交渉
目の前の女性騎士は、なんというか綺麗な人だった。
大きな赤いリボンで後ろに結んだ青白い長髪。スラリと高い背の女性的な体——主に左肩と右腕に腹部、そして脚にまとわせた純白の鎧。
その外見からにじみ出る雰囲気には、騎士としての気高さや威厳を感じられる。騎士というよりは、聖女に近いかもしれない。
そんな彼女が握るレイピアだが、先端にしか刃のない剣なのに全身から鋭さを感じる。先ほどあの刀身に殴られたが、一瞬斬られたと思ったほどだ。
騎士としての気高さもさることながら、人間としての善性も捨ててはいない。現にこうして、自分の話を聞いてくれるのだから優しい人だ。
だが指名や仕事は必ず果たすだろう。例え殺害命令でも、それが国を守るため己を守るための殺害ならば、一切の迷いなくやるはずだ。
だが卑怯な手は絶対に好まない。例え同じ殺害命令だとしても、彼女は真正面から戦って殺すだろう。
そんな女性だからこそ、彼女は騎士としての高貴さを初見でも感じさせられる。彼はそんな目で、目の前の騎士のことを見ていた。
そんな相手に、これから交渉をしようというのだから気が気ではない。下手をすれば、確実に殺される。
「まずは自己紹介から。僕は図書館と呼ばれる国、リブリラから来た
王の命令は、勝って玉座を手に入れること。今後この図書館から、第二第三の参加者が出るとは考えられないと、僕に命運を託しました」
「なるほど。あなたの忠義心は存じませんが、あなたもさぞ負けられない立場なのでしょうね。それで? だから見逃してくれ、ということですか?」
「いえ、正直なところ、僕はこの戦争で勝つ気なんてありません」
「え?」
人間の嘘には多少なりとも敏感であると自称している彼女だが、このときの永書記の顔は読み取れなかった。
まるで嘘なんてついてない、本気の顔に見えたからだ。
「僕のこの戦争での目的は、よりよい人物を選定し、その人に玉座を託すことです。つまりは自分の勝利ではなく、世界の平和を目指すということ」
「じゃああなたは、自分の勝利は目指していないと言うのですか?」
「はい」
そんなこと……。
「信じられるとでも? 私もあの玉座に関しての欲求は薄い方だと自覚していますが、勝利を目指していないわけじゃありません。あなたにその意思がないと、どう証明できますか」
でなければ、嫌々こんな戦争に参加している自分が、死にたくないから勝とうとしている自分がバカみたいではないか。
そんなに簡単に敗北を選べるのなら、気苦労などしない。何せ敗北した後がどうなるかわからないのだ。この戦争に参加した歴代の猛者達は、全員、帰って来ていないのだから。
「そこは信じていただく他ありません……」
「やっぱり」
「ですが、今の言葉で少しわかりました。あなたは僕と同じく、そこまで玉座が欲しいわけではないようだ」
「だったらなんだと言うのですか? まだ交渉の余地があるとでも?」
「……はい」
「なら言ってみてください。あなたはこの場で見逃してもらえることと引き換えに、私に何ができますか? 見たところ、あるのはこの本のみ。それで一体何ができるのですか?」
「あなたを守れます」
「は?」
思わず訊き返す。今のはさすがに、聞き間違いか何かと思った。
だってそうだろう。
たった今出会ったばかりで、今まさに自身の命を取ろうとしている女性を守るだなんて抜かしているのだ。危険度はいくらか刷り込まれているはず。
それなのに守れると言い切るとは、余程の善人かお人好し。もしくは阿呆である。
「あなたは言いました、玉座への興味は薄いと。なのに勝とうというのは、おそらく僕と同じく国に命じられたからか、死への恐怖から。だから勝とうとしている」
「だったらなんですか」
「確かに、今までの戦争の敗者は一人も帰って来てません。ですが、あのルールを聞く限りは、勝者以外の全員が死ぬ必要はない。誰も死なずに勝負が決することだってあるでしょう。
