The beautiful beast(中)

 朝食を食べ終えて、仕立て屋に行く準備をして、彼女は外に出ました。パタンと木の扉を閉めて、仕立て屋まで続く土の道を歩いていきます。

「おはようございます」

 途中で、畑仕事をしているおじさんに挨拶をしました。おじさんはその声で彼女の存在に気が付いたようで、野菜を収穫していた手を止めて振り返ります。

「あぁ、おは……」

 おじさんの言葉が途中で止まります。その顔を見て、おじさんの考えていることを察した彼女は慌てて言いました。

「私はあそこの家の一人娘よ」彼女は自分の家を指し示します。「昨日、この姿に変えられたけど私は私。それに魔法を使えるようになったのよ。だから困ったことがあったら今まで通り、遠慮なくいってくだされば魔法を使ってでも手助けするわ」

 それでもおじさんの顔は強張ったままです。

「あそこの嬢ちゃんとは似ても似つかないが……。まさかお前!」

 おじさんはバッと立ち上がって、叫ぶように言いました。

「あそこの嬢ちゃんを食ったのか! この化け物が!」

 そう言って、おじさんは石を拾って彼女めがけて放り投げます。石は彼女に当たりませんでしたが、その騒ぎを聞きつけて、そして彼女の獣の姿を見て、他の農夫たちが一緒になって彼女へと石を投げつけてきます。

「化け物!」

「この村から出ていけ!」

 そんな罵詈雑言に耐えられなくて、昨日までとはまるで違う皆が怖くて、彼女は頭から生えている耳を抑えてその場から走って逃げだしてしまいました。

 走って、走って、気が付いたら村の端の仕立て屋の前に来ていました。

 しかし手伝いを頼まれているにも関わらず、仕立て屋の中に入る勇気が無くて彼女はその扉の前にただただ立ち尽くしていました。

「おねえちゃん遅いなぁ」

 そんな彼女と正反対ののんきな声と共に仕立て屋の扉が開きます。中からひょこっと顔を覗かせたのは、仕立て屋の息子でした。彼はまだ幼く、背丈は彼女の腰ほどしかありません。

 そんな彼の瞳が仕立て屋の前に立つ彼女のことを捉えました。

「だれ?」

 彼がこてん、と首を傾げます。

「……私は今日、ここの仕立て屋にお手伝いを頼まれた向こうの方の家の一人娘よ」

「でも、あのおねえちゃんはとても綺麗だよ? 獣みたいなかっこうしてないよ」

「昨日、おばあさんにこの姿にされたのよ。その代わり魔法を使えるようになったのよ」

 その言葉に彼は目を輝かせます。

「魔法使えるのっ? じゃあね、じゃあね、甘いもの食べたい!」

 無邪気に手を差し出すその姿に、彼女は心のどこか固まっていた部分がゆるゆると溶けていくのを感じます。彼女はしゃがんで、目線を彼に合わせました。

 彼女は目を細めて、彼の手の上に数個の飴が出てくるように願います。

「わぁっ」

 彼の手が柔らかく白い光に包まれてその光が消えるとともに、赤、黄、緑の三つの丸い飴玉が手の上に転がります。

「おねえちゃん、ありがとう! ねぇ、お母さん見て見て!」

 そう言って、彼が家の中に居るのであろうお母さんの元に見せに行きます。彼女はホッとして立ち上がって、しゃがんだ時に付いた土を払いました。

「おねえちゃんがくれたんだよ。ほらお母さん来て来て」

 そう言って、彼が仕立て屋の奥さんの手を掴んで引っ張ってきました。

「あら、飴じゃないの。そんな高いものもらえないわよ。ごめんなさ……」

 ごめんなさいねと続けるつもりであったであろう言葉が、しかし彼女の姿を見たことによって途切れます。

「ほら、今日お手伝いに来てくれるって言ってたおねえちゃんだよ! おばあちゃんがおねえちゃんをこの姿にしちゃったって言ってた。でも魔法で飴を出してくれるし、優しいからあのおねえちゃんだよ!」

