首輪の色は何色か

 コウカを取り巻く環境は安定したと言っていい。住居も手に入れた。金も入る。仕事も回ってくる。生きていくのには不自由ない環境をコウカは獲得したのだ。

 だがコウカは困っていた。困惑していると言っていい。与えられた質素な一室――

この区画では人も羨む部屋だが――で、人の顔色を窺う羽目に陥っていた。

 それは同居人たる少女。顔立ちは悪くないのだろうが、髪は手入れしているようには見えない。頭陀袋と紙一重の貫頭衣に身を包んでいるが、後ろ腰の二本の短剣が全く似合わない。

 名をセネレと言うらしい。らしいというのは連れてきた男から聞いただけであり、彼女から聞いたわけではないからだ。というよりはコウカはフィリスの声を聞いたことが無かった。



「あー、セネレ? パンとか食べるか? 芋混じってて美味いと思う、思うんだが……」

「……」



 無言でコウカからパンを受け取ったセネレはどこを見ているのか分からない目のままパンを咀嚼し始めた。

 嫌われているわけでは無いらしいことが更なる困惑の種だ。魔女を別にすればここまで意思疎通の難しい存在はコウカの半生には存在しなかった。リスのようにパンを頬張っているセネレのために土焼きのカップに水を置いて、コウカは仕事に出ることにした。

 簡素な椅子からコウカが立ち上がると、セネレも立ち上がる。コウカが扉に向かえばセネレも後を付いてくる。


「……もしかして一緒に来るのか?」

「……」

「言っておくけど暗渠に行くんだぞ? 汚いぞ?」

「……」

「もう、勝手にしてくれ。水飲んでしまえよ」



 何の変化も表情には現れないセネレにコウカは匙を投げた。ある程度言うことは聞くのだから、適当にどこかで帰らせようと思いつつ今日の仕事場に向かった。



 コウカの預かり知らぬことではあったが、セネレこそがサルグネの付けた“首輪”だった。首輪に飾り付けられた役割は多岐にわたるが、最終的にはコウカが造反した際に後ろから刺すことが求められている。

 


「“牙抜け”なんぞが聖騎士をやっちまうような奴を後ろからやれるんですかい?」

「そこまでは求めていないさ。一瞬、隙を作ってくれればいいのさ」



 サルグネにとってコウカは大事な駒だが、セネレは使い捨ての道具に過ぎない。擦り切れるまでにできるだけ役に立つことを願うだけだ。

 サルグネは煙管から煙を立ち上らせながら、他に打てる手は無いかと思案した後、書類仕事に戻った。



「兄貴。お疲れ様です」



 いかにも町のチンピラといった風情の男が出迎えてきた。先日叩きのめした一団にいた男で名をラワンという。

 彼曰くその腕っ節に惚れ込んだとかでこうして町に不案内なコウカの案内人と化している。本当に敬意を持ってくれているかはコウカには分からない。が、尊敬を示されれば悪い気はしない。コウカはどこまでいっても小者である。



「そちらのお嬢は?」

「知らん。サルグネの大将に付けられた……で? こんな枯れた暗渠に何の問題が?」



 セネレの存在を胡散臭げに見やっていたラワンだったが、質問には律儀に答えてきた。



「貴族街の連中が飼っていた魔獣が逃げ出してここに住み着いたらしくてですね。難儀した盗人達がサルグネの姐さんに泣きついてきたそうなんでさ」

「盗人?」

「へい。この暗渠をあっしらは“鼠の巣穴”って呼んでおりやす。盗品の売買だとか依頼にはうってつけの場所なんだそうで……」



 ふぅん、と興味なさげに漏らしたコウカだったが仕事は仕事だ。確かに中から幾つかの気配を感じる。なんだって魔獣などを愛玩していたのか。貴族というものの考えは理解出来ないところがある。向こうも理解されたいとは思っていないに違いない。


「おいセネレ。いい加減帰れよ。どうみても楽しそうな場所じゃなさそうだぞ?」

「……」

「てめぇ、兄貴が帰れって言ってんだぞ! あぁ!? なんとか言ってみろや!」

「……」


 無辜の町人ならば逃げそうなラワンの恫喝にもセネレは反応をしめさない。部屋にいたときと同様に、宙空を硝子玉のような目で眺めているだけだ。

 力尽くで帰らせるか、と思った時セネレの口が開いた。


「……仕事」

「あ?」

「守れ、と言われてる」

「誰に? 何を?」



 セネレがコウカを指差した。



「毒とか病気とか、偶然とかつまらないことで死なせないようにって」



 この少女が自分を守る? コウカも外に出てからそれなりに自信を付けてきていた。同胞たちや名高い英雄以外にはひょっとして自分を脅かす存在などいないのではないかと。

 些か不快ではあったが雇い主の考えであれば無視するわけにはいかない。コウカは「勝手にしろ」と繰り返し、ラワンは肩を竦めて暗渠に乗り込んでいった。

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