それでも帰って来ていないのは、その
つまりはこの戦争、そもそもが勝者以外の全員を殺す計算で動いている」
「だから、それがなんなんですか? 今までがそうなら今回も同じでしょう。玉座の位置を知る方法が他を殺すしかないのですから当然です。故に今回も、勝者以外は誰も生き残れない」
「でももし、玉座の位置を知る方法が、他にあったなら?」
「え?」
「もし参加者を殺すこと以外に、玉座の位置を知る方法があるのなら誰も殺さなくて済むということです。そして僕は、その方法を一つ持っています。
今あなたが持っているその本は、僕のたった一つの魔術を発動させるための触媒です。それさえあれば、僕は天界の玉座の位置を知ることができます」
話が見えてきた。
つまりは彼の力を利用すれば、誰かに命を狙われる間もなく、かつ誰かを手にかけることもなく勝利できる。殺されることはない。
なるほど確かに良い条件だ。これ以上ない交渉材料だろう。
玉座の位置を知れるというその魔術の信用性が問われるが、そこはおそらく解放してくれたらやりますよ、と来るに違いない。
ならばどうするか。この好条件。手放してしまうのは確かにもったいない。
「なるほど、うまい話ですね。ですが、そんなルール違反を天界が許すとは思えません。バレた瞬間には即座に対処されて、使いものにならないではないですか」
「それはありません。天界だって、玉座の位置を知る方法が他にあることくらい存じているはず。禁止ならばルール紹介の際、言ったはずでしょう。
それでも言わなかったということは、禁止していないということ。おそらく玉座を見つける方法が、他には極端に少ないのだと思われます。
だから僕の魔術は、いつでも使用可能です。途中から奪われることもない。これは大きな利点と言えましょう。僕の魔術があれば、あなたは無傷で勝利することも夢ではない。そうではありませんか」
話がうまい。確かに今までの話を考えれば、彼を生かしていち早く勝利するのが得策だろうことは考え付く。
だが――
「……あなたは先ほど言いましたね。よりよい人物を選定し、その人に玉座を託すと。
今あなたが選定しているのは私だけ。今後他の参加者とも、接触しないとは限りません。もし他の参加者と接触し、私よりも優れた人間だと判断したのなら、そのときあなたはどうしますか?
私を斬り捨て、その人に協力するのではないですか? あなたが私の勝利のために、誰にも付かずに奮闘すると言えますか」
そう、その可能性に辿り着く。
彼が自身の目的を果たすのなら、それは純騎士でなくてもいいだろう。純騎士よりもより気高く、世界を思うような人間が現れれば、彼はそちらを優先するだろう。
そのとき、純騎士は裏切られる。そうわかりきっているというのに、手を組むのはメリットが少なすぎる。
ならば裏切られなければいいと思う人もいるかもしれないが、生憎と先ほども言った通り、彼女自身は玉座を目指す理由がない。玉座を狙う明確な目的がある人と比べれば、気持ちは大きく欠けるだろう。
裏切られる可能性は、充分にあり得る。
「……確かに、あなたよりも世界を思う方が現れれば、僕はその方に玉座を託すでしょう。だけど僕は、絶対にあなたを殺さない。だって玉座の位置がわかる僕には、あなたを殺す理由がないのだから」
「あなたにはなくとも、その人にはあるかもしれません。そのときはどうするのですか? あなたはただ、傍観しているだけですか。だって、助ける義理もありませんしね」
「そのときも任せてください。僕が交渉します。例え交渉に失敗したとしても、僕が必ず守り抜きます。約束します。約束させてください、お願いします」
「……言いたいことは、もう終わりましたか?」
「はい。僕に言えることは、もうありません。後はあなたが決めるだけです」
「そうですか」
殺すなら今しかない。今なら少し腕に力を入れれば、その喉を貫ける。
