神の水

 内戦が続き、賊が跋扈して尚フォールンの国は健在である。かつて〈半端者〉が訪れたタンロの国も様々な問題を抱えていたが、強力な神器のおかげで権力を維持していたように。


 タンロの神器〈ヤールン・ソールニル〉は単体で非常に強力な神器であり、その武威をもって国を支えていた。


 フォールンの場合は質ではなく、数。この国には神器が存在した。一つは神槍〈レーラズ〉。そして今一つが水盆〈フィンド・ミーミル〉という。

 〈レーラズ〉はその能力も不明のままであり、これが諸外国に攻めを躊躇させる遠因ともなっている。

 逆に〈フィンド・ミーミル〉の能力はつとに有名であった。なぜなら周辺各国の王侯貴族はこぞってこの水盆の使い手の元を訪れようとするからだ。


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 白い清潔な空間。空気が清らかであることに加えて、この施設は白で徹底的に覆われている。

 それはこの建造物の主人の神秘性をことさらに強調しようとする意図のためであり、薄汚れたフォールンの国にあっては余りにも場違いだった。


 しかし幾らその裏に人の欲が蔓延っていようとも、ここを統べる女主人の清らかさは一向に貶められない。


 細くしなやかな指が、皿のような器を捧げ持っている。その水盆からは如何なる力が働いているのか、水がこんこんと溢れ出して床へ落ちる……と思いきや宙に水の玉を作り次々に浮かんでいく。


 捧げ持つ乙女の額には、汗が浮かびその作業に多大な体力を割いているのが窺える。

 細い金の髪は額へと張り付き、細長の顔は緊張に引き締められている。その美しさは女神のようでありながら、触れれば壊れてしまいそうな繊細さに満ちていた。彼女の優れた容姿が、一連の光景の神秘性を高めているのは疑いない。


 乙女が眉をしかめるようにしながら、さらなる活力を水盆へと注ぎ込めば、宙に浮いた水玉が霧のように広がって寝台に横たわる男へと集っていく。


 小さな唇が息を吐くと、それまでの光景が嘘のように水は全て水盆へと戻っていた。


「これで全ての汚れが薄められ、貴方の肉体は清らかさを取り戻したことでしょう」

「おお……! 体が軽い! 羽を得たようだ! 流石は聖女殿! 神殿への寄進は弾ませていただきますぞ!」


 横たわっていた小太りの身なりの良い男が、飛び上がるようにして感謝の念を伝えると、乙女は困ったように微笑んだ。


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「はぁ……」


 神器〈フィンド・ミーミル〉の使い手である乙女は、ひとりきりになると白い大理石に腰掛けながらため息をついた。

 小さな窓に目をやると首都ダウンの街並みが見える。夕焼けに照らされて幾分はマシに見えるが、己が住まう鳥籠と比べれば余りにも薄汚れていた。


 あそこには救いを待つ人がどれほどいることか、想像もつかない。

 〈フィンド・ミーミル〉はあえて分類すれば補助や支援に特化した神器だ。その使い手である彼女は戦闘能力で見れば聖騎士にも劣りかねないため、この隔離された施設から出ることを許されていない。


「全ての傷ついた人々を、この力で癒せたなら……」


 その傲慢にも似た考えに聖女は自分で自分を笑った。適合した神器は確かに癒やしの力を発揮するが、消耗が激しい。荒廃した国の全てを癒そうとするのには、己の魂全てを費やしても焼け石に水だろう。


「私はずっとここで一人きり……」


 歌うように呟く。それが聖女の癖だった。

 彼女は全てを善意へと変えるには、些か賢すぎた。

 

 勝手に哀れと決めつけた住人達を力の限り癒やして回るよりも、国王達が言うように金持ちだけを相手にするほうが余程フォールンの役に立つだろうと分かってしまっていた。


「結局はここから出たいだけ。なんて自分勝手でな女なのかしら」


 類は友を呼ぶ、という。

 運命は破綻しつつあるこの世界で、魔器使いと神器使いが隣り合って存在している。運命ではなく宿命によって二人の半端者は出会うだろう。


 その日は決して遠くなかった。

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