第2話 襲撃者
夜、春の生暖かい風が、天幕を通り抜けて揺らして行った。外では槍士たちが、生き返ったように動き回り野営の準備を進めている。その働きぶりの裏には、夕暮れ時に見た、惨たらしい光景を思い出さないために動いているようにも見えた。
野営地には、何個もの篝火が灯され、暗闇を払い、部隊の人間の顔を浮かびあがらせている。屈強な彼らが発する覇気が、今夜に限ってはなりを潜めてしまっていた。
(やはり、皆、心中穏やかではいられないか)
天幕から、ちらりと見える部下たちの表情を観察して、ガジンは苦笑してしまった。
――平常心を保っていられていないのは、私も同じだ。
親友の死。あまりに理不尽にすぎた死に様だった。八つ裂きにされた友の死に顔が蘇りそうになる。
「大将、そろそろ飯ですぜ」
クウロが、天幕の中へ入ってきた。両手には今夜の料理が入った椀を持っている。
「そこに置いておいてくれ」
「へい、了解しやした」
会議をするための机の上に、椀を置いて、クウロは椅子に座った。
「飯がのどを通らんってな奴もいましたが、いいからかっ込めと命じておきやした」
「しょうがあるまい。責めることはできんさ」
「ですなァ……〈青眼〉の男ですが、まだまともに喋れんです。医術の心得がある奴が言うには、心が駄目かもしれんと。薬を使わねェと、元に戻らんそうで」
「結局、皇都に戻って薬を処方してもらうしかないか」
心に強く作用する薬は、風邪薬のように容易く手に入る代物ではないため、急ぎ戻るしかなかった。
「飯は食わせてきやした。腹ァいっぱいになったら、すぐ寝ちまいましたけど」
「誰であれ、あのような殺戮の渦中にいれば、正気を失おう。腹が満たされ、緊張の糸が切れたのだ。起こさずにおいてやれ」
「へい。――――ラカンの奴ァ、死んじまいやしたね」
「……ああ、そうだな」
この会話以降、二人は無言だった。ガジンにとって、この沈黙こそが、亡き友へ捧げる悲しみと祈りのように思えてならなかった。
「おかわりだな」
槍士のひとりが言うと、その場を立った。
「よく、食えるな、あんなものを見たあとで……」
焚火の周りで休憩している槍士たちは、中々食べる早さがあがらず、一口運ぶごとに、昼のことを思い出しては閉口していた。
「食わんと、力が出ないからな」
言って、焚火から離れて、鍋が置かれている天幕の近くまで歩いた。外に置いてある鍋の中身は、いつもなら大体空っぽになっている中身が、半分以上残っていた。
「……ゼツの奴はどこ行ったんだ?」
料理番をしていた青年がいないことに槍士は気づいた。辺りを見回しても、誰もいない。
陣幕の中心では、焚火を囲んで、槍士が食事をしている。――その他に、うごめく気配を感じ取った。天幕の裏に、なにかがいる。
腰に佩いた短刀に手を掛け、裏側に回った。
「……なにもいない?」
槍士は周囲を感覚と視覚で見渡したが、侵入者らしき影はなかった。夜風が吹いて、陣幕の周囲にある木々の枝を揺らして、音が鳴る。
それとは別の音が、茂みから聞こえて来た。
「――ッ」
短刀を引き抜いた。だが、茂みからひょっこりと顔を出したのは、小さな野兎だった。
槍士は、安心して、肩から力を抜いて、短刀を鞘に収めた。
「まったく……この子兎め。人を脅かすと、取って食っちまうぞ」
しかし、ゼツはどこに行ったのだろう。――そう思っていた矢先、いきなり後ろから衝撃が来た。うなじ辺りを打たれたのだ、と感じた時には、すでに遅く、地面に倒れ伏していた。
誰かが倒れる音が、次々と夜に響いてきた。
(な、に、が……)
複数の足音が聞こえたのを皮切りに、槍士の意識は、一気に闇へと引き込まれて行った。
外の異変に気がついたのは、ガジンが先だった。
ガジンは即座に立てかけてある槍を手に持ち、クウロに目配せで合図をして、天幕を駆け出た。外では、ほぼすべての部下たちが、意識混濁、気絶に追い込まれていた。
