し、この酒の席はまだ早すぎるほど小さな体をしていた。

「そう急くな、三番目トリトス。煉獄が口走ったとはいえ、地上での奴の立場を考えれば、王国の騎士がそれを素直に受け入れるとは思えん。必ずや虚偽かどうかを疑い、腹の内に留めるはずだ」


玉座いす戦争ゲーム

 少年は幼くも、しかして慣れた様子で笑顔を歪める。その表情はまるで、普段から人を欺き翻弄し愚弄する、陰険で陰湿な老人のようだった。

 それに対して、三番目トリトスは苦笑を浮かべる。

 彼とは対等の立場にあるのだが、彼の方が先輩とあって少し委縮してしまう。さらに言えば彼の性格が陰険というか根暗なので、苦手な節があった。

 天界でも名の通り二番目の権力を持つ二番目ディフテロリプトだが、その実態は絶えず若い肉体を求める変態鬼畜ジジイだ。生憎と実力の方まで二番目とはいかないが、しかしながら権力はあるので逆らえない、と、なんだか嫌な老害である。

「しかしまぁ、誰から聞いたんだ? 元天使とはいえ、これを知るのはごく一部の者だけのはずだが……誰か、チクったか」

「しかし誰が、なんの目的で? これを奴に明かすメリットがわからない。堕天するような天使に、それこそ情報としてしか受け取らなかっただろう天使の頃に」

「そこが解明されれば、誰がチクったかはすぐにわかるだろうよ。三番目トリトス、おまえはこんなことにあいつを出せと言うのか?」

 少年の、しかしながら長い時代を見て来た先見の明で三番目を睨む。決して威圧ではないと言いたげだが、明らかに口調が威圧的だった。そういうところも意地悪だ、性格が悪い。

 まるで子供を甚振いたぶなぶり、もてあそぼうという口調と瞳で二番目ディフテロリプトは続けた。

「あいつを出すということは、この戦争を終わらせるという意味だぞ? 戦争ゲーム自体を強制的に終わらせる。勝者も敗者もない、無益な戦争ノーゲームにするということだ。

 今回はそんな予定はないだろ? もう勝者も決まってる。奴らはレールに沿って動き、互いが互いの役目を果たして自分が殺せる敵を殺すだけ。

 ただ一体の堕天使が、参加者の一人に勝手に内容を話しただけだ。それも、真実とはとても受け入れられない内容だ。これのどこに問題がある? 不満があるというのかね。

 わざわざ問題児を再び集めて二度目をやる必要はない。こちらも二度手間、地上も大混乱。これこそ問題なのだと、俺は思うがね? どうかね、俺は間違っているかね? ん?」

 相変わらず嫌な物の聞き方をする。一応訊いてはいるが、まるで反論を許さない訊き方だ。自分の意見が正しいのだと、これのどこが間違っているのだと疑っていない口調だ。

 まったくもって、激戦を制して玉座に座ったまではよかったが、二番目ディフテロリプトの下に就いたことだけは不幸だった。

 この老害に、会う度会う度この気持ちになる。これは何ハラだろうか。まったくもって訴えたい。もっともこの老害の上となると、さらに気難しい人に会わないといけないのだが。

 しかし、言うことは言わないといけないし、取らなければならない許可は取らなければならない。あの人を戦場に出すには、玉座に座る全員の許可が必要なのだから。

「……煉獄の魔天使まてんしの力を、正直侮っていました。天使の翼に武装まで失い、ただの雑兵だと思い込んでいた。しかし、実際はどうでした。天界こちらが送り込んだ翔弓子しょうきゅうしなどもろともせず、ベルサスの人間兵器すらも圧倒している。我々は奴を殺すのに、翔弓子かのじょで充分だと思ってしまった、違いますか」

「だからあいつを出すと? 浅はか、かつ衝動的だな。おまえは単に悔しいだけだろ、三番目トリトス。堕天使一人殺すのに、てこずってしまっていることに」

「それは……」

「頭を冷やせ。おまえのそれは軽率以外の何者でもない。それに、煉獄を殺す手段はまだある。ヴォイの骸皇帝がいこうていに深淵の滅悪種めつあくしゅ。異修羅もまだ、実力を出し切ってはいないだろう。可能性は充分にある――いやそれどころか、その可能性の方が高い」


