十二人の彷徨える天使

菱田空慧

プロローグ


 一


 目の前のガラス一枚隔てた先にあるものは、無数の星のきらめきと、それを覆い尽くす無限の暗闇だ。そこには、人間が生存することの不可能な空間が広がっている。このドーム型展望室から見上げると、視界にあるのは星空だけだ。この場に立つと、底の見えない穴を覗き込むような不安感に襲われ、足がすくむ。

 それでも、マーゴはこの場所が好きだった。宇宙は、その無限の広大さゆえに、人類のフロンティア精神を阻み続けている。そこは、決して人が辿り着けない領域だった。その事実に、マーゴは微かな喜びを見出していた。


 マーゴが立っているのは、木星の衛星軌道上にある、宇宙船シンポシオンの展望室だ。

 シンポシオンは、地球と木星間を周遊するために開発された巨大観光船である。五千人が二年間、無補給で生活できるように設計されており、船内には図書館や映画館、テニスコートなどレジャー施設が取り揃えてある。ただし、今この船に乗っているのは五千人の観光客ではない。


 マーゴが後ろ手に組んで窓外を眺めていると、背後のエレベータのドアが静かに開いた。マーゴの背中に光が差し、ゆっくりと振り返ると、黒髪の少女が静かに歩いてきた。

「やっぱり、ここにいらしたんですね」

「ラーラか。用があるなら呼び出してくれればよかったのに」

「探すのが楽しいんですよ。ゲームみたいで」

 ラーラと呼ばれた少女は、肩をそびやかして静かに微笑んだ。

「でも、できればあまり、ウロウロしないでいただきたものですね、マーゴ。あなたは船長なのですから」

「いいじゃないか、どうせ暇なんだし。で、何の用なんだ?」

「そろそろ会議の時間ですので、お呼びに参りました」

「ん……ああ、そうか。どうせ大して話すこともないんだろ。後で結果だけ教えてくれよ」

「ダメです。今日はとても重要な案件がありますので、マーゴに居てもらわないと困ります」

「しょうがないなあ……」

 マーゴは微かに眉をしかめたが、赤い前髪を搔き上げると、言われた通りに歩き出し、踵を返したラーラの後について行った。

 

