第50話 竜蛇の試練

 驚天動地と言うしかなかった。大地が――いや『竜』の体が動き出して世界を揺らす。久方ぶりに山の主が目を覚ましたのを察知した鳥達が一斉に飛び立って行く。

 ず、ず、ず、と地鳴りが継続的に耳を打ち、ぴたりと止む。

 巨大な衣擦れが止まれば、そこにいたのは一匹の『竜』だった。


「『竜蛇』……!」


 体躯は名称の通り蛇のようだった。白い体にびっしりと生え揃った鱗。頭部には特徴的な黄金の二本角がある。顔は蛇に酷似しているが所々違う。後頭部辺りから背中にかけて体毛が生えていた。

 人間のように腕があり、その指の数は六。『龍』へと成りかけであることを示している。


「――――――――――――――――」


 皆が絶句している。リュウモも気持ちは同じだ。人伝に聞いたことはあっても直に見た経験はない。なによりこんな巨大だとは伝えられていなかった。


「よくぞここまで辿り着きました、幼き同胞」


 追加するなら、人語を解するともいわれていない。


「貴方が『竜蛇』……試練を課す者?」


 家屋を容易に一呑みする規模の口は一切動いていない。音ではなく別の手段で頭に直接語り掛けてきている。

 人と同じでない以上、認識の仕方には違いがあるだろうと思っていたリュウモだが、予想に反して『竜蛇』は人と同じようにうなずいた。


「然り。俗世を越え、人の深き業を眼に刻みし者。幼子よ、汝に問う。――人は生きる価値ありや?」


 なんの脈絡もない問いかけにリュウモは意味を理解しかねた。自分は人について壮大な見識があるわけではない。意味のない質問だ。それは帝が答えるべき問いである。


「おのれを喰い散らかし破滅させるのみならず、他を圧し殺す獣にすらなれぬ生物が、この世に息をする価値ありや?」

「おれはそんなことわからない。ただ、外の人達が亡くなっていいなんて思わない」


 リュウモは人の世を見渡す裁定者などではない。賢者でもなければ王ですらない。自分は、〈竜守ノ民〉だ。以下でも異常でもない。

 『竜蛇』はゆっくりと目蓋を閉じた。取り調べ、品定めするような間があった。


「おれは、みんなを助けたいんだ。お前が試練のひとつなら教えてくれ。これからどうすればいい」


 『竜蛇』の目蓋が開かれる。人と同じように表情を読み取れないが、すこしだけ口角があがって笑っているように見えた。


「良。業を前に折れず、それを抱え生きる者。汝の試練はすでに終わった。――次は」


 ガジン達に顔が向けられた。試練を課す白い番人は宣告する。


「汝らだ、〈竜守ノ君〉」


 視界が真っ白に染まった。


「なんだなんだ?!」


 霧ではない、『气』だ。空気中に存在する『气』が『竜蛇』の力によって濃霧が発生しているかのように世界を変えた。


「〈天ツ气〉だ……みんな気をつけて!」


 槍が振動し警戒している。『龍王』がこれほど身構えているのだ、尋常ではない。

 白い『气』の霧が晴れていく。は……と、誰かが息を吐いた音がした。


「槍士の、御前試合の試合場……? あの蛇、一体全体なんのつもりだ」


 正方形に整地された石の会場。観客席はなく当然見物人もいない。

 だが、戦士ならばいた。戦場となる地の中心に、八人の人影があった。


「みん、な……」


