Hot Rings

トネ コーケン

(1) Flying Hip

 静岡県沼津市西浦

 かつてスカンジナビア号と呼ばれる海上ホテルレストランがあった海は、ここ数年で少し狭くなった。

 しずおか学術産業拠点ポラリス。

 横浜のみなとみらい21や神戸のポートピアが羨ましくなった静岡県民とその議会が開発を決定した、埋立地とメガフロートのハイブリッドで作られた人工島。

 

 他県への対抗意識で広さだけはご立派な海上都市は、いざ作って見たところ開発した大手建築会社が想定していたほどの企業を誘致できず、学術と研究の街にするか産業の拠点にするか、それともハウステンボスのようなリゾートにするかただの漁礁にするか二転三転した結果、島は現在の学術産業都市に落ち着いた。

 自治体が建築と漁業等の補償に要した莫大な費用を回収すべく焦った結果、幾つかの新しい物好きな学校と企業を受け入れ、詰め込んだ海上都市には、幾つかの分不相応な新しい都市計画が盛り込まれていた。

 例えば環境対策のためEV及びハイブリッド車しか乗り入れ出来ないという条例等。

 日本とは環境や国民性のの異なる海外都市を猿真似した碁盤の目の道路は、設計上の欠陥といっていいほどに信号の密度が高く、不動産の空きを埋めるためトラックターミナルまで受け入れてしまったこともあって、開発と分譲を開始して以来、今に至るまで常に交通渋滞に悩まされていた。


 もう何度目か、信号で止められたEVハイブリッドエンジンのタクシーの後席に、一人の少女が座っていた。

 佐山大河、十五歳。女子としては高めな身長に褐色のセミロングヘア。目つきがもう少し優しげなら美人と言われていたであろう顔立ち。

 約束の時間が迫っているのに、なかなか目的地に近づかないタクシーに若干苛立った大河は、自らの中に湧いた感情を揉み消すように、車窓から外を見た。

 どこか日本離れした広い道路と歩道。電柱の無い街に立ち並ぶ新しいビルと、あちこちで見かける空室の札。一階が店舗になっている雑居ビルが多いが、その店も半分ほどがシャッターを閉じている。

 目新しい物の多い場所だと思った大河の目に、見慣れない物が飛び込んできた。

「お尻!」


 赤くて丸いもの。タクシーの窓の横、ちょうと大河の目線の高さを、二つの丸い頂きが通り過ぎた。

 既にこの人工島の渋滞には慣れっこな様子のタクシー運転手は、こっちには全然慣れないといった感じで、今通り過ぎていったものを指差しながら言った。

「この島じゃあな、空飛ぶお尻が見られるんだよ」

 大河には運転手の言っている意味がわからなかったが、それよりさっき見た物が理解できない。自分の前を躍動しながら通り過ぎていった双峰、あれは確かに女の尻。 

 車窓から外を見ているうちに、またお尻が飛んできた。こんどは黒い尻。じっくり観察する間もなく、渋滞している道路を凄い速さで飛び去っていった。


 ちょうど車の座席に乗る人間の目の高さを通り過ぎる、三つ目のお尻に出会う頃には、大河はそれが自転車に乗った女子であることを理解できた。さっきよりゆっくりと浮遊している青い尻。自転車に乗った女子のジャージに包まれた尻。

 お尻を振りながらロードレーサータイプの自転車で走り去っていく女子は、背中に大きなバッグを斜め掛けしていた。

 大河にとって驚きの対象だったのは、いきなり見せられたお尻ではなく、二車線道路の真ん中を通り、タクシーとトラックの間を駆けて行く自転車だった。


 今まで大河の知る自転車というのは、歩道を走るママチャリや、ロードレーサーでも車やバイクに追い抜かれながら車道の端っこを肩身狭そうに走るものだった。    

 そう思っている間にも、またお尻がタクシーを追い抜いていった。サイクルジャージというより体育用のジャージを短く切った緑色ジャージと体操シャツ、各々色違いらしきヘルメット。彼女たちは揃って大きなバッグを斜め掛けしている。

 大河があれは何か聞こうとする前に、タクシーの運転手は忌々しい物を見るような目で走り去る車輪を睨みながら答えてくれた。

「リングスだ」

 信号が青に変わり、前方に見える次の信号まで加速するタクシー。そのタイヤよりずっと速い速度で回る銀輪の輝きを残し、お尻は空を飛んでいくように視界から消えた。

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