掃き溜めの聖女

「聖女……様を見失っただとぉ!貴様、巫山戯ているのか!外に出たことすらない小娘に逃げられるわけはあるまい!」


 白を基調として、青をアクセントに取り入れた装束が全く似合わない男が叫ぶ。脂に塗れた丸顔は歪める度に顎肉を震わせている。世間の人々がイメージする悪徳聖職者そのままの姿であり、実際にその通りだった。


 男は神殿の侍祭であり、聖女に仕えている。それは表向きの身分だ。実際には世俗と隔離された聖女に寄生して甘い蜜を吸っている。

 その立場が聖女と親しいことから下手な司教よりも権威がある。聖女に取り次ぐかどうかを左右できる立場にいるのだから、黙っていても袖の下に幸福が舞い込んでくるのだ。


 その幸運の鳥が籠から逃げた。

 そんなことが他の者に知られれば、現在の地位はどこかの誰かに取って代わられる。メリットの大きい地位を欲する輩は腐るほどいるのだ。


「あのこむ………聖女様が一人で逃げられるわけはない」

「誰かが手引きしたと?」


 聖騎士の声に脂汗を吹きながら聖職者が頷いた。

 聖女の身体能力は低くはない。支援型とはいえ神器使いだ。眼の前の聖騎士程度には高いだろう。


 だが、それで逃げられるか。となると話は別だ。

 なぜなら聖女に戦闘訓練は一切受けさせて。それどころか運動も最低限に制限してある。

 自分の限界点も実力も全く把握していない、ただの小娘の出来上がりというわけだ。全力疾走ができるかどうかすら怪しいだろう。

 それは男だけでなく、国も同意したことだ。神器使いは下手な軍隊よりも強力なため、手綱を握るには細心の注意が必要なのだ。そこいくところ聖女は随分と楽だったのだ。


 それが聖騎士の追手から逃げ出した、ということは誰かの手引きの可能性が高い。

ちらりと侍祭は眼前の聖騎士を見た。その騎士の目には小馬鹿にしたような色が浮かんでいる。


 聖女の聖騎士ではないのだから当然だ。フォールンにいるもうひとりの神器使いの下僕だ。聖女の神器に対応する聖剣は有事に備えて制作はされているが、勢力を持たせないために使用されていない。


「裏社会の糞共。あるいは他国の勧誘か? いや、どれもしっくりとは来ないが……聖女様の性格を考えれば街を見るために早々はこの国を離れはしない。今ならまだこの街にいるはずだ」


 前々からこの兆候はあったのだ。あの馬鹿な娘は出来うる限り多くの人間を救いたいと願っているような節があった。


「貧民街……特にガキが死にかけているような通りだな」

「了解しました」


 肩をすくめて聖騎士が出ていく。

 それを見届けてから、男は聖女の好きだった花の花瓶を蹴り倒した。

 逃げられれば全てが終わる。


/


 意味がわからない女だった。

 どこぞの高貴な身分の女であるようだが……いや、だからなのだろうか? 彼女はどういうことなのか、貧しい地区をこそ見て回りたがった。


 そうした通りはこのドロップの街にも腐るほどある。そこで苦しむ人もだ。

 

「この国には……こんな場所がたくさんあるのですか?」

「うん? ああ……他の国よりはちょいと多いな。そろそろ行かないか? 目立つんだよ、アンタ」


 流石にベールは外して、上着のように俺のマントを巻かせてはいるが衣装をどうこうしたところでこの女はひどく目立つ。

 薄汚れていない、加えて容姿も悪くない。たとえボロを纏わせてもこの街ではさぞ浮くことだろう。


 妙に強い気配から浮浪児達が寄ってこないのが幸いだった。いや、こいつから寄っていきそうだから離れられないのだが。


「変な情心を起こすなよ。今日は良くても明日からは面倒見られるのかアンタ? アンタが国で一番の金持ちとかならまぁいいが」

「私の名前はアンタではないですよ。……そういえば、名乗っていませんでしたね。私はジネットと言います」

「ご丁寧にどうも。俺はコウカだ。名字はまだ覚えていないから省略」

「ありがとうございます、コウカ様。貴方様のおかげで私はこの国の姿を見ることができました」

「……様?」


 全く聞き慣れない敬称を付けられて、しばらく考え込んでしまう。それがいけなかったのだろう。あるいはこの女に近づき過ぎたのか。

 首筋に走る警戒の痺れを見逃していた。


「探しましたよ、ジネット様」


 そこにはこれまた薄汚い街に似合わない、美々しい甲冑姿があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る