 白いもやを纏った人影だ。それでも見間違えるはずがない。彼ら〈竜守ノ君〉が命を散らして『竜』を引き付けてくれなければリュウモは此処にはいない。


「みんな? ……なるほどな、彼らが本来の〈竜守ノ君〉だったわけか」


 八人は闘志を漲らせている。『气』の高ぶりから戦闘の意思があるのは明らかだ。


「つまり偉大なるご先輩方だってわけだ。いっちょ挨拶に行くとするか」

「次は我々の番なら彼らと戦え、ということでしょうね」


 三人が前に出ていく。ここにいろと言われ、リュウモは行く末を見守る。これが三人にとっての試練であるならば邪魔するのはまずい。

 死した八人の〈竜守ノ君〉は、全員が会釈をすると槍を構えた。互いが適切な距離を取り陣形が組まれる。


「リュウモ、済まないが合図を頼む」


 右手をあげる。そして、勢いよく振り下ろした。


「始め――!」


 戦端が開かれた。数の上では八対三。絶対的に不利な状況だ。しかし、覆してしまえるのが〈八竜槍〉である証明なのだ。それをリュウモは見てきた。

 同じように彼ら〈竜守ノ君〉が理解不能の領域に居ることを知っている。

 両者は、共に前人未到であった超人の高みにいる。どちらかが優勢であるなど、リュウモにはわからなかった。

 槍が繰り出され、火花が赤と散ったときには次撃が打ち込まれている。

 銀色の閃光が、ぱっと閃くとその先で花のように衝撃が咲いた。

 音は琴を弾いているかのように響いている。受けから攻めへ、攻撃から防御へ。申し合わされているとしか思えないほどに規則的な戦場の音楽だった。

 ガィンッ! と、ひと際鈍い不協和音が鳴ると戦士達は距離を開けて最初と同じように対峙する。


「強いな、皇国で勝てる人間はいないか」

「まあそうだろうよ。〈八竜槍〉を除けばだがな。たっく、おい! お前らひとりぐらい生き返えれんのか、ウチの隊になら歓迎すんぞ!」


 呼びかけには答えず、彼らは槍を構える。物言わぬ物体になってしまった姿にリュウモの心が痛む。


「眠りなさい戦士達よ。貴方方の責務は我らが継ぎます」


 新しき者と旧き者は激突を再開する。

 銀の閃光と真紅の衝撃が正方形の会場に満ちた。双方の連携練度では彼らが勝り、個々の力量ならばガジン達が上回る。

 槍が彼らのひとりを串刺しにしようと心臓に向かう。弾き落とすことには成功したが、ガジンの一刺しの威力は体勢を崩させるには十分だった。すかさずイスズが打ち込もうとする。若者が苦し紛れに身を捻り――体で隠され死角になっていた後方から槍が唸りをあげてあらわれる。完全な不意打ち。

 硬質な音が鳴る。イスズは予想外の打ち込みに完璧に対処、仕切りなおす。


「さあ、ついてこれっか、若造共」


 ロウハの言葉を皮切りに、ガジン達の速度がリュウモですらわかるほど変化する。

 劇的な速度の向上。基本的な地力の差を若者達は持ち前の連携でしのごうとする。

 残光が軌跡を描き、槍は雷光のように振るわれる。

超人達の戦いは均衡を保っているかのように見えて、それがまやかしであることに目が慣れてきたリュウモは気づいていた。

 流水のようになめらかだった連携にほころびが出てきている。

 次第にそれは遅れとなり迎撃に支障をきたす。

 一方的な防戦となり攻勢に舞われなくなる。遠からず今の状態は崩れる。――そうなったときが、両者の片方へ死神が微笑む。結果はすでに決められ、彼らの敗北は容易に想像がついた。