 二


 二人がエレベータを降りると、長い廊下に出た。壁には豪華な調度品が飾られおり、この船が豪華客船であったことを物語っているが、二人はそれらに見向きもしなかった。

「最近、変わったことはあったか?」

 並んで歩きながらマーゴが訊いた。

「相変わらずですよ。また、マライカとウララが立入禁止区域に入りました」

「アハハ。懲りないな、あいつら。まあ、いいんじゃないか。みんな退屈してるんだし」

 楽しそうなマーゴに対して、ラーラは顔をしかめた。

「いい訳ありません。ルールは守ってもらわないと」

「ヘゲモニコンは見逃したんだろ。なら危険はないさ」

「それとこれとは話が別です。みんなで決めたことなんですから」

 眉をひそめて怒るラーラを、マーゴは楽しそうに見つめた。

「あと、メイリンが医療品の補給を求めています。ゴルギアスに連絡を取りますか?」

 それを聞いてマーゴの顔が曇った。

「今のところ病気になる奴もいないし、しばらくは大丈夫だろ」

「何かあった時に困りますよ」

「うん、まあ……考えとくよ……」

 マーゴが言葉を濁すと、ラーラは呆れた様子で溜息をついた。

「あ、今日の会議はここです」

 ドアの前を通り過ぎようとするマーゴに、ラーラが声をかけた。マーゴが戻ってくるのを待ってから、自動ドアの開閉ボタンに手を触れた。

 ドアが開くと中は暗闇だった。

 マーゴが「ん?」と怪訝な表情を浮かべると、突然部屋の明かりが付き、歓声が響き渡った。

「ハッピバースデー!!」

 驚いたマーゴの頭の上に、クラッカーの紙吹雪が降りかかった。

 ラーラが嬉しげな笑顔になり、マーゴを見つめた。

「お誕生日おめでとうございます、マーゴ」

 マーゴは降りかかった紙吹雪を払いのけながら、照れ臭そうに微笑んだ。

「そうか、地球じゃ今日は七月七日か。そんなのすっかり忘れてたよ」

 部屋の中には、シンポシオンのメンバーが集まっていた。中央のテーブルにはケーキが置かれ、その上にある大量の蝋燭に火が灯される。

「おいおい、やりすぎじゃないか? 一体何本あるんだよ?」

 マーゴが呆れ顔で訊いた。

「七十本!」と、元気な声の少女が答えた。

「やれやれ、あたしゃすっかりお婆ちゃんになっちまったね」

 マーゴがおどけると笑い声が響いた。

 しかし、マーゴの外見は七十歳には到底見えなかった。どこからどう見ても、未成年の少女である。この場にいる全員が、そうであった。誰もが、年若い少女にしか見えない。中には、子供のような小さな子もいた。

 マーゴが蝋燭の炎を勢いよく吹き消すと、拍手が巻き起こった。

 マーゴは一つ咳払いすると、気を取り直してみんなを見渡した。

「みんなありがとう。ビックリしたよ。今までこんな事なかったからね。でも、節目を祝うのに、ちょうどいいタイミングだったな。私が七十歳ってことは、我々が宇宙に飛び出して、五十年が経ったわけだ。その間、誰も欠ける事なく、十二人全員が生き延びたことを、嬉しく思う。だから今日は、みんなが主役だ。思う存分、パーティを楽しもう!」

 再び歓声が上がり、給仕用ロボットが忙しそうに立ち回り始めた。

 マーゴの元に、大柄な褐色の少女が近づいてきた。

「おめでとう、マーゴ」

 ニコリともせずに祝辞を述べる。

「お互いにな、ナンディ。しかし、五十年なんてあっという間だな。信じられないよ」

「ここでは、何も起こらないからな。変化の記憶が蓄積していかない。成長することもなく、ただ時が流れていく。みんな退屈してるのさ。たまにはこういうのも、いい気晴らしになる」

「いいことなんだろうな。あの頃には絶対に戻りたくないもんな」

「ただの実験体であった我々が、こうして生き延びることができた。あの時、私はお前と一緒に行くと決めた。その判断が間違っていなかったと分かって、嬉しいよ」

 二人は手にしたワイングラスを重ね合わせた。

「なに辛気臭い話してんの」

 誰かがマーゴの肩を叩いた。振り返ると、眼鏡をかけた金髪少女のニヤニヤした顔があった。

「誰がこの場をセッティングしたか、お忘れなく」

「ジェナ、よくヘゲモニコンの許可が下りたな」

「間に合ってよかったよ。ほんと、あの堅物AIさえいなけりゃ、もうちょっと楽しく暮らせるのにな」

「聞かれてるぞ」

 二人は、天井からぶら下がっているカメラに目をやった。シンポシオンの基幹システムである、ヘゲモニコンの監視カメラだ。船の運航の制御から、乗員の健康まで総合的に管理する人工知能だ。食料の自給自足が可能となったのも、ヘゲモニコンのおかげである。乗員にいつどんな食事が提供されるかは、全てこのAIが決定している。

