第17話 皇都

 格子戸から入って来る日の光の眩しさに、目が覚めた。意識が覚醒し始めると、寒さが肌を刺し始めた。

 リュウモは目をこすって視界をはっきりさせると、辺りを見回した。

 どうやら、ここは誰かを捕えておくようの部屋で、自分はその誰かなのだとわかった。

 証拠に、堅牢な鍵付きの扉が外側に付けられている。木組みの格子で組まれた牢屋は、長い間、破損と補修を繰り返されているのか、所々の木が真新しい色をしていた。

 リュウモはかけられている毛布を体に撒きつけながら、格子越しに外の様子を窺い見た。

 外は、死んだように静かだった。意識を失う前の喧騒が、嘘か霧のように消え去っている。


「どこだ、ここ……」


 倒れる前、ガジンが叫んでいたのは覚えている。頭を固い床に打った衝撃が体に伝わって来た感覚も、鮮明に刻まれている。ただ、そこから先が、思い出せない。

 頭に残っているのは、熱でぼんやりとしていた視界によく映った、心配そうな顔をしている二人だけだった。

 今はその二人もいない。そもそも、ここにはリュウモしかおらず、他の牢屋には誰ひとりとして囚人が収監されていなかった。


「……! 笛、刀――ッ」


 腰にいつもあった刀は、牢屋のどこを探しても見当たらない。幸いだったのは、〈龍赦笛〉が枕元に置いてあったことだ。

 これが無ければ『使命』を果たせなくなってしまう。


「よかった、笛は、あった……」


 他の荷物は押収されてしまっているが、笛があればまだ『使命』を続行できる。

 命よりも大切な物が無事だったことで気が楽になり、とりあえず布団の上に腰を下ろした。結構、ふかふかで座り心地はいい。


(どうしよう、どうする、どうすれば……)


 小さな窓から得られる情報は、今が昼であるぐらいしかない、夜になっても、窓がある位置の関係で星は見えないだろう。

 あれやこれやと考えを思い巡らせていると、ぐう……っと音が鳴った。

 腹の虫が声をあげたのを皮切りに、猛烈な飢餓感が体の内側からせり上がってきた。

 理性を吹き飛ばしてしまいそうな本能的な訴えに、リュウモは辺りを見回した。


「な、なんか、食べ物」


 欲求に応えてくれそうな物は、牢の中に存在していなかった。

 思わず、格子に手が伸びる。

 その指先が、格子に触れる瀬戸際で、紫電が迸った。


「いってッ!?」


 強烈な静電気を喰らった気分だった。痛みに指先を擦る。

 いったいなんだ。リュウモは障壁のようなものの正体を見定めようと視線を巡らせる。

 すぐに、それは見つかった。

 格子の右上、左上、右下、左下に、長方形の紙が貼りつけてある。

 朱と黒で紋様が描かれており、封、という一文字がでかでかと書かれていた。


「これ、呪符だ……すご、こんなすごい効果が強いやつを……」


 感心と痛みで、食欲が再び引っ込む。代わりに好奇心が顔をあげた。


「枕とか、布団は弾かれないのかな」


 枕を持って、ぽんっと格子に放ってみる。呪符に反応はなく、枕は当たって床に落ちた。

 呪符によって形作られた結界は、特定の物体に対し効果を発揮するようだ。


(じゃあ、おれの体に、呪印があるはず)