倒れている彼らの近くには、食器が散乱している。
「ガ、ガジン様、みんなが……!」
焚火の近くにいた、唯一無事だった部下のひとりが、槍を持って駆け寄って来た。
「なにがあった!」
「そ、それが、みんな、一斉に倒れ始めてしまって、なにがなんだか……」
年若い槍士は、混乱して話しが纏まらない様子だった。
「おい、落ち着けェ! イツキ、倒れる前、他の奴らに変ったところはなかったか?」
クウロが槍士、イツキを落ち着かせる。彼は、上司の声に、はっと我に返る。
「すいません。倒れた者たちに特に変わった様子はありませんでした。飯を食べながら、話し合っていただけです。自分は、その、ご命令に背き、食欲がなかったので料理を口にしていませんでし……あ」
「料理に毒か……」
クウロもガジンも、まだ料理を口にしていない。
ガジンは、料理番であった青年、ゼツが倒れている面子の中にもいないことに気づいた。
「ゼツはどうした?」
イツキは首を横に振った。「くそ……」と、ガジンが思わず悪態を吐いた。
「死ぬような毒じゃ、なさそうですぜ」
クウロが倒れている槍士の様子を見て言った。気絶しているだけで、命に別状はないようで、ガジンはほっとした。――束の間、猿の叫び声と聞き間違うほどの絶叫が〈青眼〉の男が寝ている天幕から響いて来た。
「二人とも、ここにいて他の者を守れ!」
言い放ち、ガジンは駆け出した。
――狙いは〈青眼〉の男か!
なぜ、どうしてという疑問をすべて頭から追いやり、ガジンは槍を握り締める。
天幕の中にいる侵入者の気配を『气』の流れを感じ取り、外から中へ槍を突きいれた。布を引き裂き、侵入者のひとりへ穂先が風のごとき速さをもって迫った。
ガジンの手に返ってきたのは、固い感触。防がれたのだとわかると、横に槍を薙ぎ、布を両断する。ばさりと布が地に落ちる。侵入者が姿を見せた。
侵入者は、黒ずくめの着物で身を隠すように纏っている。頭と鼻元も布で覆われていて、顔が特定できないようになっている。明らかに、まともな戦い方をする相手には見えない。
「何者だ貴様ら!」
ガジンの怒声に怯まず、侵入者のひとりが突進してくる。手には短刀が光っていた。
懐に入られないよう、牽制と本命が入り混じった三撃を叩き込む。
侵入者は、右手に持った短刀でもって、すべてを見事としか言えない動作で捌き切って見せた。〈八竜槍〉以外で、これを受け切られたのは、ガジンにとって初めての経験だった。
「貴様、本当に何者だ。一体、誰の差し金で動いている?」
ガジンの眼が、深く、人間的な暖かさをもった光を沈め込ませた。
静かに、しかし、激流のように『气』を高めていく。相手はなにも答えない。
「は、あ、え、あが、あ、あぁあぁ!」
突然、大人しくなっていた〈青眼〉の男が暴れ始めた。まるで、ガジンの放つ『气』へ過剰に反応したかのようだった。男は気が狂ったかのように手足を激しく動かし回す。その力は凄まじく、腕を掴んでいた侵入者のひとりを弾き飛ばしてしまった。
「――退くぞ」
初めて、侵入者が声を発した。途端、煙が立ち上った。煙幕だ。
ガジンは、咄嗟に口と鼻を手で覆う。幸い、毒の類ではなかったが、視界が完全に閉ざされた。槍を一振りして、煙を払うと、天幕には〈青眼〉の男以外、誰も残っていない。
ガジンは侵入者の気配を辿ろうとしたが、驚くことに、〈八竜槍〉たるガジンが、全力で気配を追おうとしても、まったく捉えられない。闇の中に溶け込むかのように、消えている。
「く……!」
途轍もない手練れだったとはいえ、逃がしてしまった。ガジンは、歯噛みした。
「大将!」
クウロが近寄って来る。
「取り逃がしてしまった。傷は与えたが」
最初の一撃で、侵入者に掠っていた。地面に流れ出た赤い点がいくつか残っている。
「なんなんです、あいつら。大将と打ち合えるなんざ、とんでもねェ腕前ですぜ」
