パラディーゾ!

並木坂奈菜海

第1章 生徒会の日常

第1話 生徒会(長)の日常

 放課後、いつものように生徒会室のドアをくぐると、先客が2人ほどいた。

 そのうちの1人は、スカートの下にジャージという、顧問に見られたら間違いなく怒られるだろう格好で机に腰掛けている。


「遅い、何して……」


 行儀の悪い声の主は、俺の顔を見た瞬間壊れた機械人形のように目を見開いた。

 一瞬ののちに人間の魂が戻ると、話を続ける。


「あ、今日は日直だったんだっけ?」

「そうだよ」


 奴の名前は桜川真さくらがわまこと、俺のクラスメイトで第26代生徒会長。

 役員としては中3の頃から活動しており、会長選挙では対立候補に僅差で勝利を収めた。

 ちなみにその敗れた候補はいまは他の委員会にいるらしい。まあそんなどうでもいい情報は置いといて、だ。


「それで、なんでそんな格好を?」

「さっきまで落とし物を探していたらしいです」


 高校1年の副会長、菊池風磨きくちふうまがそんな会長に冷たい目線をななめ後ろから送っている。

 やや四角い黒フレームのメガネという、いかにも真面目キャラのテンプレといった顔立ち。

 テストは常にトップクラスなので、そんな彼のイメージに拍車がかかるのも不思議ではない。

 その当人は後輩の冷静過ぎる状況説明に異議があるらしく、口を尖らせる。


「しょうがないでしょう、棚の下に入っちゃったんだもん」

「で、出てきたのか?」


 俺の問いかけには、ややうなだれつつ答える。

 髪長い黒髪に隠れて見えないが、その顔には陰りがあった。


「ううん、まだ」

「何を落とした? というか何をしていたらそんなことになるんだ」

「再来週の総会の書類入れてあるメモリ。役員用に今日刷ろうと思って胸ポケに入れてたんだけど、ファイルの整理してる時に椅子の足に引っ掛かっちゃって」

「どのあたりなんだ?」


 すると部屋の1番奥に鎮座している棚を指差す。


「多分、1番右の」

「了解」


 それだけ言って、ブレザーを脱ぎ左腕の袖を肘をまくり、棚の下を漁ってみる。


「手には触れない、か。おい、懐中電灯あるか?」

「はい」


 桜川が腰掛けていた机の右隣にある、デスクトップPCが並んだ机のラックを開け、菊池が俺の右手にそれを差し出す。


「さんきゅ」


 ライトを照らして中を覗いてみると、ギリギリ手の届かない所にあった。


「あったぞー。けどこりゃ微妙な所にあるなぁ」

「どうしたの?」

「棒とかほうきの柄とかを使ったとしてもギリギリかき出せないんだよ」


 この棚の左右にある家具は底が床についているタイプで、かと言っても棚自体動かせるかどうか怪しい。


「いちかばちか、試してみるか」


 指を挟まないよう慎重に棚をつかみ、手前に少しずつ力を加えてみる。

 すると、鈍い引きずる音とともに数ミリほど動いた。


「おっ、行けるか。2人とも、邪魔な机を動かしてくれ」


 再び振り向いて指示をすると、既に机から降りて俺の後ろで様子を見ていた桜川が、部屋の真ん中に鎮座する接客机を移動させるところだった。


「菊池、下持て」

「分かりました」


 菊池がしゃがみ、棚の下を両手で掴む。


「よし、いくぞ。せーの!」

「よいしょ!」


 その堅物のような表情には似つかわしくない台詞が飛び出し、一瞬吹き出しそうになるのを堪える。

 棚はさっきよりも大きな音を立てて大きく動く。

 すっかり棚を引っ張り出してみたところで、ようやく水色のメモリが姿を現した。


「よし、あったぞ!」


 すぐさまそれを拾い上げ、会長に手渡す。


「気をつけろよ」

「うん、ありがとう」


 柔らかな笑みを浮かべたその表情を、俺は不覚にも可愛いと思ってしまった。




 その後部屋の原状復帰を行い、合流してきた中学生役員4人も交えて打ち合わせを行う。

 部屋に夕日が射してきた頃、5時のチャイムが鳴った。


「それじゃあ、お先に失礼します」

「今日は塾があるので、自分も上がります」


 中学生達と菊池が部屋を出ると、一気に静かになった。

 桜川が静かなトーンで話しかけてくる。


「私達だけになっちゃったけど、どうしようか?」

「帰るっつっても、まだ微妙だしな。部活は今から行ってもなぁ」


 どっちみちあと1時間で下校しなければならないので、後者はなかった。

 どうしようかと思案していると、桜川は少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「ねぇ、なんか飲む?」


