崇める者・崇められる者

「あれは……一体……」

 龍道院りゅうどういんは目を疑っていた。

 戦いの最中に遥か遠くから轟音が響いたかと思えば、大陸の山の一つが浮遊しており、次の瞬間にはそれが元の場所に向かって真っ逆さまとか、この状況を見た目を疑うしかない。

 そしてその山が落下した衝撃で爆音と地震でしばらくその場で踏ん張っていたかと思えば、今までずっと戦い続けていた骸骨兵達が次々に崩れ、土に還ってしまったではないか。

 まさか今のが誰かしらの攻撃で、その攻撃を受けた軍勢を操っていた魔術師が死んだ、なんてわけではないだろうなと、龍道院は思う。

 もしそうならば、喜ぶべき情報と嘆くべき情報との二つがある。

 喜ぶべきなのは、この骸骨兵達ともう戦わなくていいということ。

 嘆くべきなのは、その魔術師一人を殺すのに、大陸の巨山を持ち上げて撃ち落としたなんて神話の所業でしかないことをやってのける魔術師がいるということ。そんな相手と対峙して、勝てる算段なんてまるでない。

 できれば出会わないまま終わることを願うばかりである。

 だがしかし、死屍の兵団ともう戦わなくていいのは幸いだ。戦争二日目の夕刻から四日目きょう昼間いままで、丸二日は戦っていたので、正直参っていたところだ。

 体力の問題はない。そこは世界最強である龍族の血筋だ。自身が誇る最強魔術を、丸五日行使したところで平然としていられるだけの体力はある。

 だが気力はそうはいかない。龍族ではなく人間として育てられた龍道院に、何日も戦い続ける気力はない。どこかで必ず嫌になり、戦いの終わりを願う瞬間がやってくる。ようは厭きの問題だ。

 ずっと同じ戦いを続けていると厭きが来る。ただ弱い敵を掃討し、狩るだけの戦いなど、無益なものだ。何も得られないし何もない。

 まぁ今までは孤児院を守るために戦っていたので、得たものは元々ないが、実績としては孤児院を守れたということくらいだろう。だから満足ではある。

 でも今やっているのは、守るものがすぐ近くにない戦いだ。

 この戦いの結末が、後々孤児院のためになるのかもしれないが、その結末がすぐに訪れるものではないので、飽き性の彼女からしてみればそれは長く感じられる。

 正直戦争に参加しておいてなんだが、今まで短期決戦したことしかないためにここまでの長期戦に慣れていない。戦士ではないので無理もないが、集中力が持たないのだ。

 故にこの丸二日の戦闘で、龍道院はすでに戦った気になっていた。

 それが甘い考えだと知るのは、本人も予期し得ないわずか数十秒後のことである。

「“四方同時射撃バラガルング”」

 龍道院は再び、目を疑った。

 気付けば自身を取り囲むようにして、光の矢が四方から飛んできているではないか。距離にして一メートルないくらい。ギリギリ回避できるか否かというところ。

 状況の確認をしたいところだが、そんな暇はもちろんない。矢が迫っているという状況確認を終えたばかりの脳を置き去りにして、脊髄から送られる電気信号を受けてでの最速の反射速度で跳び上がり、同時に来た攻撃を回避した。

 ――が。

「“暴発エクリクスィ”」

 魔力の塊である光の矢が一瞬のうちに膨張し、爆発を起こす。光の柱が爆音と共に立ち上り、上に回避した龍道院を焼いた。

 が、龍道院はすぐさまその柱から離脱する。修道服がほんの少し焼けたが、体はほとんど無傷だ。炎を操る龍の鱗が、多少の熱で焼けるわけがない。矢が刺さっていた方が、よっぽど致命傷だ。

 着地すると数度転げ、その勢いで立ち上がる。気配と魔力とを同時に感じ取った空を見上げると、今の攻撃をしたのだろう魔術師がそこにいた。

 その姿を見て、龍道院は絶句する。

「こど、も……?」

 青い髪留めで横を留めた、白銀にほんの少しの青みが混じった長髪。肩と腹部を露出したセーター生地の胸の膨らみには、蒼い宝玉がついている。

 絶対領域を出したショートジーンズに、左右で丈の違う焦げ茶色のブーツ。ボーガンを備えた左腕には、この戦争の参加者の証である水色の魔術刻印が施されている。

 一三八センチという小柄に治まったその華奢な体から溢れ出てくる色気は、本人も隠す気がないのだろうが留まるところを知らない。

 胸の膨らみといい露出している腹部のくびれ具合といい、彼女は実年齢よりも実に成熟しているように思える。

 それでも龍道院が子供だと言えたのは、彼女の身長とまとっている鋭利ながら幼げな雰囲気からだろう。

 本来ならば天使の象徴である翼に目が行き、天使だと驚くところだが、生憎と子供が戦争に参加しているということが龍道院にとっては重大過ぎて、まったく意識の内に入ってこなかった。

