神の器
サルグネは王都の外で苛立たしげに立っていた。傍らにはそれなりに良い造りでありながら目立たない色調の馬車が待っている。
サルグネがこのタンロの拠点を捨てる決断をしたのは実に素早かった。
持ち運べる貴重品は既に纏められており、後はかき集められるだけかき集めてた。そして、部下の中から使える連中だけを引っ張って来たのだ。
…サルグネからしてみればこの決断は実に容易だった。だったのだが、急すぎた。損失が大きく、野望への道のりをかなり後退した。
悪所が潰される。それ自体におかしいところは何もない。少なくともサルグネ自身は、自分の所業が国法に従っていないと理解していた。
しかし、急過ぎる。このような事態になった場合に一報が入るようにと、多方面へと鼻薬を嗅がせていたのだ。
「まぁあの王様ならば納得…できなくはないさね」
「姉御。そろそろマズイんじゃ…」
「ああ、そうだね。出発しよう。少しばかり惜しい買い物も残してるけど、なぁに元は取れた。命あっての物種。再起を図るとしよう」
牙抜けは最後の指示を守るだろうか?
どちらでも損はないが、半端は止して欲しい。
「結局、何者だったのかねぇ。あの槍使いくんは?」
最後に思い出すことで、手向け代わりとした。
結局サルグネは不可思議な領域に関わらずに、生き延びる。彼女が見た神秘はこの後、家が降ってきて危うく死にかかるぐらいのものだった。
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そこは最早、戦場だった。
かつて、悪所と呼ばれた区画では、果てのない戦いが繰り広げられていた。通常の戦場と異なるのは数。本来、花形であるはずの聖騎士達が一人を追いかけ回していた。
「…やりおるな。あの若造は。我ら神の戦士を相手取り、一歩も引かぬ戦いぶり。敵ながら賞賛に値する」
ギョルズは口ひげを震わせながら敵の善戦ぶりを屋根の上から見下ろしていた。かつてどこぞの商会が入っていたらしい建物の上に立てば、戦の様子が見て取れた。
「はい、閣下がお手元に引き入れようとした訳もわかります。やや奇妙ながら正統の武術を身につけておりますな。あれほどの戦士が今まで無名であったなどと…」
とても信じられはしないと、応える副長メギン。
恐るべきことにこの二人は、部下たちとは異なり、ある程度の自我を保っていた。
神器から流入する神の威光は心弱き者たちを走狗に変えたが、人の上に立つほどに熟練した戦士二人の知性は揺るがない。
だが彼ら二人は強靭な精神を有してこそいたものの、周囲に合わせて形を変える性質だ。いくら干渉されても揺るがぬ鉄や宝石ではなく、水の性質である。
故に彼らがある程度の支配を受けてしまうのも致し方なく…
「聖騎士長…これはいかなることか!」
大音声で下から喚き散らす、兵士長。
騒ぎが大きくなりすぎて、もはや王都全体が臨戦態勢を取っているのだ。
貴族たちは私兵に囲まれながら震え、国民達は家へと篭って様子を窺っている。明らかに都としての活動に異常をきたす事態に、他の武官達も黙ってはいられなくなった。
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普段のギョルズならば当たり障りなく、やり過ごしたであろう。いいや、そもそも他の派閥に付け込まれるような真似さえ起こさない。
「これ以上、神の戦士を損なうわけにもいかぬ。忌々しい運命の破壊者達が存在している、そうわかった以上は早急にことを片付ける。では行くぞメギン」
今のギョルズは神の威光を地上にもたらす神官戦士である。俗人である者達の声など耳に入らず。目に見えるは同等の存在だけだ。すなわち魔女の弟子と己の眷属のみ。
「はい閣下。目覚めよ聖剣。神の威光を伝播すべく歌え――」
メギンの聖剣が応えて唸る。
送信機と至近距離で接続された受信機がもたらす恩恵は過去最高。加えて言えば精神への干渉もだ。それでもメギンは自己を保つ。精神の性質も相まって奇妙に使命を捻じ曲げつつ、されど目指す結果は変わらず。
「目覚めろ、神器よ。神々の威光を世界に知らしめん――!」
そして、とうとう起動を果たす神の器。
天上の雷神の力を直接受け取りながら、それでもギョルズは不敵に笑い、屋根から飛び降りた。
『我が与えるは鉄槌の加護!決して的を外さぬ雷閃が、貴様に勝利をもたらすだろう!』
神器の声は魔器のそれとは異なる。共に魔女の制作物である魔器と担い手が奇妙な友情で結ばれているのに対して、神器は使い手に服従を促す。
『死人を蘇らせよ!巨人の頭蓋を微塵と砕け!もはやいかなる強敵も貴様の前には、這いつくばるのみ!』
落下と共に上昇していく身体能力。おぞましい程の万能感。それらを味わいながら、騒いでいた武官達を石畳のシミへと変えた。
『全てを打ち砕いたその先に、神が繁栄をもたらすだろう!さぁ行くがよい、わが下僕――!』
ソールの威光が世界に現出する。打ち砕くは対等の魔。尽きぬ戦いを演じられる、世界樹の槍を持つものよ、待っているが良い。貴様を討つ者が紡ぐ英雄譚の糧となれ。
「神器!“ヤールン・ソールニル”!」
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