姉ちゃんが勝手に応募したアイドル・オーディションで運命の出逢いがありました

ヤミヲミルメ

姉ちゃんが勝手に応募したアイドル・オーディションで運命の出逢いがありました

 姉ちゃんが勝手に応募したオーディション。

 会場のビルの中で、トイレの帰りに僕は迷子になってしまった。

 どうしよう、早く戻らないと僕の番が来てしまう。

 本当はこのまんま逃げちゃいたいけど、そんなことしたら姉ちゃんにぶっ飛ばされる。

 姉ちゃんは僕をダシにして、この事務所の先輩アイドルとお近づきになりたいんだ。


 オーディションに受かって、アイドルグループのメンバーになって……

 そりゃあ僕だって、女の子にキャーキャー言われたいとか、女優さんとドラマでラブシーンとか、憧れていないわけじゃないけど、そんなにうまく行くわけないって。

 会場に来ていた男の子たちも、みんな僕なんかよりずっとカッコ良くて、堂々としていて。

 自分に自信がなくて前髪で目を隠してるやつなんて、僕ぐらいしか居なかった。


 そうさ。もともと本気でアイドルになりたいなんて思ってなかったんだ。

 あの人に会うまでは……




 迷い込んだレッスン室で、あの人は一人で踊っていた。

 その姿に僕の目は釘づけになった。

 カッコいい。こんなありふれた言葉じゃとても言い表せなかった。

 凛々しい、優雅、華麗、美麗。

 そんな言葉を知ってるだけ全部集めて詰め込んだって、この人のことは表し切れない。

 そんなヒトが、目の前に居た。


 その人が僕に気づいてこっちを向いた。

 男同士ですら見とれるほどに形の良い唇。

 それが、開く。

「ああ。オーディションを受けに来たのか」

「え!? あのっ、はい!!」

 僕の胸の名札でわかったみたいだ。


 斉藤サイトウ橙也トウヤ

 それが僕の名前。

 あなたは?

 ……なんて、訊ける勇気が僕にあったらどんなにいいだろうと思った。


「お前……」

 その人が僕につかつかと歩み寄ってきた。

 僕は驚いて飛び上がりそうになって、レッスンの邪魔をしたことを謝りたかったのに、震えて声も出せなかった。


 大きな掌が僕の額に触れた。

 長い指が僕の前髪を掻きあげた。

「目が可愛いんだから、ちゃんと見せないと駄目だぞ」


「え……?」

 ドキッとした。

 同じことは姉ちゃんから何度も言われてたけど、ずっと冗談だと思ってた。

 でも、その人の目は真剣だった。

 ドキ……ドキ……

 どうして僕なんかにそんな言葉を?

 だってこの人はすごくカッコよくて……あれ? あれ?

 ドキドキが止まらない。


 その人が鞄からクリップを取り出した。

 髪留めじゃなくて、書類を留めるやつ。

 というか、書類を留めるのにまさに使ってる最中で、クリップを取られた書類がバラバラになる。

 そこには歌のことや踊りのこと、最近の流行はやりから、何十年も前の伝説みたいなアイドルまで、ちょっと見えた分だけでもすっごく研究されていて、プリントの上を手書きの文字が埋め尽くしていた。