 〈竜化〉――ヒュっと、風邪に乗って来た声が耳に届く。もう一度甲高い音が発生し、距離が開いた。イスズの槍が思い切り弾き返されたのだ。


「……リュウモができるのだ、彼らがやれても不思議ではないか」

「ほーう、いいね。久々に、そこそこ動けそうだ」

「どうしますか」

「俺が動く。援護しろ」

「いいだろう、好き勝手にやれ」


 戦闘速度が更に加速する。ロウハの階位がひとつ上昇し、目で追えなくなるほどにまで速くなる。

 今のリュウモは〈竜化〉によって全感覚が極大にまで高められている。なのに、追えない。

 わかるのは若者達が必死に攻撃を捌いているという現実だけだ。

 圧倒されている。〈竜守ノ民〉の中でも飛びぬけて優秀だった彼らが、単純極まる速さのみに対応ができない。

 戦場に白銀の繭が出来あがる。それは槍の残光が尾を引き、消える前に次の一撃が放たれ続けていたがゆえに形成された戦いの光だった。

 速度に乱された陣形と連携に止めを刺すようにイスズとガジンが切り込み、半分に分断する。

 数が割れ、半々となってしまった彼らは抵抗することができなかった。元より、一対一では実力差が開きすぎているからこそ連携によって差を埋めていたのだ。

 四対三になってしまっただけで、数の優位は個々の圧倒的な実力の前に意味を無くす。

 ついにロウハの槍が若者の胸を貫いた。血は出ず、時が止まったように停止した。

 ぐっと、リュウモは歯を食いしばった。本当は、戦ってほしくなどなかった。

 もしかしたら彼らとガジン達は協力しあえていたかもしれないのだ。それが哀しい。

 ひとりが動けなくなれば後は総崩れだった。次々と若者達が突き刺され止まっていく。

 つい数十秒前まであった微妙な均衡は完全に傾く。最後のひとりが腹を突き破られる。


「……あの子を、リュウモを頼む」


 声が聞こえた、幻聴ではない。ガジン達に言葉はなく、無言でうなずいていた。

 このとき、役目は確かに引き継がれた。


「あの、えっと、みんな……!」


 居ても立っても居られなくなったリュウモは決着がついた戦場に走った。動かなかった若者達の視線が自分へ向く。


「……ありがとう」


 感謝が自然と口から転がり出た。ふ……っと、夢のように笑うと若者はリュウモの頭に手を置いた。


「よくここまで来たな。あとすこしだけがんばれ」

「うん、うん……!」


 目が熱くなった。視界が滲む。涙が零れそうになるのを必死で我慢する。

 若者達は満足したように笑みを浮かべて、再びこの世から消えて行った。

 音の無い空間が戻って来る。敵はもういない。〈八竜槍〉達の試練は終わったのだ。


「ガジン、さん……?」


 だが、彼だけがなにもない空間に向けて闘志を燃やしている。目線の先に戦うべき相手がいると、鋭い視線を飛ばしていた。〈龍王槍〉が強い『气』を発し始めた。


「――来るぞ」


 それが現出したとき、リュウモは嵐にあったかのような錯覚に陥った。

 現実は、先程と同じように人影があらわれただけだ。しかし、これはなんだ?


(に、人間なのか?)


 強風に煽られてまともに立っていられないかのようだ。

 前方にあらわれた人物は、ただ『气』を漲らせ戦闘態勢に入っているだけだというのに。


「やはり、お前か――ラカン」


 ガジンは『气』の暴風の前に平然としている。他の二人も気圧されている様子はない。


「〈龍王槍〉がこんなに『气』を乱すなんて、一体なんなんですあの人!?」

「ラカンだよ。唯一、〈龍王槍〉に呼ばれ、認められて台座から引き抜いた。皇国最強の男だ」


 人間とは思えない。だからこそ本来の使い手でない者であっても〈龍王槍〉は自らを振るうことを許したのだろうか。

 ――人間、だよな? 本当に……。

 『竜』に殺されたと聞いたが、あんなのを殺害できる『竜』などごく少数だ。それだけ強力な『竜』が外に出るはずがないのだが……。


(まさがこの人、〈禍ツ竜〉に殺されたのか……)


 〈竜守ノ民〉だけでなく、これだけの使い手と戦ったというなら、あの負傷もうなずけた。


「お前達、下がっていろ。私がやる」


 そういうと、ガジンはゆっくりと最強と謳われた男の前へと歩いて行った。

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