 なんでもかんでも効果が発生する結界だと、すぐに痛み、壊れてしまう。だから、判別するために対象へ印、すなわち呪印が刻まれる。

 リュウモは自分の体に呪印が書かれていないか確かめたが、目で見る限りはどこにも見当たらなかった。背中にあるかもしれないが、鏡が無いので見れない。

 仮に見つけたとしても、これだけの結界を張ることのできる使い手が施した呪印を解呪する手段を、リュウモは持ち合わせていなかった。


「なんか、食べ物……水、でもいい」


 喉元まで飢えの渇きが上ってきた。痛みを我慢して、強引に突破してしまおうか。

 鈍った思考に後押しを受けてもう一度、格子に触れてみようとした時だ。匂いが漂ってきた。料理の、食べ物の匂いだった。足音が聞こえる。


「誰……?」


 格子のせいで視界が限定されているお陰で、外を詳しく見ることができない。

 それでも、足音の主が発する『气』を感じ取れる距離まで相手が近づいて来ると、誰かがわかった。


「クウロ、さん?」

「おう、オレだ」


 ひょっと、格子の外からクウロが顔を出した。


「悪いな、こんなとこに閉じ込めちまって。いや、まずは飯だな。ほら、食え」


 出された食事を、一心不乱にリュウモは口に入れた。味や使われている食材やら、いつもなら気になることを全部無視して体の欲求に応えた。


「おいおィ、そんな急いで食わんでも……ああ、いや、数日間なんも食ってなかったから、しょうがないか」


 リュウモは、十分としない内に料理を食べつくし、水を飲み干した。


「ごちそうさまでした……」


 腹に物が詰まって、全身が熱くなり始める。

 目覚めてから、ようやく人心地つけた気分だった。

 リュウモが話しを聞ける状態になるのを見計らって、クウロは口を開いた。


「わりィ……こんなこと、したくねえんだが」

「おれが倒れたあと、なにが?」


 質問すると、クウロは隠すことなく答えてくれた。

 リュウモが倒れたあと、目覚めるまでは安静にしておこうと寝かせていたが、皇都から至急帰還するよう伝令が届いた。

 仕方なく、ガジンたちはリュウモの体調を気遣いながら皇都に帰還した。

 皇都に着いた途端、帝からの命と言う者たちがリュウモをこの牢屋に入れてしまったのだという。どうやら、この牢屋は特殊な作りをされているようで、かなり頑丈らしい。

 〈禍ノ民〉が人目につかないよう、牢屋にいた囚人はすべて別の牢に移されている。

 徹底してリュウモという存在を明るみにしたくないようだった。


「おれはそんなに、危険なんですか」

「坊主が、じゃなく〈禍ノ民〉の血を引き、禁忌を知っていることが、まずい」

「それって、意味は変わらないじゃないですか」


 在ることさえ危難であると言われた気がする。リュウモは不機嫌になって眉をひそめた。


「いんや、オレたちにとっちゃ重要さ。坊主に関しちゃ問題ねェと知っているからな」

「おれは皇国の人たちにとっては〈禍ノ民〉ですよ? 貴方たちの祖先に滅びをもたらしかけた」

「さて、そうかねェ。もしそうなら、子孫のオレたちを助けるはずがない。あの時、どっかで高笑いしてオレたちが苦しむ様を愉しんで見てりゃよかった。違うかい?」


 クウロの、擁護をほのめかすような返しに、リュウモは違和感を覚えた。


「まァ! お互いの腹を探り合うのは、止めにしようや。時間の無駄だし、意味もない」


 言って、クウロは床に座った。

 どうやらここから出してはもらえないらしい。

 そもそも、彼にその権限があるのか怪しいものだ。

 すくなくとも、結界の『气』から察するに、これを組み上げたのは彼ではない。

 思った通りだった。彼らに関わったことで、人の世が持つ、巨大な潮流に呑まれかけている。


「んな顔すんなってェ。こっちが知りたいことを教えてくれりゃ、ちゃんと出してやっから」


 リュウモに選択の余地はなかった。うなずいて同意を示し、できる範囲で答えることに決める。


「ありがとうよ。じゃあ、質問させてもらうぜェ」


 クウロは、なにも書かれていない白紙の書物を開いて、懐から筆と墨を取り出した。


「こーいうのは他に書き留めるやつがいるんだが、こっちの事情でね。オレひとりでやらせてもらうぜェ」

「は、はあ……」


 意味がわからず生返事してしまったが、そういうことらしい。

 日付をクウロが書くと聴取が始まった。


「まず、根っこの部分からだ。どうして『竜』が本来いるべき場所を離れて人を襲う?」


 クウロは〈禍ノ民〉のせいだ、と決めつけて話さない。詳しく調べていたようだ。


「〈禍ツ气〉という『竜』を狂わせる『气』が、地上に出始めたからです」

「〈禍ツ气〉、ねェ。そいつが『竜』を狂わせている原因、と」


 クウロは書物に〈禍ツ气〉について書く。お世辞にも字は綺麗とは言えない。さっき言っていたように、記録専門の人がいないせいで、素人の彼が書かされる羽目になったのだろう。


「んでェ、〈禍ツ气〉を止めるには、どうすりゃいい?」


 リュウモは、意外だった。そこまでわかっていれば、止める手段を突き止めていると思っていた。肝心な部分は、まだぼやけているのかもしれない。疑問を口にする。


「え、〈竜峰〉について知っているなら、対処もわかってるんじゃないんですか? だから、おれを探していたんじゃ」

「うん? ああ、いや、坊主たち〈竜守ノ民〉が〈竜峰〉でなんかやったまでは突き止めたんだが、わかったのはそこまでだ。〈竜峰〉とやらの場所も、わかっちゃいねェ」


 なるほど。外の人々もそこまでが限界だったらしい。しかし、そうなると非常にまずい。

 クウロたちは、詳しい位置までは知らないと言ったが、それはリュウモも同じなのだ。解決するための手段をもっていても、特定の場へ赴かなければ機能しない。


「〈竜峰〉を、北の〈竜域〉にある以外、わかったことは無いんですか?」

「わりィが、ない。――なあ、こんなとこに閉じ込めてるオレらが言うのもなんだが、『竜』をどうにかしたいってのは、本心なんだ。解決の方法を知ってるなら、ぱっぱと教えてくれい。そうすりゃ、すぐにこんな辛気臭いとこから出られるぜ」


