第27話 道中
リュウモの『使命』への旅路は、ぐんぐんと進んだ。
道案内人のガジンが、まさに勝手知ったる道という風に先導してくれたおかげで、迷うこともなく順調に移動できている。
追手に先回りされることもなく、リュウモは黙々と足を動かせた。目的地が明確になっているから、精神的にもかなり楽だった。
人通りが多い巨大な道から、時には外れ、山の中を歩いたりもしたが、辛くはなかった。
辛かったのは、体ではなく心の方だった。外敵を心配する必要がなく、目標も定まってしまった今、余裕が出てきてしまったのだ。
状況が弾き出した余裕は、リュウモにとって歓迎できなかった。むしろ、毒にさえなりかけている。
余裕ができれば、思考が回る。思考は最近の出来事を思い出させ、出来事は心を抉る。
気を紛らわせようとして周りに目を向けても、生憎とここは山の中だ。目新しい物はなにも無かった。
今は、いくつかの山を蛇行するように避けている大街道を外れて、時間短縮のために山を突っ切っている最中なのである。
近くには低木の枝と、目先にはガジンの背中しかない。用心深く歩く彼の背には、独特の気配があり、何人も不意を突くことは不可能のように思える。
(そういえば、おれ、この人を全然知らないや)
目まぐるしく変わった環境に適応しようと必死だったからか、頼もしすぎる道案内人について、ほとんど考えられなかった。
知り得たのは、彼は親友を亡くしていて、『竜』が暴れ回るのを止めたいということだけ。
ただ、ガジンと三日ほど行動を共にして、リュウモは多少わかってきたことはあった。
口数は多くなく、だから行動が雄弁にガジンという人物の輪郭を浮かび上がらせる。
彼は、厳しい。その時の環境が許さなければ、絶対に歩みを止めず、歩調も緩めない。手を貸してくれたりはするが、基本的に過度な手助けはしない。
だが、厳しいだけかと問われれば、違う。
余裕があるならば、ガジンはよくこちらを気遣ってくれる。さりげなく歩く早さを遅くしたり、話しかけてくれるのだ。若干、ぎこちないがずっと黙って歩き続けるよりはよかった。
「大丈夫か?」
ぶっきらぼうな訪ね方だった。リュウモは、三日間の内に繰り返された言葉を返す。
「はい、大丈夫です」
「そうか」
それだけ言って、頑強な男は背を見せて進む。
(そういや、子供が嫌いって、言ってたな)
となると、自分は嫌われていることになる。
(そんなことないよな。嫌いなら、助けてくれたり、気遣ってくれたりなんてしないし。あ、嫌いじゃなくて、苦手だって訂正してたっけ)
嫌われていないならいいや。リュウモは深く考えず、歩くだけに集中した。
一刻ほど経って、日が落ち始めたので野宿に適した場所を二人は探し出し、夕食の準備を始めた。
リュウモからすると、ガジンの料理はお世辞にも美味いとは言えなかったので変わってもらった。
別に不味いわけではないのだが、彼の料理は腹が満たせればそれで良いと言わんばかりに雑だったのだ。旅の初日でリュウモは音をあげた。
遠回しに、自分の方が料理に関しては頼りになるからやらせてくれと頼み込んだ結果、今に至る。子供に任せきりにするのは大人としての矜持が許さなかったようだが、作られた物を食べると、そのまま黙ってしまった。
悪いことをしたと思ってはいたが、食べるなら美味しい物の方がいいと考えるのは誰しも同じはずである。その証拠に、出された料理を食べると、ガジンは黙って手と口を動かした。以降は、料理はすべてリュウモが作っている。
山にある山菜をガジンが取って来て、リュウモが調理すると、ちょっとした豪華な食事になった。
二人は腹を満たすと、決めた役割通りに片づけを始め、すぐに焚火だけが残った。
リュウモは、地に座り込んで、ぼうっと炎を見つめた。ゆらゆらと揺れる火は、山の静けさの中に頼りなく音を立てている。
「不思議です」
誰かに向けてではなく、ただ思ったことが口から零れ出た。
「ん、なにがだ」
荷物の点検をしていたガジンが、リュウモの呟きを拾う。
「村を焼いた炎が、嫌いになると思ったのに、なんでか、焚火を見ていると、心が、落ち着くような気がします」
全部、大切だった場所と人を灰燼にした火を、苦手とは感じない。本当に、不思議だった。