「故にあいつを出す理由はない、以上だ。この話はもう終いとした、一切するな」

 一方的に切られてしまった。この老害は自分の中での用件が済むとそれ以上続けなくなる。まったく、これだから老害だと思われるのだ、この頑固ジジイめ。

 権力も度外視する実力者のまえでは、へーへーと言うことを聞くぺこぺこ人間の癖に。まぁそんな人間は数もいないのが現状なのだが。

 この天界の権力を説明すると、まず天界に住む選ばれた種族――地上では天族と呼ばれる人間達がいて、次に翼を持った天使族が多種多数。その中でもいくつかの階級制度があるのだが、そこの説明はこの場は省く。

 天使達を束ねるのが天使最高位の熾天使で、その数体の熾天使を統括するのが国で言えば大臣などに当たる重鎮。

 そしてそれら大臣を束ね、尚且つ天界すべての種をまとめるのが五つの玉座に座る支配者達である。

 これが基本構成。

 しかしこの権力図を横から崩す存在がある。それが翼を持たぬ代わりに意思と力を持つ三体の天使、例外ミ・ティピキィである。

 三体が三体とも翼を持たない、そして天使特有の武装も使わない。しかしながらその実力は、片手を振るうだけで天界を滅ぼす力を持つ。事実、天界きっての最終兵器だ。故に権力は玉座の支配者と同等、時によってはそれ以上になる。

 今回二人が話していたのは、その切り札とも言える存在を投入しようということだったわけなのだが、彼らには取扱説明書なんて親切なものはない。故に制御不能となった際のことを考え、三番目トリトス以外の全員が許可しなかった。

 まぁ元々、一人が許可しようと言うのだけでも例外中の例外だ。それが五人――否、四人全員の許可が出たことなど滅多にない。

 最近ではいつだろうか。前回――第八次玉座いす取り戦争ゲームのときか。珍しく、本当に珍しく天界の予想を裏切って、天界が用意したシナリオを覆してでの勝利で納まった、あの戦いの時くらいだ。

 その三体の誰かがもしこの場にいれば、二番目ディフテロリプトなど――

「いや、私が許可する。その話、続けるがいい三番目トリトス

 噂はしてない、が、来た。本当に。例外ミ・ティピキィの一人にして第八次において地上の汚点を消し去るため投じられた翼を持たない天使が。

二番目ディフテロリプト、貴様は感情的だな。自身の軽率な判断を認めまいと、実に必死に見える。もがくならそれ相応にもがけ。元地上の俗物アリの分際で、往生際が悪い」

 言葉は二番目ディフテロリプトよりも直線的。ネチネチとした言い回しなど皆無であり、言葉を選びながらも言いたいことを短く淡々と告げる。

 短い小麦色の短髪を揺らし、凛とした肉食獣のような鋭い眼差し。光を受けると水色の反射を返す装甲を首から下の左腕を除くすべての箇所にまとったその女性こそ、例外ミ・ティピキィの一角である最高位。

 名を、熾天使してんし。天使階級最高位の称号を、そのまま名に持つ女である。

 性格は至って強気。天族と天使の間に生まれ、天界ではごく平凡な一家に生まれたのだが、どんな教育の賜物なのか幼少より気品と優雅さを併せ持ち、比較的難易度の高い言葉を操る。

 そしてこれもまた教育の影響なのか、地上の生物すべてを等しく俗物アリと吐き捨てる冷酷な面を持っていた。

 ただその美しい容姿と凄みの出しにくい可愛らしく愛らしい声色のせいで、初見で彼女を敵視できる種族はそうはいないだろうが。

「それで? 三番目トリトスは誰を向かわせたいと言うのだ?」

 彼女の視線が、三番目トリトスに向かう。彼女が話を聞いてくれるのは実に嬉しいし、この場合に限っては好都合なのは間違いない。

 しかし勘違いしてはいけない。三番目トリトス二番目ディフテロリプトと同じ立場。彼女からしてみれば、元は同じ地上の醜い俗物アリなのだ。

 故に言葉は慎重に選ばなければならない。態度も、素振りも、毛先一つのなびき具合すらも注意しなければ、確実に殺される。彼女にはそれができる権限と、力そのものがあるのだから。

「今回の戦争において、最重要課題である堕天した天使、魔天使の排除。それが滞っているのです。我々が仕向けた翔弓子も、戦闘中の成長を加味して投入しましたが……」

「成長する前に殺される、か……なるほど? 敵を下に見過ぎたな。奴はかの銃天使じゅうてんしと互角に渡り合った天使だぞ? 堕天しなければ、確実に天使最高位に辿り着いただろう男だ」

