創世の器

『目覚めよ、創世器。我が意志を世界に反映せよ――』



 唱えられる祝詞。その声音は〈半端者〉のものだが、彼は謳っていない。字面だけ見れば以前までと変化はないが、内面において全く異なる。

 仮初の器でしか無かった樹槍という存在が消えていく。〈半端者〉と似た精神を持つ樹槍は己が消える事態を前に泣き叫んでいる。


 ――こうなることは分かっていた。それでも怖いんだ。


 すすり泣く子供のような言葉は、それだけにグロダモルンの心情を表していた。槍は懸命に相棒へと助けを求めているが、同じように喰らわれている最中である。彼らは所詮〈半端者〉。運命が無くなろうと魔女の手のひらを出る精神力を持たない。



『黄に染まりし葉が、瑞々しさを取り戻す。見るが良いあの緑の輝きを、仰ぐが良い9つの世界を支えしあの威容を』



 天頂から謳われる栄光が意味するは逆転現象。時が経ち神々にすら死がもたらされるはずの終焉が遠ざかっていく。運命の車輪が逆回転を始めるのだ。

 物言わぬ草花の集合体であるはずの樹槍から、全てを支える世界樹が産声をあげる。



『かくして角笛は鳴らず、三度の冬すら訪れぬ。根を齧りし悪竜の姿も見えぬとあらば、あらゆる悪神と幻獣を封ずる枷は役目を果たせ』



 起こるはずの事態は決して起きない。溜め込まれた運命の力は全てここに。いつか訪れる黄昏には何も残らず、地続きとなる次の世界すらありはしない。

 生れ出づる新世界は全て、魔女のために生まれるのだ。雷神も、法の神もそこに居場所は用意されていない。



『知恵の泉と毒蛇の沼も、もはや要らぬと言うならば……一つ残るは運命よ。世界樹の授けし恵みは無く、貴様らは虹の橋をもはや通れない』



 かつて樹槍と所有者であった者から伸びる木の根。それはフォールンの王城を貫き取り込んでいく。

 城内では混乱すら起こらないままに、人々は木々の反乱を目で追うのが精一杯。表の顔である王は震えるのみで、裏の顔たるサリオンは異変の中心にいるのだから当然と言えた。


 異変に無理やり駆けつけた斧女アマンダと、コウカを救おうとしていた聖女ジネットは見た。生まれて激しく成長を続ける大樹の前に、いつの間にか立っている影。

 その影は黒いローブ姿だが、線から女性と分かる。


 その女は愛おしい者を愛撫するような手付きで樹を指でなで上げて……詠唱を引き取った。紡がれるは樹槍の真なる名。



『創世器……“ユグドラシル”』



 氾濫する緑の光。まさに威光が放たれた。

 しかし、次の瞬間に黒の女性が指を鳴らす。すると樹と緑光を今度はが抑え込むようにして覆い尽くし……その巨体をどこかへと移した。後に残ったのは破壊の跡だけだった。


/


 突如として現れた黒い女の笑い声が、広間に響き渡る。あざ笑いとは違う、純粋な賞賛に満ちている。先程の黒い光と同様、相反する印象を纏う女だった。

 彼女は崩れ落ちるコウカと樹槍を優しく受け止めた。



「素晴らしい。これほど早い覚醒は予想外だった。一番に到達するというのもね。意外性の塊のような愛弟子の成長に、私は感嘆を禁じえない」

「……コウカ様を放してください!」

「よく分からんが、その白髪頭は身内なんでね渡してもらおうか」



 黒い女は魔女だった。

 ローブに付いていたフードを外した魔女は美しい素顔を晒して、弟子の仲間達を見渡した。



「ああ、勿論返すとも。我が不肖の弟子をここまで導いてくれた君たちにも感謝を捧げたい。礼代わりとして、この槍はしばらく預けたままにしておこう」



 袖口から覗いた細腕で、男を軽く持ち上げた魔女は、割れ物を扱うようにアマンダへと運び手を交代した。



「……白髪頭の師匠だって?」

「そうさ。この子から聞いてはいないかい? また随分と薄情な弟子だが……うん。君と彼女のような存在と出会うとは、相変わらずの運の良さを持っている」



 アマンダは戦闘を好む。強敵との死闘を至上と考えるぐらいには戦いが好きだ。

 そのアマンダが魔女を前にして、思わず逃げ出したくなるのを堪えていた。魔女の気配は独特のものがあり、戦闘者のそれとは別物だが……桁に差が有りすぎる。

 魔女を上回る人間などこの世に存在しない。


 突然響く物音。混乱が頂点に達したサリオンが神槍を構えて飛びかかって来ていた。彼は頭の中身をぶちまけるため、とりあえずコウカへと暴威を振るおうとしたのだった。


 アマンダがそちらに対応しようとした瞬間に……槍の穂先を魔女が二本の指で挟み込んでいた。さらに槍を握りしめたサリオンはそのまま宙吊りの形になる。



「既に世界樹は生まれた。お前にもう用はない。、レーラズ。ご苦労だった」

「……は?」



 サリオンは間抜け顔を浮かべて、床へ落ちた。ろくに受け身も取れず、背中を強打したが起きた事態がまだ理解できない。

 ……この黒い女が、指二本で神槍を。神器を触ったことのある者ならその異常性が理解できた。

 ジネットもまた理解した。この女性は人間ではない。



「名残惜しいが、これでも多忙でね。失礼させてもらうよ。その子が厄介をかけるが……なに、そうは待たせないさ」



 声をかける間もなく、魔女は床へと吸い込まれるようにして消えた。後に残された者達には事情が全く理解できないまま……弟子たちが言うように魔女はいつ落ちてくるかわからない天のような女だった。

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