 そういえば、この生徒会室にはコーヒーメーカーやらティーセットやらががあったな。


「コーヒーがいい」

「はーい」


 机を離れると、俺の後ろへ回り、備え付けのコーヒーマシンをいれる。

 電源を入れて数秒のうちに、コーヒー豆の香りが部屋に漂い始める。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 桜川は桜川でティーバッグの緑茶を出し、電気ケトルで湯を沸かしていた。

 こちらもカップラーメンの出来上がりよりも早く湯が沸き、すっかりティータイムになった。


「なんか、お茶菓子ほしくなるね」

「まぁこんだけくつろいでりゃあ、それはな」


 毎度毎度ブラックばかりでは胃を痛めるので、今回はミルク入りで飲む。

 

「今日は重労働させちゃって、ごめんね?」

「別に構わないさ。タダでコーヒーが飲める、それだけでいい」

「案外安いのね」


 と、桜川が小さく吹き出す。


「何だって良いだろ、家で不味まずいインスタントなんぞ淹れなくて済むんだからよー」


 他愛もない会話をしながらしばしの休息を楽しむ。

 カップが空になる頃には、時計の針が4と5の間でぴったりと重なっていた。

 引き揚げ時を感じ、片付けを始める。


「よし、帰ろうぜ」

「うん」


 桜川は短く返事をし、部屋の奥にあるひとつだけ錠前のかけられたロッカーに近づく。

 スカートのポケットから取り出した鍵を使い扉を開け、トートバッグを取り出す。

 机に出されていく鞄の中身は、ボタンが右についているブレザーにシャツ、そしてスラックス。

 うちの学校の男子制服一式だった。


 一旦上履きを脱ぎ、穿いていたジャージとスラックスを交換し、スカートを下ろして再び上履きを履く。

 続いてブレザーを椅子の背に掛けると、ワイシャツのボタンを上から一気に外していった。

 さらに中に着ていたキャミソールから白いパッドを取り出し、それも脱いで完全に上裸になる。

 すぐさま丁寧に小さく畳んで通学用バッグに押し込むと、入れ違いに手にしていた別の肌着を着る。

 トートに仕舞っていた服たちを身に着けると、額の上部に指をのせ、肩よりも少し伸びた黒髪を

 最後に脱いだものを畳んでそれと一緒にトートに詰め込み、再び鍵をかける。


「よし、帰ろうか」


 さっきまでの凛とした声とは全く違うトーン。

 そこには、




「お前も、苦労してるな」

「どうだろう、別にそういう訳じゃないし」

「そうか」

「なんだよ、その薄い反応」


 俺も、コイツと出会うまで――いや、この学校の生徒全員が、

 それもそのはず、学校にいる間は桜川真は女子生徒の1人として生活しているのだから。

 俺自身も、役員に指名され、奴に生徒会室に呼ばれ着替えに立ち会わされたときまでそう認識していた。


 桜川は、普段登下校のときは男子の制服を着ているらしく、学校へ来るとすぐさま生徒会室で着替えるという。

 らしい、というのはいつも1番最初に登校するので誰も奴の登下校を見ていないからだ。

 正体を明かされたとき、当然俺は何でそんなことをしているんだ、と尋ねた。

 それにはこう答えた。


『うーん。気持ちが楽になるから、かな』


 制服は数年前に卒業し転居した姉のものを借りている、との本人談。

 ただ、それは両親には黙っているので、登下校のときは男子制服でいる。

 教師陣の方は、と聞くと黙認しているとの事だった。


『まぁ、学校の宣伝材料たる生徒会長は、女の子のほうが見栄えいいからじゃない?』


 そんなことを着替えながらのほほんと言っていたのを憶えている。

 もちろん当時の俺はそれを驚愕のあまりフリーズした状態で聞いていた。


「おーい、もしもーし」


 しばし回想に耽っていた俺の目の前で、桜川が手を振っている。


「どうした」

「なんか、さっきからの話聞いてないみたいだしさ」

「悪い、右から左だった」

「全くもう、ちゃんと聞いててよ」

「悪い悪い」


 頬を膨らませて拗ねる。こっちは一部の女子に需要がありそうだな、と俺は思った。


 男と女、2つの顔を持つこの不思議なクラスメイトに、今のところ嫌悪だとか、ネガティブな感情は持っていない。

 それも、桜川真という人間がなせるわざ、というものなのだろう。

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