竜守ノ君
浜西幻想
第1話 黒き兆し
――古き神話の言い伝え――
この世には神ノ御遣いとして敬われ、畏れられる存在がいる。
それを人々は『竜』と呼んだ。
『竜』は天上の神々が地上に遣わした、尊ぶべき生き物であり、同時に触れてはいけない禁忌である。だが――。
かつて、はるかな昔、決して人が立ち入ってはならない領域に触れた愚か者たちがいた。
彼らは〈禍ノ民〉と名付けられ、ほとんどの者たちから忌み嫌われた。
禁忌に手を掛けたことにより、人々は未曾有の大戦を始めてしまう。
人の目に余る非道な振る舞いに、天上の神は怒り、人へ罰を与えるよう『竜』へと言いつけた。『竜』たちは、神からの命を執行すべく、大地に生きる人々へと襲いかかる。
絶望する人間へ、神は慈悲の心をもって、試練を課した。
神は自らが作り出した八本の槍を八人の若者へ授け、一人の男へ、騒乱を納めるよう言い渡した。
八人の若者は、天命を受けた一人の男に付き従い、戦いを終わらせ、国を平和へと導いた。
神の怒りは戦いが終わったことにより収まり『竜』もまた鎮まった。
男は人々から畏敬と感謝の念を送られ、長となり、国を導く帝となった。
八本の槍を送られた若者を帝は〈八竜槍〉と名付け、自身が絶対の信頼を置くものとして傍においた。
だが、禁忌を侵した者たち――〈禍ノ民〉の行方は、誰も知らない。
平和な時代であった。戦争は、残酷な記憶が薄れるほど昔に終わりを告げた。戦い合っていた氏族が集まり、タルカ皇国という形を成したあとは、戦乱の影はなく人は飢餓に襲われずに繁栄を享受できていた。一部が恵みを受け取りすぎであると批判する者もいたが、それでも口論に収まる範囲であり、武力でもって事を為す時代は、すでに終わったのである。
しかし、戦争が顔を出さずとも完全に争いは消えず、それゆえ国を護るための軍人が消滅しないのも道理であった。水面下で彼らは、災いの火種を消していたのである。
皇国には槍士と名付けられた職業軍人がおり、神話になぞらえて作られた役職に就く彼らは、各々から敬われていた。国に住まう人々にとって、『槍』を持つことは一種の権威を得ると等しい。槍士になるのは容易な道程ではないからだ。
そして、槍士の中で、皇国の現在に至るまで神話が息づいている存在がいる。――〈八竜槍〉と、初代帝から名づけられた者たちであった。彼らは〈竜槍〉を振るう一騎当千の槍士であり、皇国の軍事的象徴である。
〈八竜槍〉は皇都を守る役目を負い、また各地の領主を監視目的で定期的に視察に赴いていた。
事の起こりは、領主の館に招かれていた〈八竜槍〉のひとりの元に、襲撃を知らせる伝書鳩が飛び込んで来たことだ。大異変が、始まったのである。
小高い丘の上には、夕焼雲が伸びていた。赤い空は、あと数刻もしない内に、夜空へと顔を変えるだろう。丘の草花が赤く映し出される中、十数人の武装した武人達が、馬に乗って駆けて来た。部隊は、丘の上で一斉にびたりと停止する。
その先頭。真っ白な槍を手に持つ武人――ガジンは、眼下にある砦を注意深く観察した。
「どう思う、クウロ」
隣に馬を止めていた副官に、ガジンは尋ねた。
「ここまで漂ってきますよ。――とんでもねェ、血と臓物……死体の臭い」
クウロは、風に乗ってくる酷い臭いに、鼻を押さえた。事の起こりは、砦から襲撃を知らせる伝書鳩が、近くの領主の館に飛んで来たからだ。
偶々、視察に来ていたガジンは彼らの援軍を買って出たのである。
ガジンは、目を凝らして破壊されている砦の入り口を見た。おびただしい血と、人であった肉塊がいくつも落ちている。入り口付近に生えている青々とした雑草は、浴びた血液によって赤黒く変わっていた。
「大将、一体、誰がこんなひでェことを」
クウロの禿頭が、怒りで朱色に変る。ガジンは、彼のあごに生えている無精ひげがいつもより上を向いている気がした。
「……わからん。わからんが――人の所業とは思えぬ」
砦の外の死体は、見える限りでも体中を切り裂かれバラバラにされている。五体が繋がっている骸が一つも無い。
異常すぎる。たとえ、大規模な野党が砦を襲ったのだとしても、人をあそこまで損傷させるのは、それだけで手間がかかる。とてもではないが、盗賊などの仕業とは思えなかった。
「獣、ですかね?」