「人が天から与えられた、偉大な業。そのひとつが、火だ」
ガジンは荷物の点検を終え、焚火を見つめた。
「闇を照らし、払い、安心と安寧をもたらす光。我らはずっと昔から、友のように火と寄り添い合って来た。だからかもしれんな、嫌いになれないのは」
絶えず形を変えて燃え続ける炎を、リュウモはじっと見続けた。
ガジンが冷えた手を温めるために、槍を置いて焚火に手をかざした時、〈竜槍〉が『气』を発した。
「珍しいですよね」
「なにがだ?」
「意思が宿る『竜』の武具なんて、中々無いですよ」
掌同士を擦り合わせていた、ガジンの手が止まった。
「意思が、なんと?」
「気づいていなかったんですか? 〈竜槍〉には元になった『竜』の意思、魂が残っていますよ。格が高い『竜』は、偶にこういう風に魂が残ることがあるんです」
そうでなければ、槍自体の『气』が流れるわけがない。生きていれば、魂があればそこには『气』の流れが生じるのだ。
「いや、なんとなく気づいてはいたが……こう、真正面から生きているといわれるとな――そう簡単に理解はできんさ」
「槍に感謝しても罰は当たりません。ずっと、その槍はガジンさんを守ってくれているんですから」
ガジンは、〈竜槍〉を手に取って、両膝の上に置いた。
「守られている、か……」
白色の槍を見る目には、自虐的な色が垣間見えた。
「どうしたんですか」
「いや、私も昔と比べて随分と増長したものだ、とな」
「調子に乗ってるってことです?」
「そうだ。私はもう、長いこと守られているなどと考えたことはない。常に、私は守る側だった」
圧倒的な力。リュウモの目に焼きついた超常的な戦いは、思い出しただけで寒気がするほどに苛烈だった。
「だが、私が常に誰かを守れていたのは、ひとえにこいつの力添えのおかげだ。それを、忘れてしまっていた。これでは、師に雷を落とされるな」
「槍が、〈竜槍〉がなくても、貴方はすごい強いと思いますけど……」
自前の腕だけで、勝てる人間はいないだろうと思わせるほどだ。実際のところ、リュウモの村でガジンに勝てる者は、多分ひとりもいない。
「私を買ってくれるのは嬉しいがな、腕っぷしの強さだけで、世の中は動かんよ。こいつは、戦場以外の多くで、私を守ってくれたのさ」
「戦いの場以外で、武器が貴方を守ってくれるんですか?」
リュウモは、全然、訳が分からなかった。
「国を動かす、政とは、恐ろしい世界なのだ。政治が、人を殺すこともある。その逆もな」
「人を、殺す……?」
政治が、リュウモにはわからない。そもそも、国という巨大な存在がどうやって自らを維持しているかさえ理解が及ばないのだ。まさか、生き物と同じでむしゃむしゃと食料を食らって生きているわけはあるまい。
「そんな、人を殺すようなモノが、良い在り方なんですか」
「国とて無差別に人を殺すような馬鹿な真似はしない。だが、少数が不幸になり、多数が幸福になるのなら、国はそれを是とする。是とするしかない」
「じゃあ、その不幸になった人たちは、どうすればいいんです。幸せの輪に入れなかった、不幸な人は、どこに行って、どう生きればいいんですか」
腹の底から、噴き出すような苛立ちが立ちのぼって来た。
国は、都合の悪いことをすべて押しつけられた少数の人をなんとも思わないのだろう。でなければ〈禍ノ民〉などという蔑称が生まれるはずもない。
「与えられた重みに潰されるか、幸福を享受する者の席を奪い取り、おのれがその席に座るか。大抵は前者だが、稀に後者があらわれる」
「そんな……! 席なんて必要ありません、みんなで手を取り合って、助け合えば」
「おのれの生活がかかれば、人は簡単に他者に手を差し伸べることはできん。そこに金銭のやり取りが発生するなら、なおさらだ」
「助け合わなければ生きていけません、そんな風に生きていたら、みんな死にますよッ」
リュウモにとって、村で困っている人がいるなら、手を取り合うのが当然だった。
誰かが怪我をすれば、役目を代わり、治療を施した。共に田畑を耕し、水を汲み、友誼を結ぶ。そして、『竜』に対する知識を、頭と体で覚える。