「……状況確認。奇襲失敗。

 敵へのダメージ、ゼロ。やはり炎を司る相手に爆光は効果が薄いと判断します。故に私の持ちうる手段として、矢での直接攻撃を推奨します。自身への命令オーダー確認。

 また、敵がこちらの座標を捕らえた模様。攻撃可能範囲が不明のため、遠距離からの牽制攻撃を主軸として戦闘し、撤退。もし可能であるならば、標的ターゲットを殲滅します。

 了解ラジャー。これよりその他一切の思考を停止。対炎系統魔術師実戦訓練兼玉座いす取り戦争ゲーム勝利のための戦闘を開始します。

 攻撃準備スタンバイ――」

 まるで機械のような言葉を紡ぐ彼女の台詞を、ただ茫然と聞いていた龍道院はまだ動かない。

 現在彼女の脳内は、攻撃してきた参加者の一人が子供だという事実に驚愕し、沈静化させる作業に多忙していた。

「コード・ツー。空間座標把握。敵魔力量、及び質を算出。距離一二〇。魔術による空間侵食率、一三パーセント。発射まで、五秒前ファイブカウント……」

 ここで龍道院の脳内処理が終わる。

 死屍の軍勢が消えると同時、消していた漆黒の巨鎌きょれんを再び握る。両翼を大きく広げて光の矢を向けている彼女と相対し、大きく鎌を振りかぶった。

「九方向同時射撃。巨岩を砕く貫通の矢……“防御不可能ポレス・シノイキィス”」

「“罪人殺しの煉獄直斬ドラコス・トゥ・カッサァトゥリオ”!!!」

 上空から放たれたのは、巨大な光とそれを追いかけるように螺旋状に蠢き走る光の矢。対するは、龍の一角を模した轟音をまとう巨大な炎の斬撃。

 お互いが、厖大な魔力を持った大魔術。その衝突は弾け、光は音を置き去りにして周囲を照らす。

 遅れてやって来た衝突音が轟き、爆音となって散開した次の瞬間には、勝負は決していた。

「……戦闘、終了。ここからは一方的な殲滅に移ります」

 酷薄に告げる少女を、龍道院は見上げる。

 炎で多少威力を殺したとはいえ、大魔術である光の矢をもろに喰らった彼女の修道服は、ズタズタで、とくに小さな矢の一つの直撃によって貫かれた右脚は、肉がげて骨が見えていた。

 だがそんな傷、龍道院にとっては今はどうでもいい。今は眼前でボーガンを向けている少女の方が先決問題だった。

 故に、龍道院は右目蓋を流れる血を拭いながらも叫ぶ。

「あなた! なんでこの戦争に参加しているの?! 国のため?! 愛する誰かのため?! 何故……!! あなたみたいなまだ幼い子供が、こんな戦争なんかに――!!!」

「それが理由ですか? 私が子供だから、手を抜いたと言うのですか?」

 そう、今の攻防で、龍道院は明らかに手を抜いた。

 無論、大魔術を使うだけの魔力を消費したし、魔術を繰り出すのに全力で鎌を振った。だがそれは、必要最低限の力のみ。

 あくまで今の魔術は少女が放った大魔術をに振ったのであって、少女にまで届かないように振ったのだ。

 故に最初から、当てるつもりもない一撃だった。それを、少女もわかっていたのだろう。少女は嘆息を漏らして、龍道院を狙っていたボーガンを下げた。

「理解不能です。私は見ての通り天界の天使。あなた方人間とは、そもそも年齢による肉体の衰え方が違います……まぁ、あなたもただの人間では、ないようですが」

「天使……天界の?」

 龍道院の瞳に、今更彼女の両翼が映る。

 天界が吐くように彼らを神とするならば、天使はいわば神の使い。神と同等に、崇拝すべき存在である。だがあえて繰り返すが、それは彼らの妄言通りに天界を神とするならば、だ。

 天界を単なる空に浮かぶ国とすれば、天使も空を飛ぶ国に住む一種族に過ぎない。龍と人との間に生まれた龍道院と同じ、ただの生命だ。

 故に天界を神としては見ていない龍道院からしてみれば、天使は一個性に過ぎない。彼女にとって重要なのは、彼女がまだ幼さを残す子供だということだけである。

「私の肉体は、確かにまだあなた達人間の尺度で計れば一三歳にもならない未熟なそれです。ですが、実際はそのおよそ五倍の年月を生きています。人間で言えば、約六五歳。とんだ年寄りです」

 冗談で言っているようにも聞こえるが、しかし少女の表情を見る限りは冗談を言っているようにはまるで見えない。

 彼女はただ淡々と、事実のみを述べているだけだった。

「故に子供の体とはいえ、手加減する必要はありません。もっとも、子供とて必要であるならば武器を持ち、戦いに出るべきですので、子供が相手なら手加減をしようと言うあなたの思考回路は、戦闘においては邪魔でしかありませんが」

