彼女の平穏

「懐くな鬱陶しい」


 くぐもった声が面から漏れる。カラスを模した仮面は彼の醜さを覆い隠してくれる。やや奇抜に過ぎたか、と思わないでもないが後ろに付き纏ってくる子供たちには好評を博している。

 カナッサは〈醜き者〉だ。その容姿故に子供という存在には良い思い出というものが何一つとして無かった。

 石を投げられ追い立てられた。怯えて尻餅を着いた彼をあざ笑い取り囲む同郷の子供達。遊び半分で必死になってかき集めた残飯を川に捨てられた。無邪気な子供は残酷であり、その捌け口としてカナッサは絶好の標的だったのだ。

 そうであったはずなのになぜこうなってしまったのか?後ろをはしゃぎながらついて回る子供らはカナッサの素顔を見ている。見せてしまえば怯えて後についてくるのを止めるだろうと自ら見せたのだ。しばし呆気に取られてはいたものの、相も変わらずカナッサの彷徨に子供たちは付き従う。


 カラスのおじさん。カラスのおじさん。

 子供らは歌う。この濁世に自分達に光を見せてくれたと誇らしげに歌う。

 まぁこの世の中だ。後ろにいる少年少女たちにとっては庇護してくれるのであれば誰でも良いのだろう、とカナッサは自身を納得させた。

 彼もまた魔女の弟子。様々な危険がひしめくこの世界でも申し分の無い強者であるのだ。

 肩を軽く竦めてカナッサは道行きを再開する。後に続く浮浪児達は町を過ぎる度に増えていっていた。



 セネレは悪名高い暗殺組織に物心ついた時から所属していた。幼い暗殺者というのはいつの時代も一定の需要がある。

 あどけないと思い込めばどんな強者にも油断が生まれる。無邪気さを維持させたまま武を身に付けさせ、他者を害することに抵抗を感じさせなくするなどというのは歴史の長い組織にとってはお手の物だった。

 しかし、セネレはそこでは落第者だった。武に関して言えば問題は無いものの子供らしい仕草や表情に欠けてしまう。となれば彼女の価値は無いに等しい。単に得物を振るうだけなら上背がある者がいくらでも〈囁きの牙〉には存在していた。

 適当な仕事で使い捨てられるのが決定していたが、そんな折にセネレはサルグネに拾われた…といってもセネレに拾われたという感覚があるかは怪しいところだ。

 単に報酬として食が満たされるからサルグネの下で仕事に従事していただけ、というのが本人の認識だろう。〈囁きの牙〉を抜けた自覚があるかどうかさえ疑わしい。


 そんな“牙抜け”のセネレは今、奇妙な同居人とともに生活している。

 男…コウカは変わっていた。セネレにとって何よりも奇妙だったのは彼が仕事をこなさなくとも食事を供してくれることにあった。寝床も寝台を割り当てられ、先日は新しい短剣を贈ってきた。

 誰かを、何かを殺めれば報酬が得られる。それが今までのセネレの人間関係の全てだった。それが崩されようとしている。

 父も母も見たことがない彼女にとって、それは不思議なこととしか言いようがなかった。



「おい…おいセネレ!何してんだ?ボーっと突っ立って?」

「ん。…なんでもない」


 コウカが物思いに沈むセネレに声をかけた。

 過去を思いやり、今と比べるなどということはセネレにとって初の試みであり足を止めてしまっていた。

 ここは悪街の屋台が立ち並ぶ区画。いつも通りにをこなして幾ばくかの報酬を得た後、その金で色々と買い漁るのがコウカとセネレの日課となっていた。

 サルグネからは別に手当が出ているが、そちらは貯蓄に回されている。隠し場所を模索するのにセネレは一役買ったため、それからコウカのセネレに対する扱いはさらに良くなった。

 自分で思考することが今まで無かったとは言え、裏社会で生きてきた年月はセネレの方が遥かに長い。物品を隠すのに適した場所など既に知り尽くしている…というよりは確保済みなのである。

 今ではコウカはセネレを対等の相棒として扱っている。それはセネレの心を動かしてはいたが、セネレはその気分が何なのかを定義することができないでいた。


「あそこの焼き菓子すげぇ不味かったな…今度は顔隠して表の方にでも行ってみるか?」

「ん」

「じゃあ今日はフード付きのマントでも買うか…結構仕立てが良くないと目立つよな?盗品市に良いのがあると嬉しいんだがなぁ」

「ん」


 何の肉か分からない物を串に刺して焼く屋台で昼食を取る。小動物のように咀嚼しながらセネレから珍しく言葉を発した。


「マント」

「うん?」

「マントとか買うなら変装専門店とかの方がいい。第三区画の角にある」

「へえ…よく知ってんな。物知りさんか。良いこと聞いたからお前の分もついでに買おうぜ」


 セネレが困惑するのはこういう時だ。コウカには自身の武力を誇る気が無い。同居人の実力は恐るべきものだった。恐らくは不意を打ってさえセネレが勝つのは不可能だ。だというのにそれを誇示せず、こちらの大したことがない知識などを褒めてくる。

 強者は強者たる所以を見せつけ、利益を得る。それが悪街の習い。いや、世界で考えても普通のことだ。

 にも関わらずコウカは武に対する評価を気に止めない。まるでと信じているようで、セネレはそれが不思議でならなかった。何を見ればそんな気分になるのだろうか?少しだけセネレはコウカが見てきた世界を見たいと思った。


「しかし、変装ねぇ…“表”の年頃の娘とかどういうもん着てるのか、分かるかセネレ?」

「さぁ?」


 息苦しい乱世の中で、穏やかな時間を過ごす。それは平穏に生きる者たちからみれば危険極まりない日々だったが、彼らからすれば週に何度か切った張ったに励むなど取るに足らない。

 世間からずれた二人に奇妙な絆が育まれていった。

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