「あれほどの使い手、小耳に挟んだこともない」
〈八竜槍〉と戦えるのは、同じ者だけである、と言われている。そのガジン相手に、完璧に対応して見せた侵入者。
――新しく調査すべき項目がひとつ増えた。
誰が彼らを差し向けたのか。予想はいくつかできたが、どれもが憶測でしかなかった。
「ひ、い、え、ええ……りゅ、『竜』、同じ、『气』ぃ……!」
〈青眼〉の男が、恐怖のあまり、ばたばたと身体を動かし逃げようとして、足をもつれさせて転んだ。ガジンは素早く男の肩を片手で押さえる。
「落ち着け、もう、敵は去った!」
「あ、う、あ、ひ、人?」
ガジンは男の眼を凝視するのを躊躇ったが、ここで動揺や恐れを見せた途端、また暴れ回りそうな危うさが男にはあった。
「そうだ、人だ。もう、ここはお前がいた砦ではない。ここには、お前の味方しかいない。だから、落ち着け、落ち着くんだ」
根気よくガジンが言い続けると、ようやく〈青眼〉の男の身体に走っていた震えが収まった。目の定まっていなかった焦点も、現実を見始めていた。
「大丈夫か? 奴らはどうしてお前を襲ったか、言っていなかったか?」
「襲う……あ、ひ、ひあ……『竜』、来る、皆、殺された……!」
頭を抱え込み身体を丸めて、男はうわごとを繰り返す。
――『竜』、だと……?
男は、『竜』、来る、殺される。と、何度も言い続ける。もし、この男が言うことが事実ならば、大変な事態になる。
ガジンは、焦る心を抑えつけ、クウロの方を向いた。
「……クウロ、皆は、どうだ?」
「毒ですが、命に別状はありやせん。皆、無事ですよ。ゼツの奴、天幕の裏の林に、気絶させられて縛られておりやした。どうやら、不覚を取ったようで」
「ゼツが? いや、わかった。早朝、皆の体調が快復次第、皇都へ最速で帰還する。この男の言葉が真実であるなら、まずい状況だ」
あれだけの腕前を持つ男が、声のひとつもあげず鎮圧されたことに違和感を覚えたが、すぐに意識を切り替えた。
「ええ、至急、対策を練らんとまずいですな。皇都に鷹を飛ばしますか?」
「万が一、情報が漏れれば、混乱が起きかねん。止めた方が無難だろう」
「わかりやした。イツキ、倒れた奴らの様子を見て来てくれ」
「承知しました!」
それから、三人は事態の収拾に努めた。幸い、毒によって昏倒させられた槍士たちは、朝には快復し、後遺症も見受けられなかった。
使用された薬について、薬学に詳しいイツキが、使用された毒について解析しようとしたが、まったくわからなかった。判明したのは、襲撃者たちが信じられないほど非常に高度な製薬技術を持っているという事実だけだった。
イツキは顔を青ざめさせて言った。「これだけの薬を作り出せる技術があるなら、自分達を殺す毒を盛るなんて簡単だったはず。彼らは、敢えて、殺さなかったのです」
ガジンは、馬上で風を浴びながら、襲って来た者たちの練度の高さに、内心、舌を巻いていた。部隊としての連携もそうだが、彼らは、殺す手段があってもそれを使わなかったのだ。
これは、襲撃者たちが〈八竜槍〉を殺せば今の国がどうなるか、はっきりと理解していることを示している。
――彼らの裏にいるのは、一体、誰だ?
謎は深まるばかりだった。
「大将、見えてきやしたぜ!」
遠くに、影が見えた。巨大な壁。それに見合う門の下を通る人々。まだ距離があるのに、都の喧騒が、聞こえてくるようだった。
「帰ってきやしたね」
「ああ、騒がしくも、最も繁栄した、我らが帝がおわす、皇都に」
ガジンは、馬を急がせた。このときすでに、ガジンは国を揺るがす大事の予兆を、感じ取っていた。
なにか大きなうねりが巻き起こり、すべてを飲み込んで変えてしまうような、予兆を。
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