「天使族……なるほど、通りで空飛んでるわけだわ。全然、気付かなかった……けど、そんなの関係ない!」

 元より大きく膨らんでいる胸部を、深く息を吸うことでより大きく膨らませ、そして叫ぶ。

 それは、まさしく龍の咆哮。敵を威嚇し、鎮圧し、制圧する龍の叫囂きょうごう。声の振動は空間を伝播し、鼓膜を破かんとする炸裂音に成り代わる。

 華奢な上に細い体のため、体重がほとんどない少女は、その咆哮で思わず吹き飛びそうになる。

 しかしそれは、結局は咆哮。魔術でなければ攻撃ですらない。ただただ龍道院の人間の喉に負担を掛けるだけの、ただの叫喚に過ぎなかった。

「世界最強の龍族を舐めないことね! 天使なんて簡単に喰らいつくすわ! ましてや子供の体で私に勝てるだなんて、思い違いも甚だしい!」

 骨が剥き出た脚を出し、その脚から炎を燃え上がらせる。すると焼けた肉が溶けて骨を出している部分に垂れ落ち、骨をまとう新たな肉となった。灼熱を帯びて赤く輝く、龍の鱗付きである。

「再生魔術……いえ、違いますね」

 そう、これは単に龍族が持つ治癒能力。受けた傷などこうして魔力を帯びさえすれば、たちまち塞がり回復する。

 魔力がなければ使えないが、逆に言えば魔力さえあれば負けはない。そういう能力だった。

「私に勝てるなんて思うなよ! 手加減してでも、あなたの大魔術を相殺するだけの力が、私にはある!」

 枯れた声で、潰れかけた喉で、龍道院は続ける。握りしめた鎌には、紅蓮に輝く炎が鋭い刃を作り上げて威嚇していた。

「一方的な殲滅?! そうね、確かにそうだわ! このまま戦えば、まさしく殲滅よ! あなたを、私がね!!!」

 普段から度々人に見える八重歯が、さらに鋭く尖っていく。肌を覆う鱗の数が、少しだけ増える。

 龍の眼はさらに眼光を鋭く、少女の像を射抜き見る。

「来るなら来い! 私は龍道院! この腐った世界を燃やすため! 世界で死んでいく子供達のため! これからを生きていく子供達のために戦う者! 例えあなたが子供だろうと! 例え私が崇める者で、あなたが崇められる者だったとしても! 私は他でもない子供達のために、あなたを殺す! 覚悟はいいか!!!」

 咆哮を終えた龍道院は、もうしばらく大声が出せないほどにガラガラだった。息をするだけで、喉の奥が痛い。

 だがそれだけ負担をかけてでも、やっておかなければならなかった。やらなければ、本当に彼女を殺さなくてはならなくなる。

 これは虚勢であり、牽制だ。こちらに、彼女を傷付ける気などない。

 龍の声量で咆哮したのも、傷を負った脚をこの場で無理をしてでも治したのも、派手に炎を荒げたのも、すべては彼女を怖じ気づかせ、この戦線から撤退させるための演出でしかない。

 いくら孤児院の――否世界中の子供達のためだったとしても、龍道院に子供を傷付けられるだけの冷酷さはない。

 相手はまさしく、目的のためなら手段を選ばないと言ったような顔をしているが、龍道院はあそこまで酷薄にはなれなかった。

 だから、龍の眼差しでキツく睨みつけながら祈る。

 お願い、ここは退いて……あなたは戦っちゃいけない……あなたみたいな子供と、私は戦うわけにはいかない……だって、だってそうでなきゃ……私はなんのためにこの戦争に――

「……なるほど、一理あります」

 少女が途端に呟く。その表情は未だ機械的で、眉一つ変わっていないが、しかし何か思ったような光を瞳の奥に隠し持っていた。

「お詫びと共に訂正しましょう、龍道院。確かに、一方的な殲滅というのはあなたの力を過小評価していたようです。あなたほどの方が相手なら、確かに死闘は必至。私も無事では済まないでしょう」

 退く……?

「上場、という言葉が相応しいかと思います。あなたを倒せれば、このあとの任務に支障はなくなりそうです。故に全力で、あなたを狩りましょう」

 やるんかい……!!

「出来ることなら、全力での抵抗を所望します龍道院。でなければ、彼を殺せるだけの経験値を、得ることが叶いません」

 少女はボーガンを再び向け、光の矢を装填した。その目に、まったくの躊躇いがない。

 あまりにも機械的過ぎるその酷薄な色彩を持つ虹彩に、龍道院の背中は悪寒を走らせた。

「では、対炎系統魔術師訓練――少々訂正。対炎系統魔術師訓練を、改めて開始致します。敵を龍族の龍道院。訓練を行いますのは、天使族の翔弓子しょうきゅうしで……では、戦闘開始スタンバイ

 

 

  

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