「それはなかろう」
件の砦は、戦などに使われるものではない。皇国の民が、ここから先に進まないよう見張る、監視砦だ。通常の砦と比べれば、装備や設備は貧相なものである。しかし、粗末ではない。城門は獣が爪を立てた程度で壊れるほど、やわな作りをしていない。周囲を囲う砦柵は、深くまで打ち付けられ、重く、太い丸太を使用している。高さも、人や獣が飛び越えられるものではない。
「砦の城門を突破し、百人を超える人間を逃がさず殺し尽す獣は、国にいるか?」
「いえ、いませんね。結局、行ってみないことには何もわからんってなもんですが――大将、馬が怯えて、進んでくれませんぜ。どうします?」
馬の眼には、恐怖がありありと浮かびあがっている。
軍事用に調練された馬は、いかなる時でも正常に走行できるよう訓練されている。
そんな馬達が、騎手の命に背いて丘から進もうとしない。彼らの本能が、ここから先に行くことを強引に止めているようだった。
「仕方があるまい。徒歩で行くぞ。半数はここに残り、馬を見ていろ。砦内で何かがあった時、すぐに援軍を呼べ。いいな」
部下達は、緊張した面持ちで頷いた。それから、ガジンはクウロに部隊分けをさせ、数人を率いて、徒歩で丘を下った。
「っう……」
砦に近付くと、部下の一人があまりの臭いに鼻を押さえた。金臭さ、糞尿、臓物、様々な悪臭が混じり合って、余計に臭いを激しくさせている。
砦の外にある死体は、逃げている最中に背中から襲われたのか、うつ伏せになって倒れている。外部の様相から内部の状況を予想しつつ、武人達は足を進めた。
やがて、砦の門前に着くと激臭は酷さを増した。ガジンも、我慢強さには多少なりとも自信があった方だが、これはたまらなかった。
「行くぞ」
躊躇していた部下の背を押すように、ガジンは砦の門を潜り、中へと入った。
本来、砦は強固な門によって閉じられているはすだが、完膚なきまでに叩き壊されていた。そのため、侵入するのは簡単であった。
そして、砦内部が、皆の前に姿をあらわした。革鎧に身を包み、物々しい数人からなる部隊の全員は、例外なく顔を青くさせられた。
砦の中は、思わず顔を覆いたくなる、むごたらしい光景が広がっている。
「こいつァ……酷い、何てもんじゃねェ――地獄だ」
四方八方、赤く、死で塗りつぶされている。赤の中に少量、白、黄ばんだ色が含まれていた。目玉や脂肪、内臓が至るところに飛び散っている。足を一歩踏み出せば、人体の何かを踏みつけてしまいそうだった。
「やはり、野盗の類ではない。……人ならば、このようなむごい真似ができようはずがないッ」
臭いも忘れさせる激しい怒りが、ガジンの内に迸った。荒波のように周囲の物を押しのける怒りは、部隊の武人達を怯えさせるに十分だった。
「大将、こいつァ、〈禍ノ民〉の仕業なんでしょうか」
クウロが、顔をしかめながら言った。
「滅多なことを言うな、クウロ」
ガジンは、彼の言った内容を咎めた。
〈禍ノ民〉――それは大罪人の名称だ。人々が、国という枠組みを作る以前、禁忌の業を広め、周囲に大混乱をもたらしたのである。
彼らの一族は、全員が青い瞳をしており、〈青眼〉と呼ばれる。現在でも、どこかに潜んで暮らし、人の世を脅かす計画を企てているという。
だが、そんなものは迷信に過ぎない。遥か昔、建国以前の神話だ。事実、〈青眼〉をした者達を、ガジンは一度も見たことがない。
「……ともかく、これ以上犠牲を増やすわけにはいかん」
「言われるまでもねェ。――指示を」
クウロの視線の先には、バラバラに引き裂かれ、喰い散らかされた死体が散乱している。
「領主へ連絡。人員をこちらに寄越してもらえ。一刻も早く、現状を打破しなければ、ここと同じことが何度も起きる。他の者達は、調査を開始しろ、慎重にな」
槍を握り締める手に、力が入る。……死体の中には、親しかった友人も混じっていた。
血液が凍ってしまいそうな、深く暗い想いが、ガジンの心を抉った。
元々、砦への援軍を買って出たのは、友人を救うためだった。
ここは、人が監視砦より先に進まないための場所でもあり、ある生き物の動向を見る施設だ。ここに駐屯する兵は、交代制で、月毎に変る。その中に、ガジンの友人はいたのだ。
