サエンザにも
サエンザは全てに祝福されて生まれた。それは間違いないだろう。
王家の一つ。それも内実も豊かなナレル家に生まれ、例えサエンザに輝く才がなくともそれなりの…何不自由無い人生が送れたことは疑いない。
王侯貴族には格式に応じて一定の見栄を張る必要があり、それを維持するために苦心する家もある。そこを考えれば身分あるものの中でも、さらに恵まれていた。
サエンザはさらに煌めくような才に溢れていた。
こうなると、生活に苦労が無いというのはサエンザにとって、「それだけで幸福」とはいかなくなる。
人の気性がそうであるように、幸福の形は十人十色だ。貧しくとも幸福だと感じる平民もあれば、どれほど財を蓄えても満たされぬ富豪もいる。この二者で言えばサエンザは後者にあたるのだろう。
人から見れば贅沢な話だということは、幼いサエンザにも分かっていた。それでも彼は“立派な自分”になってみたい、と願っていた。
『我がナルレ家は四王家の一角。祖先には偉大なる英雄がいた。その血がお前にも流れているのだ。サエンザよ、その血筋に恥じぬよう精進を欠かしてはならんぞ』
父であるサトゥールに言われた言葉は天啓のようだった。かつて神器デュランダルを手に、ナリーノを興した英雄がどういった人物だったか…記録は散逸し、王家に伝わる話でさえほとんど創作によるものだった。
あるいはそれが悪かったのかもしれない。サエンザはこの見えない英雄を目標にして、努力に努力を重ねるようになった。
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身分に驕らず、才に溺れず、己に厳しく、他者に優しく。
サエンザは王侯貴族の見本のように成長していく。
ある時、サエンザは自分の容姿が優れていることに気付く。己と同等の成果を上げる人がいたとしても、称揚されるのは常に自分だった。
そのことを深くサエンザは嘆いた。見栄えが悪くとも、それで努力の価値が落ちるわけではない。サエンザはそうした不遇な人にこそ、優しく、そして敬意をもって接するように心がけた。
“正当に評価されない人々”は最初は喜んでくれた。だが、しばらくするとサエンザは距離を置かれるようになった。
サエンザにとっては不思議なことで、周囲にとっては当然のことだった。
それでもサエンザは彼らを恨まなかった。きっと彼らには彼らの事情があって、自分がそれを汚したのだ。そう考えた。それは正しい理解ではあったのだが…
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ある時、サエンザは自分が人よりも圧倒的に才能に溢れていることに気付いた。
彼と全く同じ量の努力を重ねた人がいたとしても、常に自分のほうが上回っていた。当たり前にサエンザにこそ、多くの賞賛が集まる。
サエンザは嘆いた。例えどちらに軍配が上がろうと…負けた側であろうとも、その人の価値が上がらなかったわけではない。
サエンザは己が勝った相手にさらに深い敬意を抱くようになった。
この辺りからサエンザは周囲から距離を置かれるようになった。皆がサエンザを良くできた芸術品のように扱い始め、真情を吐露してくる友人など皆無となる。
父も弟も、同じ教師の下で学ぶ仲間も、共に武技を磨く者たちも、サエンザを例外視するようになった。
どの分野でも、サエンザが一番の成功を収めるのは当たり前のことであり、皆が二番目の地位を競うようになった。
サエンザは彼らを恨まなかった。評価されていないわけでもない。恨む筋合いなどどこにもない。
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ある時、サエンザは自分が“何か”に愛されていることに気付いた。
仮に自分と同じことをやった人間がいても、どういうわけかサエンザだけが成功したり、より良い結果が出るのだ。
この辺りからサエンザは近くにいる人々から敵意を向けられるようになった。
そうした者が向けてくる目はまるで怪物を見るようなものだった。
サエンザは彼らを恨まなかった。
自分でもどういうわけか分からなくなっていたからだ。
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『お前が本当に完璧な英雄だというのなら、怪物の首でも取ってくるが良い』
かつて自分に努力を望んだ父が、サエンザを疎んで言った言葉にサエンザは従った。自分を避けていた父が、面と向かって言った久しぶりの言葉だ。嬉しさすら感じていた。
そうして旅に出た。
サエンザはまず、ナリーノの国境付近で人々を悩ませていた巨狼を討ち取った。黒く、大きく、そしてずる賢い。人語すら解する、俗に言う魔獣の類だったのだが…サエンザの前にはあっさりと退治される。
…違う、これは怪物ではない。
さらに、歩を進めて数ヶ月が経った。ナリーノからは既に何カ国も隔てた場所にサエンザはいた。
訪れた山裾の村では一年に数回は、邪竜に生贄を差し出さねばならないのだという。サエンザは喜び勇んで山に登った。
噴煙が立ち込める洞穴の中で、狂える竜と邂逅した。
嘘か真か。かつて神々とさえ戦ったという種族。巨体は城ほど。鋭い牙は鉄塊も噛み砕き、吹き付ける毒炎は相手を一瞬で骨に変える。
サエンザは死闘を制した。だというのに、なぜだろう?サエンザは傷一つ負っていなかった。
…違う。これは怪物ではない。
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一体、私は何なのだろう?もしかすると…怪物というのは私なのではないか?
そう、呆然と考えた時に場違いな女の声が聞こえた。
『お前は運命に愛されているのだよ。この世界はそうした英雄が時折現れるようにできている。お前が隔絶しているのは、お前の役割が完全に定まっているからだ』
声の主は美しい女だった。
射干玉の髪に三日月の笑顔。王宮でもこれほど美しい女性は見たことがない。
『お前が役割を果たすまでは、何人もお前を害することができない。お前はその時が来るまで、定められた以上にも以下にも成果を出すことができない』
では倒すべき怪物はどこにいるのだろうか?私は父の愛に応えられないのか?私は誰とも親しくなれないのか?
『そうだ。お前と交われるのは、お前と同じ身のものだけ。哀れな運命の虜囚。お前は誰を愛するかさえ自分では選べないのだ』
それは…私には幸福になることが許されていないのか?立派な人間になることも?
『いいや、喜ぶが良い。お前は怪物を見出した』
…それは何処に?
『ここに。私がその怪物だ。こうして私と話すだけで、お前は愛から解放される』
喜びとともに、戦う者には見えない女に向かって全霊の力で相対する。剣を抜き、油断なく、定められた怪物を倒すためにいざ――
『英雄は怪物を倒し、人に倒される。だが、怪物に敗北したお前は人になれる』
――サエンザは生涯初の敗北を味わった。そして、魔女の最初の弟子となったのだった。
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