告白

@Azumari123

第1話 告白

 先週までは冷え冷えとしていた屋内も、今朝は暖かい空気に包まれていた。校内のあちこちから声が聞こえ始め、昇降口は登校してきた生徒たちで一杯になる。いつもの朝と変わらない光景だけど、それを見れるのも今日で最後だと思うと、不意に寂しくなった。

 僕は邪魔にならない場所で立っていた。……なんだか緊張するな。小さな息を、吸って、吐いて。行き交う人たちを見ながら、じっと待つ。と思いつつ、じっとはしてられないので腕時計に目をやる。あ、思ったより約束の時間が近い。そろそろかな。

「おはよ」

 爽やかな声に目を向けると、見知った人がいた。健康的に焼けた肌に、黒縁の眼鏡。同じクラスの佐倉美保が、紺のスカートを小さく揺らしながらやって来た。

「おはよう」

挨拶する声がどこか変だ。語尾が震えているような気がする。大丈夫か、自分。

「もう、卒業なんだね。早いね」

「うん……」

気さくに話す美保を前に、僕の視線はブレブレだ。会ってからどう持って行くかを、ちゃんと考えていなかった。

「ちょっと……散歩しない?」

 提案してから思い直した。何を言っているんだか。

「うん、いいよ」

 僕の奇妙な提案に、美保ははにかむ笑顔で応えてくれた。変に思われなくてよかった。その優しさに、今まで何度救われたことか。

「じゃあ、行こうか」

 どことない気まずさをかき消そうと、僕は足早に歩き出した。美保もついて来ている……と思う、多分。

 登校してきた人の群れをかき分ける。卒業する人もそうでない人も、なんとなく浮足立っているように見える。それだけ特別な日ということだろう。そして、そんな今日というこの日。

 ――僕は、美保に告白する。



「いい天気だね」

 快活な声で、美保がそう言った。つられて上を見ると、本当にすっきりとした空だった。一面に青が広がっている。

「本当だね。卒業式にふさわしい」

普段は天気のことはそこまで気にしないタチだけど、この日だけは別だ。卒業式は晴れてこそだと思う。なんとなく。

二人分の、コツ、コツという音が、コンクリートを鳴らす。中庭には緑が溢れていて、春の訪れを喜んでいるかのよう。隣を歩く美保の目線は、僕より少し高い位置で、まっすぐ前を向いている。

「三年間、あっという間だったね」

「そうだね……」

 本当にその通りだ。僕が美保と出会ったのは一年生の時だけど、ついこの間の事みたい。

「美保は、高校楽しかった?」

「うん!」

 元気のいい返事が聞こえた。

「楽しかった。部活とか、行事とか。勉強は……まあまあかな」

「そうだね。勉強は大変だったね」

 陸上部に入っていた美保は、毎日がとても濃かったのだろう。僕はそこまで部活に身を入れてなかったから、そんな生活が羨ましい気もする。大変なことも多かっただろうけど。

 沈黙を無くすために最低限の会話を弾ませつつ、僕たちの足は自然と運動場に向かっていた。何も言っていなかったけど、とりあえず誰も居なさそうな所に行きたかったのだ。黙ってついて来てくれた美保が、とてもありがたく思えた。

想像してた通り、グラウンドには誰も居ない。開放感すら感じさせるその場所は、いつもより広く見えた。運動場に入る所の両側には桜の木が立っていて、僕たちを静かに見守っている。

ゆっくり砂地へ踏み込むと、コンクリートを歩いていた足の感触が変わった。少し遅れて、美保の足音も後ろから聞こえる。吹きつける風が気持ちいけど、ちょっと強すぎる気もする。僕が立ち止ったところに、美保も並んだ。

「思い出すなぁ」

 そう呟くと、隣で「何を?」という声がした。

「美保と、初めて会った日のこと」

「ああ……。うん、そうだね」

 横を見やると、うっすらとした微笑みが目に入った。彼女の表情はいつも柔らかく、笑顔を見せることも少なくない。

あの日もそうだった。



 それは、一年生の時の持久走の授業。運動が苦手な僕は、走行距離の半分くらいを走ったところでふらふらになっていた。きつい、きついと吐き捨てながら、必死になって腕を振っていたその時。突如強い衝撃が、僕を襲った。

「うわっ!?」

 背中からの圧力に耐えかねて、堪らず転倒。地面に倒れ込んだ。痛みを感じながらようやく顔を上げると、体格のいい男子が颯爽と走り去っていくのが見えた。普通謝るものじゃないのか。それとも、体育ができない男子には人権が無いのか。悲しみにくれながら、片膝つきの状態から立ち上がろうとする。

