第25話 宮廷狂騒

 宮廷内の一部の者たちは、ざわついていた。〈八竜槍〉のひとりであるガジンが、帝に対して裏切りに等しい行為を働いたからだった。建国以来の大事件に、混乱の極みに達している一部の貴族たちを尻目に、ロウハは、部下へ事実確認を急がせた。

 それから、〈八竜槍〉となった者へ用意された自室で、じっと身じろぎせずに報告を待つ。

 丸窓から差し込んで来る強い日の光が、障子によって程よく調整され、部屋の明るさを丁度良いものにしている。長い間敷かれている畳は、何度も日光を吸収して色が変わっている。

 ロウハは、朝から昼にかけて、この時間帯で部屋内に作り出されるこの光景が、たまらなく好きだった。畳も、余程のことがなければ新調させない。真新しくしてしまうと、調和した景色を壊してしまうからだ。

 いつもは心地よいと感じる風景も、今のロウハは、身を焼く強烈な焦りの前に、感じ入ることができなかった。親友である男――ガジンの裏切り。

 まさか、あの男に限ってそれはあるまいと思っていた。


(仮に、あの馬鹿が裏切ったとして、どうして〈鎮守ノ司〉と〈星視の司〉はなにも手を打たなかった)


 未来を視る、などと噂されている老婆たちなら、もじガジンが馬鹿な行動を取ろうとしても、止めるだろうと考えていた。その予想は、甘かったのだと今更実感している。

 自分の甘さに嫌気が指す。じりじりと、嫌な方向に思考が逸れかけていた時だ。廊下から、僅かな気配がした。


「ロウハ様、火急の件につき、無礼をお許しください」


 ロウハが返事をする前に、部下が障子戸を開いて部屋に入って来た。


「構わない。それで、事実か」

「――はい。他の〈影〉からも、同様の報告があがっております。…………ガジン様が、件の〈禍ノ民〉の少年を牢屋から連れ出し、皇都を発ったと。少年の荷物も、消えております」


 部下の声は震えていた。皇国における軍事的象徴〈八竜槍〉。――帝に次ぐ権威を持ち、誰よりも国と帝に忠誠を誓う者が翻意した。その一事が、〈影〉である彼を動揺させ、心をざわめかせているのだ。


(正直、俺は頭を抱えたい気分だ、まったく)


 〈八竜槍〉は、先達が多く引退したことによって、三人しかいない状況だ。国内の情勢を鑑みれば、ガジンの離反は、痛手どころではない。各領主たちが、彼を取り込み、丸め込めば、内乱は必死である。

 ――まあ、あの馬鹿が、そう易々と従うわけはないがな。

 あれは、利益では動かない。国への忠誠、そして無辜の民のために、槍を振るう男だ。

 領主達の、欲望に塗装された建前を聞いて、ガジンの心が動くはずがない。その点は、ロウハは心配していなかった。


「宮廷内の動きは、どうなっている」


 不安な要素は、官僚、貴族達の動きだ。

 その質問を、あらかじめ聞かれると思っていたのだろう。よどみなく、〈影〉の青年は答える。


「『外様』であるガジン様が、どこかの領主にそそのかされ、組したのでないかと、噂が広まっております」


 嫌な予想とは、どうしてこう当たるものなのか。ロウハは、こめかみあたりが、ますます痛くなってきて、手をあてた。


「――少年については?」

「〈竜奴ノ業〉を駆使し、『竜』達を自在に操れるのではないか、不安がっておりました。……また、ガジン様が少年を連れ出したのは、少年を使って、国を転覆させようとしているのではないか、と」

