休日のデート
「ちょっとトイレに行ってくるね」
「あ、俺も行くよ」
休日のランチ時。この辺でちょっと有名な美味しいオムライスを彼と一緒に食べた後、私たちはトイレに向かった。飲食フロアの女性トイレはかなりの行列を作っていた。男女で入り口が別れるところまで並んでいる。
「結構混んでるなぁ」
「下、行ってみる?」
「うん」
私たちはエスカレーターで下のフロアに降りる。一階下だとまた並んでそうだったので、念のため二つ下まで降りた。
天井の案内板に従い、紳士服フロアを抜け、スポーツ用品売り場の先に行くとトイレがあった。こちらのトイレは誰も並んでいない。
「じゃ、またあとで」
「はーい」
トイレ前で彼と別れた。
さっそく奥の個室に入り、カギを閉めた。カバンをフックに掛ける。下着を下げ、フレアスカートをたくし上げて便座に座り、用を足す。
スカートのポケットからスマホを取り出し、SNSをチェックする。いくつか自分宛にメッセージが来ていたので、その場で返信をした。
いけない。彼が待っているんだった。私はスマホを再びスカートにしまうと、トイレットペーパーで局部を拭き、「小」ボタンで水を流した。
下着を上げて立ち上がった。と、その時――。
聞いたことのない音がした。軽い音と重い音、それから籠もったような音が同時に聞こえた感じ。
なんだろうと思い振り向くと、なぜか私のスマホが便器の中で揺らめいていた。
「えっ」
スマホ落としたっ!
脳がそう認識したと同時に、私の右手はスマホめがけて一直線に便器の中の水に突っ込んでいった。
前腕まで水に浸かりながら、便器の底のスマホを拾い上げる。
画面は真っ黒だ。そのまま左手でボタンを押したり、画面をタップしたりしたが、なんの変化もない。
電源ボタンを長押しするが電源も入らない。
え、どうしよう……。
私のスマホは防水仕様じゃない。こういうときどうしたらいいんだろう。
ネットで調べようにもスマホが動かない。
とりあえず、スマホカバーを取り外した。トイレットペーパーを引き出し、濡れている本体を拭いた。内部に入った水はどうしたらいいんだろう。
げ。便器の中に手突っ込んだんだった。ここにきて水が綺麗なものではないことを思い出した。
カバンを汚さないように肩に掛け、スマホを持って個室から出た。
洗面所に行き、自分の手を石けんで洗う。
そのまま花柄のスマホカバーも丸洗いする。プラスチック製でスマホ背面だけを覆う形のカバーだ。
スマホはどうしたらいいんだろう。用を足した後、水を流しているから、スマホを落とした時の水はそこまで汚いわけではないはずだ。
さらに水で洗って重症化してしまったら困る。少し躊躇ったが、スマホは洗わないことにした。
カバンからハンカチを出し、手を拭く。スマホカバーもハンカチで拭き水気を取った。
洗面所の台に置いたスマホをひっくり返す。背面のカバーを外し、充電地を取り出す。
中も水気を含んでいたが、思っていたほど濡れていなかった。カバーのおかげかもしれない。
それからサイドからmicroSDカードを取り出す。こちらもあまり濡れていなかった。
私は再び個室に戻り、トイレットペーパーを引き出してきた。洗面所に戻る際に、ちょうど入ってきた小綺麗な女性に変な目で見られた。でもそんなこと気にしていられない。一大事なのだ。
トイレットペーパーを使い、拭ける部分はすべて拭いた。
充電池を戻し、再び電源を入れてみようか迷う。どうしよう。
先ほどの女性が洗面所にやってきて、手を洗っている。ハンドドライヤーで手を乾かし終えると、鏡を見ながら髪を整え始めた。
そして、鏡越しにチラチラと汚いものを見るように、不安でいっぱいの私を横目で見てくる。
どうしよう。泣きたくなってくる。