深呼吸し、精神を落ち着け、涙を抑える。部隊の長が取り乱せば、動揺は周囲に波紋のように広がってしまう。部下の命を預かっている身で、感情の赴くままに行動することは、決してしてはならない。
「よォし、お前ら、散れ散れッ! 何か見つけたら、すぐ大将のところに来いよ」
クウロの号令で、部下達は恐る恐るといった足取りで、砦を詳しく調べるべく、散開した。
「……大将、今は、俺しかいませんぜ」
副官の気遣いに、ガジンは感謝した。頬に涙が一筋、描かれた。
それから、間もなくして、砦の奥の方で、大声があがった。
「生存者がいるぞッ!!!」
ガジンはクウロと顔を合わせると、すぐに声のした方向へ走った。
声は、砦の門からすこし離れたところから聞こえてきた。そこは、大きな兵舎が四つ、小さい小屋が一つ並んでいた。兵が寝食をする生活空間は、とても言い表せない酷い有様だ。小さい方は、備蓄などをしておくための蔵である。こちらは被害を受けていない。このことからも、野盗の類ではないのは確実だろう。
ガジンは走って行く最中、奇妙なことに気がついた。
兵舎近くにあった馬小屋の窓から、ちらっと、縄に繋がれた馬達が見えたのだ。
無差別な殺戮が繰り広げられた中、蔵と同じように被害を受けていない。
そう、まるで。
(まるで――人だけを狙ったかのような……)
ざわり……と、背筋に走った冷たさに、腹の底が浮いた気がした。
馬鹿な妄想と恐怖を振り払って、ガジンは走ることに集中する。
四つあった内の、一番外側の兵舎に入る。無残な光景が、嫌でも目に映った。
「ガジン様、こちらです」
部下が兵舎の奥で声をあげた。ガジンはそちらに足を向ける。
そこは、どうやら厨房のようで、いくつもの竈があった。ここで兵達の食事を作っていたのだろう。調理器具は嵐か地崩れにでもあったかのように散らばっていた。
生存者は、厨房の角で頭を抱えて丸くなっていた。全身をがたがたと震わせている。彼だけは、いまだに惨劇の渦中にいるかのようだった。
「事情を聞いたか」
「いえ、その、それが……」
歯切れの悪い部下の態度に、ガジンとクウロは訝しがる。
「その者の、眼を、見てください」
部下に言われるまま、二人は震え続けている生存者の眼を見た。
二人は驚愕する。生存者の眼。その瞳の色が、青かったのだ。
「〈青眼〉……」
恐慌状態に陥っている、若い男は何も言わない。恐怖のあまり、口を開けないのだ。
「……この者に手当を。丁重に扱え、何があったか、聞き出さねば」
「が、ガジン様……もしや、この者が砦を?」
「馬鹿言うんじゃねェよ。こいつが砦を襲わせたんなら、どうしてこんなにビクビクしてる? ちょいと理屈に合わねェ。――いや、さっき〈禍ノ民〉の仕業じゃねェかと言ったのは、俺なんだが」
クウロは、冷静に情報を集めて、結論を出していた。確かに、彼の言う通りである。
「外へ連れて行ってやれ。この者にとって、ここに居続けるのは、辛かろう」
生存者を発見した部下が、〈青眼〉の男に肩を貸して、砦の外へと連れて行った。
「細い糸ですなァ。情報源は、〈青眼〉の男だけですかい」
「だが、貴重だ。これだけの惨事。単独の犯行ではあるまい」
「だからといって、この辺りじゃ、野盗が出たとかいう報告はあがってきていない。難儀な事件ですぜ」
「現場を詳しく調べれば、手掛かりの一つや二つ、出てこよう」
「だといいんですが」
血みどろの砦に、何が起こったのか。誰に、友人は殺されたのか。何故〈青眼〉の男だけが生き残ったのか。謎は尽きない。
ガジンは、兵舎内に充満する臭いから逃れるように、厨房の窓から外を見た。
そろそろ陽が落ちる。暗くなっては、なにを踏みつけるかわかったものではない。臭いにたまりかねて、外に出ようと足を動かし――こつっと、何かが爪先に当たって、音を立てた。
「これは……」
――笛……警笛、か?
色は白く、手に持った槍と、質感が似ている。稲妻に打たれたかのような、予感が駆ける。
「まさか……」
ガジンが持つ槍――〈竜槍〉が掌に熱を伝えてくる。正解だ、と告げられている気がした。
窓から差し込んで来る淡い夕日が、槍と笛を照らす。
空は、赤から黒へ、姿を変えようとしていた。
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