「クウロはどうした?」


 ガジンの信頼篤い、あの男ならば、何か知っているはずだろう。ロウハの中でも、彼への評価は高い。極めて有能な人物といえる者だ。


「聞いてはおりますが、さしたる情報は、まだ……」


 〈影〉の様子から察するに、クウロはあまり協力的な態度ではないのだろう。


「何か隠してやがるな」

「は?」

「なんでもない」


 クウロは、ガジンと最も親しい。二人とは、ロウハも長い付き合いだ。彼らとの交友は、すでに十の時を過ぎている。だから、こういった時、ガジンやクウロが突然、わけのわからない行動にでるのは、他人に明かせない重大な秘密を知ってしまった時だ。


「噂は、『外様』の領主達の耳に届いているか?」

「伝書鳩が、皇都より数匹飛び立ったのを、他の〈影〉が確認しております。おそらく、そう長い時間はかからないかと」


 ロウハは、宮廷内で起こった波紋が、伝播していくのを感じた。


(いや、これは、波紋ではなく、津波か)


 どこかで防波堤を作り防がなければ、この大波は、海原に浮かぶ、国という船を揺らし、ひっくり返しかねない。

 帝が『外様』の領主たちに強く出ることができるのは〈八竜槍〉の存在が大きい。

 そのひとりが反逆の意を示し、『外様』の領主についたとなれば、確実に皇国は二分される。それこそ、神話の大戦時代に逆戻りだ。

 今回の件は、慎重に火消しを行わなければ、後に大きな禍根を残す。大人数での捜索は避けるべきだった。


「わかった。他に報告はないな? ――なら、イスズを呼べ。それと、追跡のために、数人優秀な〈影〉を選んでおけ」

「っは!」


 〈影〉の青年が立ち上がると同時、部屋の外に人影が映った。

 閉じられた障子戸に浮かびあがる影の輪郭は、相手が女性であることを示している。


「いや、手間が省けた。――入れ、イスズ」


 失礼いたします、と言って、イスズは障子戸を開けて、入って来た。入れ替わるように、〈影〉の青年は部屋を出て行く。その際、彼はイスズに頭を下げることも忘れない。


「状況は、わたくしも〈影〉より聞き及んでおります」

「俺もだ。――聞きたいことがあったが、お前の口から語ってくれそうだな」

「はい、実は、ガジン様は〈禍ノ民〉について調べていたのですが、おかしいのです」

「おかしい? 何がだ」

「実家の資料を読み漁っておりましたガジン様は、〈禍ノ民〉の危険性について、十分理解しておられたはず。であるのに、あの御方は少年を牢から連れ出しました」

「理屈に合わん行動、というわけだ」


 〈禍ノ民〉――名の通り禍を呼ぶ、忌まわしき民の名。彼らの前には『外様』『譜代』といった区別は意味を無くす。まるで先祖から受け継がれてきた恐怖が、心を慄かせるのだ。

 ロウハも、彼らの名を口にすると、胸がざわざわとすることは幾度かあった。それ以来、必要以上にその名を呼ぶことをしなくなった。


「ガジン様とクウロ様は、砦の虐殺の件を解決する鍵は〈禍ノ民〉が握っているとお考えだったようです。資料を読み終えると、東へ向かいました。〈遠のき山地〉にいる〈深き山ノ民〉へ会いに行ったのです」

「話しには聞いていたが……」


 彼らは、過去に皇国の軍事史に、暗い汚点を刻み込んだ者達だった。


「彼らは、他の氏族と交わらず、半ば独立地区のような扱いを受けております。彼らならば、失われた遥か昔の伝承を、今も伝え聞かせている」

「そして『何か』を知った。だから、少年を連れ出したのか」

「おそらくは」

「だが、解せん。ならば、どうして俺に一言、相談に来ない」


 経験則として、こういう大事の前には、皆で集まって大抵は相談をする。〈八竜槍〉に連なる者が、独断で動くと、事が大きくなりすぎるからだ。それに、ロウハとガジンは、親友と言って差し支えない間柄である。いまさら、気兼ねするような付き合い方をしてはいない。

 こんな周囲の配慮にかけた行動は、ガジンらしくないのだ。


「今回のあいつの判断は、性急すぎる。周りに注意を払えないほど、あの馬鹿を突き動かさせた何かが、まだある」


 ガジンが、周りに助言を求める間すら惜しませた、何かが潜んでいる。


(だが、それは何だ?)


