白のナリーノ
ナリーノ王国は大陸の中央部から少し北にある。
気候は穏やかで、土地は肥沃。国民の気性は総合すれば穏やかだが誇り高い。実に恵まれた国であった。
歴代の王達の努力も無視はできないだろうが、強大になるべくしてなった国である。軍事に関していっても、蛮風残る国々の精強さは無くとも粘り強さと規律のために決して侮れる国ではない。
〈完璧なる者〉の生まれた素地としても申し分が無かった。
ナリーノ王国を訪れた者が目を疑うのは首都の壮麗さだった。
白。白。白…
どうやってこんな白さを維持しているのか?
ナリーノは魔法で作られている、と大真面目に語る者さえいる。お伽噺の国が地上に現れたかのような国と都市…それこそがナリーノだ。
そんな壮麗な首都も一皮剥けば、黒であることは他の国と変わらない。単に民を不必要に食らっては、己の足を食うようなモノだと権力側が弁えているだけだ。
/
サエンザは久方ぶりに柔らかいベッドの感触を楽しんで、和やかに起床した。
久方ぶり…そう何もかもが懐かしい。ここは己の部屋で、家族達との関係を考えればサエンザの部屋が残っていたことがまず驚きである。
「…お目覚めになられましたか?若様」
控えめな侍女の声が響く。
サエンザにとってはかつて聞き慣れた声で、名をすぐに思い出した。貴族の中には他者の名前を覚えておく専任の従者を持つ者も多いが、サエンザはそうではない。自分の脳に全て入っている。
「やぁイライザ。おはよう。まだ屋敷を守ってくれていたんだね…ありがとう」
「そのようなお言葉…もったいのうございます、若様」
若さに関わらず、万事落ち着いて動じることの無いイライザもサエンザの言葉に頬を染めた。
朝日が照らす室内で流れる金髪が美しく輝いている。青い瞳は湖面のように穏やかだ。まさか、再びこの輝かしき青年に傅くことができるとは…
サエンザの帰還から一日しか経っていないが、ナルレ家の使用人達は天にも昇らん心地だった。
自由こそ愛する人がいるのと同じくらいに、誰かに跪く方が安心できる人々もいる。しかし、彼らとて主は選びたい。その点サエンザは格好の対象だった。
僅か一日で、数年間の不在を埋める。持って生まれた圧倒的な格の違い。サエンザはそれを常態で纏っていた。
「父上とサカルス…じゃないか、もう当主様か。はもう朝食を?」
「済まされました。既に執務に入っておられます」
「そっかぁ。じゃあ邪魔しちゃいけないね。お目にかかって少しぐらい話がしたかったんだけれど…」
まさか二人共、サエンザから逃げるように食事を掻き込んで執務室に向かったとは言えずにイライザは押し黙った。
「では、母上にお会いするとしよう。さて、何年ぶりになるだろうか?」
「9年ぶりにございます。奥様は現在は離れの屋敷に住まわれておられますから…すぐに馬車を用意させましょう」
「あはは。いいよ歩いて行くよ。うちの離れなんてそんなに離れていないし、僕はもう当主候補でもないからね」
確かに貴族の常識で言えばラワン家の土地の内部で、離れの屋敷はそう離れていない。しかしラワン家は王家の一角。近くても歩くのは面倒な距離である。
しかし、と言おうとしたイライザを押しとどめてサエンザは簡単な食事を貰ってから外へと出た。
//
「おお、穏やかなるかな我が故郷。青と白がこんなにも眩しいものだとは思っても見なかった」
外に出たサエンザは思わず呟いた。
師の領地から出てからこの方、世界の美しさにサエンザは常に圧倒される思いだった。あの地は今でこそ同胞たちとの思い出が詰まった土地ではあったが、世界全体が暗かった。
世界は美しい。そして生きる人々のなんと好ましいことか。
そのことに気付かせてくれただけでも、“失踪”していた日々は無駄では無かった。
伴の者たちを引き連れて、サエンザはゆっくりと景色を噛みしめるように歩いた。近いといっても貴族基準でだ。離れとは言うがほとんど別区画にあると言っていい。
首都を取り囲むように王族諸家の領地はある。辺境で良からぬことをしないように、という配慮でもある。荘園としてはこじんまりとしているが、彼らの財は国庫から捻出されているので余程の散財家でもない限りは問題ない。
