38-8.いつもそう




(あの女、絶対忘れてる)

 大事な試験を前に禁断症状でおかしくなったらどうしてくれる。

 机に突っ伏していた誠の耳に、母親の物とは違う軽い足音が響いてきた。


「まーこーとーくん」

 わざとらしく呼びながら部屋に入ってくる。

「勉強はかどってる?」

「遅い」

「ごめんごめん、お菓子持ってきたから休憩しよ」


 げっそりしている自分と違って実に元気そうだ。

「センターの自己採点良かったんでしょ。杉原くん経由で唯子ちゃんに聞いた」

 なんなんだ、その伝達経路は。おかしいだろうが。


「このコーヒー、タクマに買ってもらった豆で淹れたの。おばさんは美味しいって言ってくれたよ」

「楽しそうだな」

 美登利はそろそろ目を上げた。

「怒らないで」

「怒ってない」

 首を傾けて見上げてくる彼女に「やっぱり」と誠は言い直す。


「少し、怒ってる」

「キスしてあげようか」

「うん」

 手が伸びて指が頬をなぞる。

 彼女のキスはいつもそう。頬に感じる冷たい指の感触。瞳にまつ毛の影が差して揺らめく様子を見ているだけで、ゾクゾクする。


「やっぱりいい」

 美登利の手を握って誠は口をへの字に曲げる。

「我慢できなくなる」

 くすりと笑って美登利は彼の頭を撫でる。

「全部終わったらたくさん遊ぼうね」





 一週間後には坂野今日子と船岡和美と一緒に合格の報告に学校に行き、その帰りにケーキショップに寄った。

「船岡さんは県立大も受けるのですよね」

「一応ね。親がうるさくてさ。でも学部的になあ、おもしろそうじゃないよな」

「やりたことがあるなら、どこに行ってもちゃんとやれるよ。和美さんなら」

「そうかな?」

「うん」

 にっこりして美登利はカフェオレを飲む。


「にしても暇だなあ。こうなったら商品開発にケーキ作りに挑戦してみようかな」

「いいんじゃないですか。お菓子は化学ですから。マニュアル通りにやれば間違いないです」

「タクマに道具買ってもらおう」


 おねだりして器具や道具を揃えてもらいお菓子百科を手に作り始めたらものすごくハマった。

「なるほど、お菓子は化学だ」

 とはいえオリジナリティがなければ商品にはしたくない。

「おいしきゃいいのよ」

 常連のマダムたちは言ってくれたが納得できない。


「美登利さんが作ったというだけで十分オリジナルですよ」

 結局まったく理屈の通っていない今日子の言葉に押し切られケーキ試作の日々は一応の区切りを見せて、琢磨をホッとさせた。

 本人が飽きたのだという見方もあったが。

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