 いくら思索を巡らせても、その正体が爪先ほども掴めない。基本的には穏健なガジンを、振り切らせた原因。身内、部下、友。考えられるのはいくつかある。しかし、そのどれもがガジンの愚行に繋がるほど、強くはない。


「ガジン様、クウロ様――ロウハ様は、此度の一件で、ご友人を亡くされたと聞きました」


 言い辛そうに、イスズは口を開いた。

 訃報が届いた朝を思い出して、ロウハは眉をひそめる。彼の死は、ガジンだけでなく、自分にも激しい衝撃を与えていた。

 まだ、「おい」と名を呼んで語り掛ければ、どこからかひょっこりと、彼は顔を出しそうな気がする。

 そんなことは、死体を検めた時に、起こりえないとはわかっていた。だが、信じたくはなかった。親友が無残に、体を文字通り八つ裂きにされて殺されたなどと。


「その一事が、ガジン様を先走らせた原因では、ないでしょうか」

「あり得なくはない……ないが――こんな事態になることを、あいつは望んでいない。それは、あの馬鹿もわかっているはずだ。死者の、親友の願いを受け取り間違えるほど、俺もガジンも、耄碌してはいない」


 そこまで言って――ふっと、ロウハは失笑してしまった。目の前には、自分などより遥かに若く、生きる力がみなぎる、十七の乙女がいるではないか。


「いや、お前からすれば、俺たちはただの中年親父か」

「そのようなこと、ありません。あなた方は、わたくしにとって、偉大な先達です。あまり、己を貶める発言は控えますよう、お願いいたします」


 イスズは、丁寧に頭を下げる。所作の一つ一つが洗練され、気品と育ちの良さがうかがえた。さすがに、皇族に勉学を教えるための一族だ。


(このあたり、俺などとは違うな)


 没落寸前であった『譜代』の家系出身のロウハは、生まれついてから礼儀作法を教え込まれなかった。日々を、飯の種になるもの――つまりは槍の鍛錬に明け暮れていた。

 とりあえず、食うに困らなければいいと思って始めた鍛錬が、高じてここまでのものになったのは、自分ですら予想もできなかった。

 高潔な意志をもって〈八竜槍〉を目指したのだと思っているイスズには、口が裂けても言えまい。気まずくなって、頭をガシガシと掻いた。


「そうだな、気を付けよう」


 言って、部屋の立派な立て掛けに横たわっている〈竜槍〉を見る。


「ガジンと、戦うことになる。――その時は、俺がやる。イスズ、お前は件の少年を捕えろ」

「やはり、戦いは避けられませんか」


 イスズには、緊張と僅かな恐怖があった。致し方の無いことだ。ガジンは、槍の腕前だけでいえば〈八竜槍〉の中で最強だ。互いが無傷で終わるなと、あり得ない。勝つにしろ、負けるにしろ、必ずどちらかが、深い手傷を負うだろう。

 しかも、彼女を鍛えあげたのはガジンである。腕前は体が嫌になるほど知っている。


「当然。あの馬鹿が、帝に逆らってまで少年を連れ出した。目的はどうあれ、説得に応じるような、生半可な覚悟じゃあるまい…………まったく! 何がどうなったら、ガジンに帝へ翻意して〈禍ノ民〉を連れ出す決意させたのやら」


 乱暴にロウハは立ち上がった。立て掛けにある〈竜槍〉を手に取る。


「何にせよ、俺たちはガジンを追わねばならない。あの馬鹿が、領主たちのいざこざに巻き込まれでもしたら、もっとややこしくなる」


 ロウハは、自分の足で、情報収集をしようと決める。〈影〉から言われるのと〈八竜槍〉から命じられるのとでは、重みが違う。クウロに直接会って聞けば、あれも否とは言うまい。