「誰かが死んで、欠けてしまったら、他の誰かがそれを埋めないといけない。でも、普通はその人の分、二倍も働くなんて無理です」
「ああ、なるほど。得心がいった。君たちは、『外様』の小さな氏族と同じような生活をしていたんだな。疑問に答えよう、なぜ手を差し伸べないのか――簡単な話だ。人が死のうと、おのれの生活は、まったく脅かされないからだ」
そんな馬鹿な話があるはずがない。仮に自分になんの関係もなかったとしても、困らないからといってなにも感じないのでは冷酷すぎる。人としての温かみがない。
「私は、『外様』の生まれ。表面的に見れば、そこそこ君と近い生き方をしていた。だから、君が思っていることも、なんとなくわかる。人の繋がりが薄く、冷たいとでも思っているのだろう」
リュウモはうなずいた。
「だが、致し方ないのだ。幸せになれる人間の数が決まってしまっているのと同じで、各々が負う役割もまた、数が決まっている。溢れるのだよ、人の数が多すぎてな」
リュウモは、華やかな都と、整備された道を行き交う人の群れを思い出した。
美しい着物、煌びやかな装飾、立派な門構えの店や屋敷。繁栄の裏にある、小さな、しかし決して見過ごしてはいけない課題を見た気がした。
「人数が多くなれば、その分替えも利くようになる。だかこそ、誰もが替えの利かない人間になろうと必死になる。他者を蹴落とし、欺き、陥れる。そんなことが日常的になれば、絆という繋がりはすくなくなり、利害という繋がりが強くなる。それを悪いとは私は思わん……が、面倒だと感じることは頻繁にある。……金の切れ目が縁の切れ目とは、よく言ったものだ」
ほとほと嫌そうに、吐き捨てた。
「変な、世界ですね……じゃあ、ツオルさんの店の前で怒鳴られてた人は、お金が無くなったから、エミさんに突き放されたんですか」
もしそうなら、世知辛いどころではない。
「ああ、それはおそらく違う。あの男の身なりからして、『譜代』の商家の人間だ。あれだけエミが怒鳴るのは、『外様』とのやり取りで、相当なことをやらかしたからだな。高圧的に対応して、商談を台無しにした、そんなところだろうな」
「失敗したから、怒られたってことです?」
ガジンは首を縦に動かした。
「なんだか、こう、息苦しいですね」
どんな時でも、互いに利害について考え、行動する。四六時中、ずっとそんな風にしていたら、精神的にまいってしまいそうだった。
「なにも考えずに暮らしているよりはましだと言う者もいるが、程度の問題だな。過剰になれば、どんなことでも悪しくもなる……もう寝るといい。明日は長く歩く必要がある」
リュウモは言われた通り、地面に敷いていた布の上に寝転がり、毛布にくるまった。
木が燃える音を聞きながら、瞼を閉じると、すぐに睡魔はやってきて、意識は落ちた。
「はぁ……嫌な大人になったな、私は」
小さな少年が寝息を立て始めた頃、ガジンは自嘲気味に愚痴を零した。
「適当にはぐらかしておけばよかったろうに」
世界を知らぬ子供に、残酷な真実を教えなくても構わなかったはずだ。
聞かれるままに答える必要はなかった。なのに、口はすらすらと歌うように動き、少年に現実を突きつけた。
(だが、この子は、曖昧に言っても、納得しなかったような気がするな)
皇都を出てからというもの、リュウモの行動を見ているとそう思うのだ。
知的好奇心が強いのか、少年は物珍しい品物に目を輝かせるばかりでなく、人々や建築物、流通、思想にまで関心を寄せている。
本当は質問したくて仕方なかったようだが、街中であれこれと聞き出すと怪しまれると思ったのか、自重していた。代わりに、視線はあっちこっちに飛んで行っていたが。
(この子は、知識がないだけで、地頭はかなりいい)
今よりも低い歳から語り部の訓練を受けていたというから、物覚えは早い。
――私などより、ずっとこの子は頭がよいのかもしれない。
だが、頭の回転の早さ、よさが幼い少年に牙を剥くとも考えられた。
無知なままでいた方が、幸せであれることを、ガジンは知っている。
(できれば、この子が歩む先に、これ以上の困難が降りかからぬよう……)
ただ、祈るしかなかった。
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