「才能だけで言えば、翔弓子は魔天使を抜いていた、抜いているはずなのだ。だから彼女でいいと全員が了承した、なのに……クソめ」

「黙れ、二番目ディフテロリプト俗物アリの分際で天使を侮辱するな。殺されたいのか」

 自身の非を認めようとしない二番目ディフテロリプトに、熾天使は容赦なく俗物アリと吐き捨てる。

 その容姿と、まだほんのわずかの幼さを感じさせる顔からは、初見で彼女がここまで過激な言葉を使うなど、想像もできないことだろう。故にだからこそ、言葉の破壊力は凄まじい。

「べつに、あなたを罵っているわけでは……あぁ、いや……悪かった」

 二番目ディフテロリプトも言葉を選ぶ。

 実際の年齢で言えば、彼女のことを小娘と吐き捨ててもいいほどの差なのだが、そんなことを構うことなく罵声を浴びせ、時によっては容赦なく攻撃してくる彼女のことが恐ろしくて堪らない様子だった。

 そんな老人の心中を察しつつ、しかしてそれを無視するどころか利用して、熾天使はさらに強い言葉を重ねる。決して性格は悪くないと言いたいところだが、地上の俗物アリを嫌う彼女としては利用する以外の思考がなかった。

 故に、熾天使は指を動かす。

 それによって吹き飛んだのは、二番目ディフテロリプトの左小指だった。圧縮された激痛が脳へと走り、二番目ディフテロリプトに声を押し殺させた。

「今日のところはそれで済ます。また新たな指でも作って付けるがいい」


「さて? 話を戻すぞ三番目トリトス。ではあの魔天使を殺すのに、誰が該当すると思う?」

「……召喚士しょうかんし様が、妥当かと」

「……あぁ、奴か。この手の汚れ仕事は奴の分野だしな。しかし、奴では魔天使は倒せまい。奴の実力は――否、奴の呼ぶあいつらは確かに私と劣らない性能だが、しかし魔天使には及ぶまいよ」

「で、では……」

「迷うことはないだろう。

 その言葉に、二人は驚愕した。

 いや三番目トリトスからしてみれば、事実ありがたい話なのは変わりない。しかし熾天使が自ら戦場に出ると公言したその戦場が、のもまた事実だった。

 二人は悟った。神話の時代から語り継がれ、伝説にも記された大陸の滅びを。

「それで問題はないな」

「あ、いや、その……あなたの手を煩わせるほどでは……」

「そうか? 私の手を煩わせてまで、奴を殺したい。違うのか?」

 あえて、彼女は二番目ディフテロリプトの真似をして意地悪に訊く。二人が口を結び、返答に困っている様子を充分に楽しんだ彼女は、ここで初めてクスッとだけ笑った。

「ではこうしよう。現在の残りは八人だったな。ではあと三人減るまで様子を見よう。それまでに魔天使を殺せる算段が付けば娘に任せ、どうしようもなければ私が出る。

 何、私はこう見えて気長なんだ。三人減るまで悠々と待てるさ。一週間……いや、そんなにかかるか? だがそれくらいで減るだろう。実際、あと半日ほどで一人減るようだしな」

 何を根拠にしているのか、しかし今まで九分九厘当てて来た先見の明で未来を告げる。彼女は再び指を動かし、ワインセラーの中にあった一本のボトルを手に取った。

「では私は武器を手入れしておく。戦場の観察を怠るな」

 言葉には熱があり、重みがあり、そして鋭かった。玉座に座る二人の支配者は黙って言うことを聞くしかなく、何も反論できなかった。

 実際、このあと彼女が何かを思い出し、そういえばと続けた言葉にすら、一喜一憂してしまうほど、彼女のことを恐れていた。

四番目テタルトスの調子はどうだ? 病床に伏せていると聞いたが」

「あ、いえ……先ほど薬を飲まれて、だいぶ落ち着いたとか」

「そうか……彼女の容態もしっかり見ておけ。あれは地上でも有数の一等星だ。何せ、私を蹴散らして玉座に座ったのだからな」

「は、はい……」

「では私はこれで。四番目テタルトス――白雪姫しらゆきひめのことは頼んだぞ?」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る