 考えた末、リュウモは観念して村の掟をひとつ破ることにした。彼らがどう考えていようと、閉じ込められたままでは『使命』を果たしようがない。

 枕元に置いてあった〈龍赦笛〉を、格子越しにクウロの前に置く。彼の肩が揺れた。


「そりゃ、坊主の近くから離れなかった……」

「〈龍赦笛〉って言います」


 クウロがよく見ようとしないのですこし前に出すと、彼は若干、後ろに下がった。気後れしているようである。


「これを〈竜峰〉で吹けば、地上の〈禍ツ气〉は晴れるはずです」

「どうして?」

「先祖たちが、そうして『竜』を鎮めて大地を救ったからです」

「はァん……なるほど、合致する、か――。んじゃあ、坊主たちの一族は、意のままに『竜』を操れるってわけじゃあ、ないのか。オレらが襲われてた時、操ってるように見えたんだが」

「あれは、〈龍赦笛〉を使ってしまったから」


 振り返れば、あの時点で衝動的に掟を破ってしまっていた。

 ――その罰なのかな、これは。

 天が試練への道筋を変えて、難しい方に舵取りをしたのかもしれない。


「だから、狂っていた『竜』が正気に戻って、自分たちの住処に戻って行ったんです」

「なんだ、この笛には狂った『竜』を正気に戻す効果があんのか。んなら、襲って来る『竜』がいたら、片っ端から吹きまくればいいじゃねェか」

「『使命』は、出来得る限り人の力だけで果たさなければならない。それは、鉄則です。もし、天がおれを資格無しと判断すれば」


 リュウモは〈龍赦笛〉を手に取る。


「その瞬間、この笛はおれの命を奪い、人の世が終わる」


 温厚であったジジが激昂し、物の怪かのように怒ったのは、リュウモの身を案じてだった。

 『使命』を遂行するための資格を得た者は、『竜』を平伏させる力を笛から伝えることができるが、増長し、傲慢になり切った時には、〈龍赦笛〉はその者の命を真っ先に奪い去る。


「おいおィ、そんなことになんのに、オレたちを助けてくれたってのか」

「助けたわけじゃ、ないと、思います……」

「あン?」

「もう、人が死ぬところを、村が焼けるところを、見たくなかった、だけです」


 嘘偽りの無い、リュウモの本心だった。むしろ、それ以外を考えていなかった。

 あんな光景を、もう二度と見たくない。ただ、それだけだった。


「そうかい……」


 後先考えず、衝動的に他者を助けたことに呆れられるとリュウモは思っていたが、クウロは笑った。


「ますます安心した。坊主は、咄嗟に見ず知らずの人間を助けようとするぐらいには、根っこが善いらしい。助けたあとを考えてないのは、子供だししょうがねえ。それと、国には星の動きを見て、未来を知る〈星視〉ってのがいるんだが、わかるか?」

「はい、村にもいました」

「じゃ、詳しい説明は省くぜェ。その〈星視〉たちがな、どーしてか『竜』の暴走については動きが鈍いっつーか、報告が遅くてな。こりゃ、〈禍ツ气〉となんか関係があんのかい」


 クウロの鋭さに、リュウモはちょっと驚きながら答えた。


「〈禍ツ气〉は、地上と空に膜を作ってしまう。だから、〈星視〉の人たちは未来が見え辛くなっているんです」


 もし、〈禍ツ气〉にそんな効力がなかったら、村の〈星視〉が襲撃をいち早く察知し、村の皆は逃げていた。つくづく、危険で厄介な代物なのだ。


「なるほどねェ。よし、わかった」


 そう言って、しばらくクウロは筆を動かして書物に要点をまとめていた。

「ええと……」「んで――」などと零しながら書き込んでいく。

 数項が黒で埋まると、彼は書物を閉じて、立ち上がった。


「協力、感謝する。待ってな、オレの上司に掛け合って、こんなとこから出してやっから」

 道具を懐に仕舞って、クウロは急ぎ足で出て行く。

 重々しい音が一度鳴り、また静けさが満ちてきた。

 再び、静寂が辺りを支配すると、リュウモは壁に背を預ける。


(これから、どうなるんだろう)


 なにもできずに過ごすしかないおのれの無力さに、空虚と苛立ちが積もった。

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