 障子戸の前に移動し、開けようとした。そこで、イスズが正座した姿勢から、まったく動いていないことに気づいた。


「どうした? 何か、気になることでもあるのか」


 訝しげにロウハが言うと、畳をじっと見つめていたイスズが、顔をあげた。


「実は、妙なことを、耳にしまして。もしかすればそのことが、ガジン様に翻意を決意させたのかもしれません」

「なに?」

「これは、ガジン様が〈禍ノ民〉の少年を皇都に連れてお帰りになり、帝へご報告している時、謁見の間の番兵から聞いたものなのですが」


 イスズは、一度口を閉じた。言おうとして、迷っているらしい。


「はっきり言え。ここには、俺とお前しかおらん」


 ロウハは、彼女に先を話すよう促した。


「……扉越しで、内容までは聞こえてこなかったようなのですが――――帝とガジン様が、声を荒げて口論になっていた、と」

「ガジンと、あの帝が?」


 ロウハは、信じられなかった。ガジンはともかくとして、帝が声を荒げるなど、信憑性のある話ではない。人ではなく、帝として皇国の頂点に居続ける、氷そのものと言っていい、あの人物が、感情を露わになどするものだろうか。


「それと、もうひとつ。ガジン様が調査に連れていた槍士全員に、かん口令が敷かれ、〈影〉た

 ちが情報を引き出すのに、苦戦しておりました」

「かん口令? いや、しかし、それは」

「はい。事が事だけに、かん口令を敷くのは、妥当な措置かと。ですが、彼らの中には、負傷している者達がおりました。傷口から、明らかに獣の類と判断いたしましたが、狼や熊のものには見えませんでした。」


 あまり、ガジンを疑いたくはないのだろう。イスズは、ガジンによって見いだされた槍士の一人で、師と弟子のような関係だからだ。


「驚いたな。兵の傷口まで見ていたとは。盗み見は趣味が悪いのではないか?」


 沈痛なイスズの表情に耐えかねて、ロウハはちょっとした冗談を交えてみた。


「い、いえ、偶々、ガジン様の部隊がご帰還された時、居合わせただけですので」


 イスズは、顔を赤くして、慌てて否定した。こういったところは、年相応である。


「まあ、クウロか兵に直接聞けばわかるだろう。イスズ、お前はどうする?」

「……もう少し、ガジン様がなにを見つけになったのか、調べてみることにします。資料も、もっと探せば、詳しいものが出て来るかもしれませんので」

「わかった。なにかあれば、〈影〉を通して伝えてくれ」

「はい、ロウハ様」


 ロウハは、先に部屋を出た。集められた情報を繋ぎ合わせ、見えてくるものが、何なのかいまだに不鮮明でわからない。

 だが、一つだけわかっていることがある。


(おそらく、あの馬鹿は〈禍ノ民〉の少年を助けたかったのだ)


 帝との口論も、少年の処遇を巡って起こったのだろう。そこで、帝がガジンの逆鱗に触れてしまったのかはわからないが、少年は重い刑に処される判断が下されたのだ。

 だから、ガジンは少年を連れて、皇都を出た。


(だが、それだけではあるまい。少年を助けるためだけに、帝に反旗を翻すほど、あいつは馬鹿じゃない。……じゃあ、何故?)


 すべては、あの監視砦の虐殺に繋がっているのだろうか。


「ったく、勝手に、先に逝きやがって。しかも、面倒な問題を残したまま」


 悪態を吐いた。親友が悪いわけではないが、彼が生き残っていれば、また話は違ってきていただろう。

 ――愚痴を言っていても、始まらないか。

 意味のないことをしていてもしょうがない。ロウハは、ガジンの兵達の元へ足を進めた。

 憎らしいぐらいに晴れ渡っている青空に、親友の顔が浮かんだ気がした。


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