 不意に、肩に手が置かれた。

「大丈夫?」

 聞き慣れない声に振り返る。

「え……」

僕が目にしたのは、青空をバックにした、ポニーテールの女の子だった。

「後ろで見てたんだけど……怪我とか、ない?」

 近くを走り去る人から、視線を向けられている気がした。でも全く気にならなかった。それくらい、彼女の笑顔が優しくて、温かかった。きれいに焼けた肌色に、黒縁の眼鏡。その姿は、今後しばらく僕の目に焼き付くことになる。

「なんとか……。大丈夫だよ」

 立ち上がり、思い出したかのように答える僕。内心はすごくどきどきしていた。

「そっか、よかった。もう少しだから、頑張ってね!」

 彼女は颯爽と走り去った。その姿が格好良くて爽やかで、僕は棒立ちになって見とれていた。手が置かれていた部分が、今になって温もりを感じさせる。心臓が静かに高鳴る中、体操服のゼッケンに「佐倉」と書かれていたのを思い出した。

この時初めて、僕は美保を知ったのだ。



「ねぇ、何考えてるの?」

「え」

 いきなり呼ばれた気がして、隣を見る。美保が、あの日と変わらない笑顔を向けていた。

「……なんでもない」

 ふふっ、という声が聞こえた。初めて会った時のことを思い出して、物思いに耽って……なんて言うのは、ちょっと恥ずかしい。あれから二年も経つのだから、時間の流れは本当に早い。

 その日以降、クラス替えの影響もあって、美保との距離は少しずつ縮まった。席が近い時に色々話したり、行事の時に一緒に仕事をこなしたり。関係がどんどん濃くなる中で、様々なことを考えて……。

色々あった結果、僕は伝えたい言葉を見つけた。

そして、伝えるなら今日だと、僕は決めたんだ。

「美保」

 小さく息を吐いて、僕は向き直った。彼女もこちらを向き、僕たちはグラウンドの真ん中で見つめ合った。セーラー服の赤いリボンが眩しい。暖かいはずの風はなぜか冷たく感じられ、胸が苦しくなる。

……こんなにも、緊張するものなのか。

「あのさ」

 どうした。言いたいことは考えてきたはずだ。何を溜める必要がある。まごまごしていた、その時だった。

 急に強い風が吹いて、美保の顔に髪がかかったかと思うと。

ふと、桜の花びらが横切った。かすかな桃色が目に入る。僕は確信した。

――今しかない。


「別れよう」


用意した言葉は、意外とあっけなく絞り出た。

「いいよ」

 彼女がそう告げた途端、風が弱まった。後ろで、ポニーテールが静かに揺れている。美保の目線は真っ直ぐだけど、表情はどこか悲しげだ。言い出したのは自分だけど、僕もどこかいたたまれない気持ちになっていた。

 僕たちは、付き合っていたのだ。同じクラスになったのを皮切りに、自然とそうなっていた。この関係は平穏に続いていたけれど、この日を境に、それも終わりであるような……そんな気がしたんだ。

 美保は、再び体をグラウンドへ向けた。

「卒業、だね……」

 彼女にしては、珍しく思わせぶりな台詞だと思った。次の瞬間、僕は見つける。

 頬に、光るものがあった。

「……ううん。何でもない」

そっと目を閉じ、美保は俯く。僕は目を逸らした。言うべきことは言ったと思う。朝日が注ぐ砂地に、二つの影が背を伸ばしている。そのまま沈黙が降りるのかと思うと、始業のチャイムが鳴り響いた。

校舎の方を振り返る。美保もそうしていたかもしれない。金属音が柔らかく、僕たちの耳に届いた。最後の日が、始まるんだ。

「そろそろ、戻らなきゃだね」

「うん」

 ザッ、ザッと砂を踏む音とともに、ゆっくり歩きはじめる美保。数歩前へ出たところで、彼女は振り返った。

「ユウ」

 聞こえたのは、自分の名前だ。

「ありがとう」

 彼女は笑った。初めて会った時から、何度も目にした表情。こんな時でも笑顔を見せれるのは、すごいことだと思う。

どうしたことか、僕は口を動かせなかった。せめて、心の中で。


――こちらこそ、ありがとう。


 そして、美保は歩き出した。両脇に、桜の木が立っている。白く色づき始めた枝先が、彼女をどこかへ連れて行こうとしているみたいだ……。

 さっきまで強く吹いていた風は、いつの間にか止んでいた。

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