「それがお父様の思いやりですのよ。ありがたく頂きましょう」

 いつの間にかジェナの隣に立っていた上品な少女が、口を挟んだ。

「ゲッ! イローナ」

 ジェナは慌てて飛び退いた。

「『ゲッ!』とはなんです、失礼な。こうしてお酒が飲めるのも、お父様のおかげですのよ。感謝しなくては」

 澄まし顔でそう言ったイローナに、ジェナは苦虫を噛み潰したような顔で答える。

「分かってるよ、そんなことは。あと、ただのAIを『お父様』とか言うな。せめて『おやっさん』と言え。気持ち悪い」

「なんですって!」

「まあまあ、その辺で」

 向かい合っていがみ合う二人を、マーゴがなだめるように制止した。


 それを黙って聞いていたラーラは、料理をがっついている二人の少女を見つけると歩み寄った。

「ねえ、マライカ。イオリを見てない?」

 褐色の少女が食べるのをやめて、顔を上げた。

「知らないよ。ウララ知ってる?」

「部屋にいるんじゃない?」

 二人は口々に答えると、再び料理を貪り始めた。

「まったく。なにやってるの。せっかく、みんな集まってるというのに」

 ラーラは周囲を見回して、壁際で本を読み耽っている少女に目をつけた。

「タラ、イオリを連れてくるから手伝ってちょうだい」

 タラは「ん」と短く返事をすると、本を閉じてラーラの後ろについた。

 ラーラは、もう一人手持ち無沙汰にしている少女を見つけると、声をかけた。

「ルミ、あなたも付いてきて」

「あっ、はい」

 ルミは、椅子から飛び跳ねるように立ち上がった。


 三


「アーッ、また死んだ! こいつ強えー!」

 イオリはゲームのコントローラを投げ出すと、ベッドに仰向けに倒れて天井を見上げた。

 シンポシオンのサーバには一万本のゲームが保存されており、船内ネットを通じて各客室でプレイすることができる。イオリは、比較的大きめの四人部屋を自室にしているが、部屋は乱雑に散らかっていて、足の踏み場もなかった。