だが、たったそれだけなのに力が入らない。というか入れられない。
躊躇している。ここでこの男を殺すことを、惜しいと思っている。殺してしまっては、自分は勝てないと思わされている。彼の交渉術が、巧だったということか。
いや違う。彼はただ訴えただけだ。
自分は使える。自分ならあなたを守れる。自分さえいれば、誰にもあなたを傷付けさせない。そんな、プロポーズで言ったら少し寒いかもしれない言葉を告げただけだ。
たったそれだけなのに、ここで失ってはいけないという気がしてならない。何故だろう。
やはり誰にも殺させないという言葉だろうか。誰からも守るという意思を感じるからだろうか。
生まれてすぐに騎士道に憧れ、騎士道を歩んできた彼女からしてみれば、そんな言葉は新鮮過ぎる。
守ることはあっても、守られることはなかった今まで。だから守ってくださいと言われたことはあっても、守ってあげるとは誰も言ってくれなかった。そんな一国の姫君のような甘い妄想を、いつの間にか繰り広げていたというのか。
恥ずかしい。この上なく恥ずかしい。兄に知られたら鼻で罵られる。
だが今、その兄はいない。今決定権があるのは、彼女自身の意思。それだけだ。彼の言葉に惚れるも捨てるも、自分で決めることができる。
ならばどうするか。兄の重圧も騎士団の誇りも国の威信も何もかも背負わなくていい今この瞬間だけを、果たしてどうするべきなのか。
純騎士は考え、そして決めた。
膝の上に本を乗せる。おもむろにレイピアを収めると、先ほど仕留めたクマを担ぎ上げた。
「その程度の拘束、さっさと解いてください。ここから移動しますよ」
「え、じゃあ……」
「あなたを捕まえた時点で、戦争開始まであと五分くらいでした。となれば、もう始まっているはず。とりあえず最初の玉座がある地点まで、移動しましょう」
「あ、ありがとうございます!」
「い、いいから早くしてください。私を守れるというのなら、その程度の拘束なんとでもできるでしょう」
「あ……それが、その……この状態で魔術を使うと、その……僕が死んでしまうというか、なんというか……」
「魔術の制御ができないのですか? そんなんでよく、私を守ると言い切りましたね」
「その……ごめんなさい」
言えない。まだ身に着けて一週間も経ってないだなんて……。
「仕方ないですね。じゃあ代わりに、このクマ運んでください。男なんですから、それくらいは頼みます」
「そ、そのクマをですか……あぁ……はい、わかりました」
ずっと図書館に籠っていて、筋力は常人の半分以下だなんてますます言えない。
純騎士を守ると誓ったのは嘘ではないが、交渉のためとはいえ軽く口にしたことを早速後悔した。
というか腕っぷしが女子より劣るなんて、男としてみっともない。意地っ張りな性格だとは思っていないが、ここは意地で担ぎ上げよう。
手と足の拘束を解いてもらった永書記は、少し立ちくらみしながら立ち上がる。そしてまずクマを担ぎ上げるまえに、純騎士に向けて手を差し出した。
「改めまして、永書記です。よろしくお願いしますね、純騎士さん」
「……えぇ、よろしく」
握手には応じず、背を向ける。交渉には応じた純騎士だったが、まだ握手できるほど警戒を解いてはいなかった。
「では行きましょう。まずは天梅雨を避けられる場所を探して食事にします」
「は、はい……そうしましょう……ぼ、僕もお腹空きました、し……」
「その……大丈夫ですか?」
「えっと……だ、大丈夫、です……はい、なんとか……」
足腰が震えているのだが、そこはツッコまない方がいいのだろうか。
ともあれ、なんだかフワフワした感じで、純騎士と永書記の戦争は始まった。そして開始七分で、二人は手を組むことになったのだった。
そんなわけで、第九次
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