 その言葉に彼女は仕立て屋の奥さんに向かってぺこりと頭を下げた。

 仕立て屋の奥さんは短くため息をつきます。

「あなたのその服……覚えているわ。去年の収穫祭の時にあの子にあげた物よ。でもね、あなたの言うことが本当でも嘘でも、もうこの村から出て行った方がいい」

 仕立て屋の奥さんが彼女の服を見ます。そこには赤い糸で花が刺繍されていました。

 仕立て屋の奥さんは、隣の家の奥さんや農夫の方々とは違って、叫び声をあげたり彼女のことを見て化け物と呼んだりしません。しかし、その表情はどこか硬いものでした。

「どうして……ですか?」

 彼女が恐る恐るといった感じで尋ねます。

「あなた、ここに来るまでに誰かと会った?」

 その言葉に彼女は頷きます。

「じゃあ蔑まれたり、酷い言葉をかけられたりしたでしょう?」

 また、頷きます。

 それを見て、仕立て屋の奥さんは再びため息をつきました。仕立て屋の奥さんの子供は、奥さんの手を握ったままじっとこちらを見ています。

「ここに居たらそれは続くわ、絶対にね。だからこの村から出て行った方がいい。あなた、魔法を使えるの?」

「はい。他人のために使わないといけないという制限がありますが……」

「じゃあ」仕立て屋の奥さんは森の方を指さします。「お願いだからあの森の奥深くに魔法でお城みたいな家を作って、そこで暮らしてちょうだい」

 そう言って、仕立て屋の奥さんはバタンと扉を閉めました。

 彼女は思わず、扉の前に立ち尽くしてしまいます。でも彼女は仕立て屋の奥さんから頼まれ事をしたのです。この頼みがこの村で最後にされる頼まれ事だろう。そう思うと目元がカッと熱くなりますが、彼女は上を向いて目から零れ落ちそうなものを何とか堪えます。

 そして前を向いて、森の方へと歩き出すのでした。仕立て屋の奥さんに感謝しながら。


**


 森を歩き続けてどれだけ経ったのでしょうか。気が付くと森の奥深く、彼女の全く知らない場所に居ました。

 彼女は普段、あまり森に入りません。村の人と一緒に山菜を採りに行ったり、猟師のおじさんと一緒に狩りをしたことがある程度です。これらもそこまで森の奥深くには入らないので、そこは未知の場所でした。

 不意にぽちゃんと水の音が聞こえました。

「こっちかしら……」

 水の音が聞こえた方へとふらふらと歩いていきます。木の枝をどけて、茂みをかきわけて、辿り着いたそこは開けた場所でした。その中央に澄んだ水をたたえた小さな泉があります。水の中を覗き込むと魚も泳いでいます。先程の水の音は魚が跳ねたときのものでしょう。泉の周りには白い小さな花が咲いて、その蜜を黄色の蝶が吸っています。

 彼女は昔のことを思い出しました。彼女が仕立て屋の息子と同じくらいの年齢だった頃、彼女の両親と一緒に草原まで遊びに行って花を摘んだことがあります。彼女はその時のことを思い出して、泉の畔に座り込みました。どれだけ歩いていたか分かりませんが、足も疲れていますし、仕立て屋の奥さんからもらった素敵な服も木に引っ掛けて破れたのでしょう、ぼろぼろになっています。

 彼女は昔のことを思い出しながら、白い花を一本一本丁寧に摘んでいきました。優しかった両親、親切だった村の人々。思い出は優しく彼女を包んでくれます。

 白い花を沢山摘んで、ちょっとした花冠を作り、彼女は自分の頭に乗せました。彼女の花冠は村一番綺麗なことで評判でした。しかし、その花冠を受け取ってくれる人はもう居ないのでしょう。

 やっぱり昨日のおばあさんが言ったことは本当だったんだ。彼女はそう思わざるをえませんでした。もうその言葉を否定する元気も勇気も残っていません。

 でも彼女にはまだやることがあります。彼女は立ち上がりました。

 ここは家を作るには丁度いい広さがありました。そして十分村から離れていることでしょう。彼女はここに家を作ることに決めました。彼女はどのような家が良いか、色々と考えながらゆっくりと区切るようにして言います。

「ここにお城みたいな大きな家ができますように」

 辺り一面が白い光に包まれて、あまりの眩しさに彼女は目をつむりました。

「わぁっ……」

 そっと瞼を開くと、そこには自分が思い描いた石造りの大きな家が建っています。彼女は思わず感嘆の声を洩らしてしましました。

 広い庭、大きな玄関、いくつもある窓、高い三角に尖った屋根。二階建てのそれは彼女にとって十分に大きな家でしたが、それ以上に高い塔が家の近くに立っていました。とてもとても高い、森の奥深くとはいえ村の皆からでも見えるであろう塔です。

 彼女は目の前の勿体ないほど大きな家へ、自分の新しい家へと向かいます。沢山の花が色とりどりに咲き乱れる庭を通り抜け、大きな木の扉に手をかけて、それを開けようとして少し思い留まりました。

 今ここで村に帰ったら皆、彼女のことを理解し受け入れてくれるかもしれない。そんな未来を考えてみました。しかし、どうしてかその未来を上手に想像することはできませんでした。

 彼女は木の扉を開けて、一瞬のうちにできた魔法の大きな家の中へと入っていきました。

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