 イオリは、ざんばら髪を掻き毟ると勢いよく跳ね起きた。

「よし、もういっぺんだ!」

 再びコントローラを掴むとゲームをリスタートする。

 イオリが難敵のボスキャラと格闘していると、Don't Disturbの札を無視してマスターキーで部屋のロックを解除したラーラたちが、ズカズカと入ってきた。

「イオリ!」

 イオリの背後にラーラが腰に手を当てて立ち、その後ろに無表情なタラと、怯えた顔のルミが従った。

「んー、先に始めててよ。これ終わったら行くからさ」

 イオリは巨大なモニターから目を離さずに、面倒臭そうに返事をした。

「もう始まってるのよ! そんなものいつだってできるじゃない! 強制連行しますからね! 来・な・さ・い!」

 三人が掴みかかると、イオリは激しく抵抗した。

「あああ、ちょっと待って! 今ホントにいいとこなんだって! あっ……!」

 突然、モニタの電源が落ちてブラックアウトした。四人は驚いて動きを止めた。

「なにすんだよ!」

 イオリが食ってかかると、ルミが「ひっ!」と小さく悲鳴を上げ、

「私たち、なにもしてないです……」

 と、ラーラの後ろに隠れて弁解した。

 ラーラは勝ち誇って不敵な笑みを湛えた。

「ほら、ごらんなさい。もうやめろっていうことでしょ。観念して、いらっしゃい」

「ちぇ……。しょうがないな……」

 イオリはゆっくり立ち上がると、ラーラたちの後ろを歩き出した。

「あなた臭いわよ。シャワーぐらいちゃんと浴びなさい。あと、この部屋なに。掃除くらい、ロボットにやらせなさいよ!」

 ラーラのネチネチした小言を「へいへい」と生返事で返す。

 ダルそうに歩くイオリに、タラが寄ってきて、

「あそこはフォロワーがいないと、クリアは難しい」

「やっぱ、そうかぁ。でも、フォロワーってうるさいから、好きじゃないんだよなぁ」

 と、ゲーム談義をしながら会場へ向かった。


 四


 四人がパーティ会場へ戻ると、宴もたけなわであった。イオリは早速テーブルに向かうと、並べられた料理を見て舌なめずりをした。

「うまそうだな。なんだよ、こんな豪華な食事が出るなら、教えてくれよ」

「遅かったね。ケーキはもうないよ」

 マライカがチキンにかぶりつきながら言った。

「ねえ、こんど幽霊探しに行くけど、イオリも来る?」

 ウララが身を乗り出して、小声で囁いた。

「幽霊?」

「そう、幽霊。出るんだよ。立入禁止区域の暗闇の中に、赤い目の幽霊が」

「へえ、面白そうだな。行く行く」

 三人は額を突き合わせ、内緒話を始めた。


 マーゴは周囲を見渡して誰かを探していたが、目当ての人物を見つけると、近寄って行った。

「よお、メイリン」

 メイリンと呼ばれた白衣の小柄な少女は、振り返って笑顔を見せた。

「やあやあ、今日の主役じゃないっすか。ここまで来れたのも、みんな君のおかげだ。感謝してるっすよ」

 メイリンは朗らかな声で感謝の言葉を述べた。

「よしてくれよ、照れるから。私なんかより、お前がいるからみんな健康でいられるんだぞ」

「いやいや、あたしなんて単なるおやっさんの助手だってば。なんにもしてないっすよ」

 メイリンは大げさに手を振って否定した。

 一通り社交辞令を終わらせると、マーゴは本題を切り出した。

「ところで、医療品が不足してるって聞いたけど、深刻な状況なのか?」

「ん? ああ、聞いたんすか。いやいや、なんかのついででいいっすよ。薬はね、いくらでも調合できるんだけどさ。ほら、絆創膏がね……」

 そう言ってメイリンが指差した先で、マライカとイオリが取っ組み合いの喧嘩を始めていた。

「ああ、そういうことか」

 マーゴが止めに入る様子もなく喧嘩を眺めていると、ヘゲモニコンのカメラに内蔵されたテイザーガンが発射された。マライカとイオリの体に電流が走り、二人は悲鳴を上げて昏倒した。

「ま、唾つけときゃ治るっしょ」

 メイリンが大げさに両手のひらを上に向け、呆れたポーズを作った。


 いつの間にか、猫を抱えた栗色の髪の子供がマーゴの側に立っていた。

「喧嘩をするほど仲が良いとは言うけれど、いつまでも幼稚なままなのは困りものね」

「よう、エストレーリャ」

 マーゴはごく自然に、エストレーリャの頭に手を置いた。エストレーリャは即座に、その手を払いのける。

「子供扱いしないで。私も、もう五十歳なのよ」

 マーゴは苦笑いをして手を引っ込め、

「わりいわりい」

 と、謝った。

 エストレーリャの抱えている薄茶色のトラ猫が、大口を開けて一声鳴いた。

「アントンも、あなたを祝福しているわ」

 エストレーリャがそう言うと、マーゴは今度は猫の頭に手を乗せて撫でた。アントンは気持ちようさそうに喉を鳴らす。

「ねえ、マーゴ」

 エストレーリャが真剣な眼差しで、マーゴを見上げた。

「なんだい?」

 マーゴは、目を細めている猫を撫でながら、返答した。

「いつか地球に帰れる日が来る?」

 エストレーリャの問いに、マーゴは手を下ろし、遠い目で虚空を見つめた。

「どうだろうな。こればっかりは、誰にも分からないよ……」

「時々、タラと一緒に映画を観るの。地球は山や川があって、とても綺麗な場所だわ。季節ごとに咲く花や、鳥のさえずり、潮風の香る海、みんなこの目で見てみたい」

「でも、危険な場所だぞ。特に我々にはな」

「知ってるわ。でも、サメやゾンビに気をつければ大丈夫よ」

(なんの映画を観てるんだろう……)

 マーゴは喉まで出かかった言葉を、飲み込んだ。

「まあ、いつかはな。この船だって、いつまで持つか分からない。たとえ我々が永遠に生きられる身だとしても、船が壊れてしまえばお終いだ。いずれはそういうことも、考慮しなくちゃいけなくなるんだろうな」

 それを聞いて、エストレーリャは目を輝かせた。

「待ち遠しいわ……」

 二人は並んで立ちながら、相反する心持ちで、まっすぐ前を見つめた。


 マーゴは、シンポシオンのメンバーをぼんやりと眺めながら、いくばくかの充足感と共に、虚しさを感じていた。この船が何を目指し、どこへ行けば良いのか。その答えは、いくら考えても出てこなかった。若々しいみんなの姿は、呪いでもある。永遠に生きることを強制され、ただ生存本能に従って生きていく。地球であれば与えられたであろう人生の苦難もなく、安全に守られた空間の中に心まで幽閉されていた。


(退屈な地獄)


 それが、マーゴの素直な感想だった。

 それでも、マーゴはみんなのことが好きだった。この平和が、いつまでも続いて欲しいと願ってもいた。


(みんなを守りたい)


 それだけが、心の支えとなって、今のマーゴを突き動かしていた。

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