 その、大事な資料から外したクリップで、その人は僕の前髪をパチンと留めた。




 オーディションが始まった。

 僕は何度も前髪のクリップに手を伸ばした。

 けど……

 時間が経っているからクリップにはもうあの人のぬくもりなんか残っているはずがないのに、触れる度に胸がキュンと苦しくなって外せなかった。

 歌っている時、踊っている時。

 僕はクリップのことばかり気になって……あの人のことばかり気になって……

 音楽が止まった瞬間、僕は、自分が審査員を怖がっていなかった、それどころじゃなくなっていたって気づいた。

 歌も踊りも、大きな失敗はしていない。

 もしもクリップがなかったら、僕はきっと緊張してガチガチになって、舞台の上でひっくり返っていたかもしれない。


「今回のオーディションに応募した動機は?」

「ね、姉ちゃんが勝手に……」

「ふむ」

 審査員の反応は良くない。

 そりゃそうだよね、こんなつまんない話しかできないなんて。


 他の審査員は僕の頭のクリップを見てクスクスと笑ってる。

「そのクリップは、ウケようと思って着けてきたのかね?」

「ち、違います!! さっき、すっごくカッコいい人が居て!! その人が本当にカッコよくて!! それはもう……!!」

 気がつけば僕は、ちょっと会っただけの名前も知らない人について熱弁していて、それだけで僕の持ち時間を使い果たしていた。


 落ちたな、って、思った。

 でも後悔はなかった。

 最後までクリップを着けたままで居たことも。

 あの人への気持ちを、誰かに聞いてもらえたことも。


「そのクリップ、いいと思うよ」

 審査員の一人が言ってくれた。

 他の人もみんな笑顔で、誰も馬鹿にしたりしていなかった。


「ありがとうございましたっ!」

 自然にお礼が言えた。

 内気な僕には、普段の生活でもなかなかできていないことだった。





 オーディションが終わって、約束していたカフェで姉ちゃんにケーキをおごってもらった。

 有名なお店の、一番人気のラズベリーケーキ。

 だけどその、突き抜ける甘酸っぱさが僕の胸に呼び起こすのは、ラズベリーではなくあの人の眼差しだった。


「橙也のバカ! それ、佐都サミヤ真紅シンクよ!」

 姉ちゃんが、スマホ画面に映し出された、オーディションの概要のページを突きつけてきた。

 そもそも今回のオーディションは、すでにデビューが決まっている佐都真紅をリーダーにしたアイドルグループのメンバーを探すためのものだったのだ。

 あの時、真紅さん本人に名前を訊いたりしなくて良かった。

 こればっかりは自分の内気さに感謝だ。


「真紅サマは歌も踊りもカンペキだけど、寡黙で無口で、そのせいで周りの大人から変わり者扱いされているのよ。事務所の人とかレコード会社の人とかテレビ局の人とかから。

 だから真紅サマを中心にしたアイドルグループを作って、音楽番組でのトーク部分を他のメンバーにやらせようって計画なわけ」


「無口……かなぁ?」

 寡黙そうだなとは思ったけど。


『目が可愛いんだから、ちゃんと見せないと駄目だぞ』


 真紅さんの声が脳裏によみがえって、思わずむせる。

 まあ、変わってはいる、よね?

 初対面の、どこのウマノホネとも知れないやつの前髪に、いきなりクリップをつけるぐらいなんだから。




 しばらくして、オーディションの結果が届いた。

 不合格。

 そりゃそうだよね。

 真紅さん本人に会ったって熱く語っておきながら、それが誰かすらわかっていなかったんだもん。


 選ばれたのは、オーディション会場でも特に輝いていた二人だった。

 髪の長い、チャラそうな青年と……

 僕と似た雰囲気の、チビの少年。

 もし僕があのオーディションに、最初からもっと本気で挑んでいたら、僕は真紅さんの隣に居られたのだろうか……?



 それから僕はレッスンを重ねて、いくつものオーディションを渡り歩いた。

 今度こそ本気で。


 あの人と同じグループにはもうなれない。

 でも。

 僕は。

 あの人になりたい。

 あの人に少しでも近づきたい!


 一年後、僕はオーディションに受かった。

 その頃には姉ちゃんは彼氏ができて、アイドルへの興味を失っていた。


 佐都真紅が率いるスリー・ローゼズのデビュー曲は、発売と同時にチャートの一位を獲得して、その後も出す曲全部がミリオン・セラーになった。

 たった一年で、あんなに遠くへ……

 ううん。追いついてみせる。


 今日は僕が所属するグループのデビュー曲のレコーディングだ。

 何度も歌詞を確かめる。

「願いよ、僕を導く光になれ」

 胸に憧れを抱き、夢を追いかける少年の歌。

 僕にピッタリだ。

 あなたを想う、僕そのものだ。

「いつかきっと、高く遠くへ。

 いつかきっと、あなたのもとへ」

 僕の前髪では、あの日のクリップが今も輝いている。

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