伏姫

黄鱗きいろ

第一話

 僕の生まれた家は、士族の家柄だった。


 これは、時代が昭和に入ったばかりの夏の話だ。僕はまだ尋常小学校の二年生で、たったの八歳だった。あの頃の僕は幼くて思い上がっていて傲慢だった。そんな時分の話だ。



 二年生に上がったばかりの頃、母様が肺結核で死んだ。

 泣いて縋ろうにも病がうつってしまうからと言って、死に目にも会わせてもらえなかった。


 多分、そのことがしこりになったのだろう。二か月も経たずに現れた新しい母様を、僕は「母様」だとは思えなかった。当時の僕は、本当の母様が死んだことに実感が持てなかったのだ。それなのに現れた見知らぬ女に懐けというほうが無理な話だ。


 母様の墓は実家の方に作られるとかで、遺骨は早々に屋敷から持ち去られてしまった。結核を広げないようにと、私物も全て処分されてしまっていた。僕は母様の名残に縋ることもできなかった。


 母様に懐かない僕の居場所は徐々に屋敷から無くなっていった。父様は新しい母様を愛していて、新しい母様に懐かない僕を叱るようになっていったのだ。


 当時の僕はさんざ考えて、裏庭に母様のお墓を作ることにした。お墓と言っても中身はない。ただ、盛り土をして、大きな石を置いただけの墓だ。


 僕はそれに手を合わせることで、人知れず母様をしのぶことにしたのだ。





 その日も、僕は裏庭の奥まった場所に作った母様の墓参りに出かけていた。隣には飼い犬の八房も一緒だ。八房は屋敷の中で孤立していた僕の唯一の味方だった。僕が跨がれそうなほど立派な犬で、幼い頃からよく遊んでもらったものだ。


「八房、あんまり遅いと置いていくぞ」


 藪をかき分けながら言うと、八房は小さくバウと鳴いた。賢いもので、大きな声を上げればここが見つかってしまうことを知っているのだ。僕は八房の首を一撫でしてやった。


 時刻は夕暮れ時で、空は朱色に染まりかけている。それなのに纏わりつくような生温い空気はそのままで、夏が終わるのはまだまだ先だということが知れた。


 僕はごわごわの毛皮を纏った八房の背に手を置きながら歩き、木の根元に隠すようにして作った母様の墓へと辿りついた。


 しゃがみこみ手を合わせる。八房もぼくの隣に座った。目を閉じると、八房の呼吸音と、さわさわと風が葉を揺らす音だけが聞こえる。


 こうしていると母様と八房と三人で、庭で遊んだことを思い出す。八房と僕が泥だらけではしゃぎまわっているのを、母様がよく諌めてくれていた。――もう届かない昔の話だ。




「こんなところで何をやっているのだい?」


 背後からかけられた声に振り向くと、そこにはセーラー服姿の女学生が立っていた。


「フセさん」


 彼女が何だったのかは今ではよく思い出せない。もしかしたら使用人の娘だったのかもしれないし、新しい母様の連れ子だったのかもしれない。とにかく僕たちは同じお屋敷で暮らしていたのだ。


「母様のお墓参りだよ。フセさんこそ此処に何の用」


 つっけんどんにそう問うと、フセさんは拗ねたような顔をした。


「君、そんな他人行儀な呼び方は止めようじゃないか。仮にも一つ屋根の下に住んでいるのだから」


 思いがけず幼い表情をした彼女に僕は驚いてしまって、肯定とも否定とも取れないうめき声をあげるしかなかった。すると彼女は、今度は大人の女性のような艶やかな笑顔を作ってこう言うのだ。


「姉様とお呼びなさいな。今日から私は君の姉様だ」

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