20-3.「あいつらキライ」

 だからといって気持ちは変わらなかった。

 この世で唯一の大切で愛しいもの。自分から手放すなんて考えられない。ずっとずっと守るから。


 中等部へ上がったばかりの頃、小学部へ来るよう苗子理事に呼ばれた。

 相談室に行くと苗子理事と一緒に美登利が肩をすぼめてソファに座っていた。

 同学年の男子と派手に喧嘩をしたらしい。


「あいつらキライ。偉そうに、どうせサラリーマンの子どもだろってすぐに人をバカにする。結婚しようって毎日うるさい馬鹿もいるし」

「だからって、殴ったら負けだって、いつも言ってるよね」

「殴ってないもん、ちょっと引っぱたいただけだもん」

「美登利」

 目に涙をためて美登利はぷいっと相談室から飛び出した。


「すみません」

「あまり怒らないであげて。あの子も随分我慢はしたみたいなのよ」

 それはそうだと思う。巽に向かってこぼしたような愚痴を美登利は一度も両親に打ち明けたことがない。


「相手の怪我は……」

「あら、そんなもの。ちょっと引っぱたいただけって美登利さんも言ってたでしょう」

 ころころと笑って苗子理事は巽に座るように促した。

「どうせ問題の絶えない子たちなの、たいしたことではないわ。結婚云々は知らないけれど」

 そこで笑いを収めて苗子理事は物憂げにひじ掛けを指で叩いた。

「困ったものね、ほんとうに……」


 八人いる理事の中で最も良識と見識に富む城山苗子理事のことを、巽は信頼していたし尊敬もしていた。何か思惑があることにも気がついていた。

「巽さんに、お願いしたいことがあるの」

 だからそれを言われても別段驚きはしなかった。




 話を終えて外に出ると、先に帰っているかと思った美登利が玄関わきの花壇のそばで巽を待っていた。


 一ノ瀬誠が一緒にいて、彼女の手を握っている。その手を放して美登利が走り寄ってきた。

「お兄ちゃん、ごめんなさい」

 もう泣いてもいないし拗ねてもいない。一ノ瀬誠のおかげだろう。


「あのね……」

 巽は妹の前にしゃがんで、まだまだ小さなその手を取った。

「あと五年、小学部を卒業するまではここで我慢してくれる? そしたらね……」

 耳打ちされた内容に美登利は目を丸くする。

「内緒だよ」

 頬を紅潮させてこっくり頷く妹の手を握って巽は立ち上がった。

「帰ろう」


 手を引かれながらも、美登利は振り返ってもう片方の手を伸ばした。

「誠ちゃん!」

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