小綺麗な女性はそのまま、ふいっとトイレを出て行った。なんだかすごく感じが悪い。見放された感じがした。
トイレにひとりになった私は、なぜだか大きな不安に押しつぶされそうになっていた。
そうだ。彼が待っている。彼に相談しよう。私はカバンに花柄のスマホカバーを入れ、それからハンカチにスマホ本体と充電池、背面カバーを丁寧に包み、トイレを後にした。
「どうした? 遅かったね、お腹壊した?」
彼が心配そうな顔をして、そう声を掛けてくれたから、ずっと我慢していたものが一気に溢れ出そうになった。
「スマホ、トイレに落としちゃったぁ」
「ええー。大丈夫?」
「ううん。電源が入らなくなっちゃった……」
涙目の私は彼に助けを求めた。
それから、トイレでの一部始終を彼に伝えた。彼はすぐに自分のスマホで、スマホを水没させてしまった時の対処方法を調べてくれた。
その結果、電源を入れるのは避けた方が良いということになった。
彼に連れられ、近くの百円均一ショップへ入り、そこで密閉タイプのタッパーとキッチンペーパー、それからシリカゲルという乾燥剤を購入した。
「よし、それじゃあ、まずは……」
近くのカフェに入り、彼と向かい合わせに席に座った。テーブルの上には、飲み物と先ほどの買ったアイテム、ハンカチの上に乗せた水没したスマホが置かれている。
飲み物、こぼしてしまったら大変と思い、テーブルの端に避けた。
「まずは、スマホ本体をキッチンペーパーで包む」
タッパーの底に乾燥剤を敷き詰め、その上にキッチンペーパーで包んだスマホを置く。スマホの上にも乾燥剤を置き、さらにタッパーの隙間を埋めるように乾燥剤を詰めていく。
そうしてギュウギュウに乾燥剤を詰めたらタッパーの蓋をする。四辺とも折り込み式のロック付きでしっかり密閉できる。
「よーし。これで最低でも一日、長くて三日は放置だな」
彼はウェットティッシュでテーブルを拭く。
「分かった。ありがと」
乾燥剤を使って濡れてしまったスマホ内部の水分をしっかり取り除くのだ。しばらくスマホが使えなくなってしまうけど、仕方がない。
「まあ、そんなに落ち込むなって。復活しなくてもまた買えばいいじゃんか」
彼はそう言う。でもそれではダメなのだ。このスマホの中には彼との写真が、彼との思い出がたくさん入っているのだから。
「ううん。写真のデータがスマホにあるから」
「え? クラウドに上げてないの? バックアップとか」
「私、そういうの苦手だからよく分からない……」
「そういやSDカードは? そこにデータ入ってない?」
「あ、入ってるかも」
「ちょっと貸してみ」
私はカバンからmicroSDカードを取り出し彼に渡した。カードを受け取ると、彼は自分のスマホにそれを挿した。
「どれどれ……」
「見れそう?」
彼はスマホを操作している。そういえば、スマホを買った時の初期設定も彼にしてもらったっけ。アカウントの連携とか、前のスマホからのアプリの移行とか。機械音痴の私には全く分からないところを彼はすぐに設定してくれた。
「お。写真、無事っぽい」
そう言って彼は自分のスマホの画面を私に見せてくれた。
そこにはスマホを水没させる前に撮った、オムライスと、それを美味しそうに笑顔で食べる彼の写真が映っていた。
「俺、変な顔してんな」
「そう? 好きだけどな。この顔」
そう。私の好きな顔。彼の笑顔。
「データ、バックアップしておくよ」
「うん、ありがと」
「スマホ、復活するといいな」
「うん」
休日のデート。スマホを落としてしまって、一時はどうなるかパニックになってしまった。でも彼がいてくれて本当に良かった。
たまにはこういうのも良いかもしれない。彼の優しさを感じることが出来た日だった。
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