「クールゥは剣の腕は上がったかい?弓は大したものだったけど、結構悩んでいたじゃないか」
「…は。このところようやく見れるようになってきたと師範から…」
いきなり声をかけられた伴の兵士は少し困惑する。私兵の中でも目立つ存在でもないクールゥからしてみれば、話しかけられただけでも驚きであった。
サエンザは連れ立って歩く兵一人一人に話を振った。名前のみならず各人のことまで完璧に覚えているようであった。
///
離れの屋敷はナリーノにあっては少し変わっていた。全体的に落ち着いた色合いの館だ。本来はナリーノ様式に飽いた者や趣味が合わない当主が使う。
来訪をあらかじめ聞いていたであろう離れの差配人が静かに出迎える。サエンザの供回りは外で控える。
「ガナッシュ。会うのは久しぶりだね。ああ。9年ぶりだったか、自慢の孫娘もすっかりレディになったんじゃないかい?」
「若様もお変わりありませぬようで嬉しく思います。アレも一時期は跳ね返りに育って気をもんでおりましたが、この度結婚も決まりました。少しは肩の荷が降りたというところでしょうか」
流石に差配人を任せられるだけあってガナッシュはサエンザとの再会にも、驚きを見せなかった。
彼ぐらいの役割になると貴族家の生まれの者となる。次男三男ではあるものの、素性が余程確かな者だけが執事や家令になれるのだ。
だからというわけではないが、サエンザの異常なまでの完成度にも動じない。何も感じないわけではないが、少なくとも表には出さなかった。
先立って歩くガナッシュに案内されてサエンザは屋敷の中を進んでいった。
離れ屋敷の内部は落ち着いた木目調だ。何代目かの当主が「白ばかりでは目が痛くなる」と言って作らせたものであり、離れと言ってもかなりの広さを持つ。当主が住まうにも問題ないようにしてある。
…何もかもが懐かしい。サエンザは離れの屋敷が嫌いではなかった。いつもと違う屋敷というのもあるだろうが、幼少期は良く遊び回っていた。
その頃はサカルスもサエンザの後ろをよく付いて来たものだった。
同胞でこうした作りを好むのは〈才なき者〉アルゴナだろうか?穏やかな彼にはぴったりだろう。騎士の生まれと言っていたからアルゴナの生家も案外にこういった感じなのやも…共に研鑽を積んだ仲間のことに思いを馳せていると、ガナッシュが止まり、奥の部屋にたどり着いた。
////
扉が開かれる。最上階の奥の間…見晴らしが良く、最も清浄なこの部屋に母はいつもいた。
見れば、そこには記憶の通りに病臥する母がいた。
「サエンザ。本当は昨日の内に会いに行きたかったのだけれど…典医に止められました。少し痩せましたか?」
「そうでしょうか?自分ではよくわかりません。…お久しぶりです母上。数年も留守にした不孝をお許しください」
母はかつては白百合にも例えられる美しさだったと聞く。しかし、その印象通りに儚い体質で…サエンザの記憶にある姿はいつだって枯れ木のようだった。
「さぁこちらに来て私の天使。顔を良く見せてちょうだい」
「天使という柄ではありませんよ」
近づけば、母が顔を手で撫で回してきてくすぐったい。
目も弱ってきているのか、輪郭を確かめるような動きだった。
「9年と4日前…あなたがいなくなったと聞かされました。誰もがあなたは死んでしまったのだと思っていた。でも、どうしてかしらね?私には貴方が健在だという確信がありました」
「母上…」
「サカルスもあの人も、何時の日か貴方と手を携える日が来るでしょう。家族なのですから、あの人達を許して信じてあげてください」
「父とサカルスを疑った時など、誓って一度もありはしませんよ。家族なのですから。そして人なのですから多少の拗れはあって当然です。ええ、信じています」
母がほぅ…と息を漏らす。余程、夫と次男が長男と不仲だと言われていることを嘆かわしく思っていたのだろう。
「安心したわ。さぁ今日は泊まっていくのでしょう。母にあなたの9年間を聞かせてください」
「長くなりますが、喜んで。私の友と師のことを語れるとなれば尚更です」
サエンザは母と穏やかな時間を過ごした。
しかし、家族に対する願いは踏みにじられることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます