第38話 聞きたくなかったこと


 最初、なぜこんなところにあのクマのぬいぐるみの女の子がいるのか理解できなかった。


 俺もシャルロットさんも、ただ顔を見合わせて唖然とすることしかできない。

 いや、理解というか、彼女がここにいる理由の予想はできていたのかもしれない。でも、それを認めたくなかったんだと思う。


 ここがどういう街なのか、ついさっきシャルロットさんから聞いたばかりだ。

 いやでも、違うかもしれないじゃないか。でも、それはあまりにも、希望的観測が過ぎる。



「どうしたの二人とも? 私のこと覚えてないの? アーネストリアで会ったじゃない!」



 そんな俺たちとは裏腹に、明るい女の子が俺たちに微笑みかける。


「えと……。うん、覚えてるよ」

「それでそれで、お二人さんはなんでこんなところにいるの?」

「えぇと……」


 この勢い。なんだろう。フレイアと同じ匂いがするというかなんというか……。



「あ! そういえばまだお互い名前も知らないもんね! 私ノエル! よろしくね!」

「よ、よろしくノエル。私はシャルロット。こっちはリョースケだ。それで……」


 シャルロットさんも、大体予想はできているのだろう。

 だからこそ、うまく言葉を発することができない。選んでも選んでも、どうしても彼女を傷つけてしまうことになるのではないかと。



「ノエルー! 何をしているのですか! 早くこっちにきなさーい!」


 何も言えずにただたたずむことしかできなかった俺たちと、ニコニコ顔のままのノエル。

 その気まずい空気を打破したのは、ノエルの背中に投げかけられる女性の声だった。


「あっマリーおばさん! ちょっと待って! 今知り合いがいたの!」

「あらあら! 知り合い!? 今そっちに行くからちょっと待っていただいて!」


 その声の主は、おそらく曲がり角の向こうにいるのだろう。

 ノエルは、少しだけ顔を後ろに向けながらそう声を張り上げた。


 やがて、曲がり角の向こうからリズム良い足跡が聞こえてくる。

 あれがマリーおばさんだろう。


「あらあら! これはこれは!」


 建物の陰から姿を現したのは、壮年の物腰柔らかそうな女性だった。

 五十代ほどだろうか? 若々しいとは言えないが、その目に宿る光は確かな若さをたたえていた。


 まさに『人当たりのいい近所のおばさん』と言った風貌のマリーさんは、ノエルの隣に立ち、俺たちに深々と頭を下げる。


「これはこれは! あなた方がノエルの知り合い様でございますか?」


 そして、心底うれしそうな微笑みを浮かべながら、そう問うてきた。



「知り合いと申しますか、少し前に顔を合わせた程度なのですが……」

「でも二人とも私のこと覚えてたでしょ? 私も二人のこと覚えてた! だから知り合い!」



「また乱暴な結論だな……」

 シャルロットさんは苦笑しつつも、ノエルが知り合いであるという否定はしなかった。


「これも何かの縁でございましょう。この奥に家がありますので、ぜひお茶を飲んでいってくださいませ」


 俺たちに、再び深く頭を下げるマリーさん。

 



 ……初対面の人間にここまでするか? 街が街だ。なんとなく嫌な想像をしてしまう。




 でも、こっちは拳銃で武装してる。

 もし何かあっても、抵抗はできる。それに、マリーおばさんの瞳に悪意のようなものは微塵も感じられなかった。

 

 ただ、いとしい我が子の友達をもてなそうとしている。そういう純粋な善意しか、感じられない。


 病院に早く戻る必要はあるけれど……。


 俺は、シャルロットさんの方を見やる。

 彼女は、すでに結論を出しているようだった。



「せっかくだ。ごちそうになっていこう。断る理由はあまりない」

「ですね。ちょっと、気になりますし」

「だな」



 俺たちは、マリーさんの申し出を受けることにした。








 俺たちが案内されたのは、この街の中では比較的大きな屋敷の庭。

 建物自体は綺麗とは言えないけれど、庭には色とりどりの花が咲き乱れ、澄んだ水を湛えた小さな池もある。

 

 十分美しいと言える空間だった。

 その庭に設えられた東屋の下で、ガーデンチェアに腰掛ける俺たち。

 

 すぐ、ティーカップとティーポットをお盆に乗せたマリーおばさんがやってくる。

 ノエルは、庭先で美しい花々と一人で戯れていた。



「お待たせいたしました。軍人さんの口に合うかはわかりませんが……」


 そう苦笑しつつ、彼女が俺とシャルロットさんの前にティーカップを静かに置く。

 そしてその一言で、シャルロットさんの表情が一気に険しいものになった。


「いつ、気づいた? まだ自己紹介もしていないはずだが」

「あなた、結構体のラインが出る服を着ているでしょう? 軍人だとわかったから、お茶に誘ったのよ?」


 そういいつつマリーおばさんが指さす先には、銃とホルスターの形に盛り上がったシャルロットさんの上着。

 確かに、この拳銃を携帯しているのは軍人だけだ。にしても、服の上から、それもCQCホルスターに収められた拳銃の形だけでその銃を特定してしまうなんて……。


「コンシールド目的じゃないのはわかってるけど、街を歩くときには気を付けた方が良いんじゃないかしら?」

「……以後気を付けよう」


 少しだけ赤面しつつもそう返したシャルロットさんに、慈愛に満ちた微笑みを向けるマリーさん。

 彼女は突然、自身の腰をまさぐって一丁の拳銃を取り出した。しかも、俺たちの持つ軍用拳銃とまったく同じモデルだった。



 今度こそ、一気に緊張感がその場を支配した。

 だが、マリーさんはふふふと笑うと、マガジンを抜いてスライドをホールドオープン状態で固定。

 さらに大振りなコンバットナイフを抜き出し、机の上にそれらを並べる。


「いっ、いったいアンタ何者なんだ……」


 ここ最近、このセリフが多いような気がするシャルロットさん。

 とはいっても、俺も内心まったく同じことを思っていた。


 唖然とする俺らにふふふと笑いかけながら、

「ほら、ティータイムに物騒なものは不要でしょう? 私は神に誓ってこれ以外の武器を持っていないわ。なんならボディーチェックをしてもらってもいい」

「突然何を言い出すかと思えば……」



 まったくもって、この人の意図がつかめない。

 だが、念には念を入れ、シャルロットさんがボディーチェックを行う。


「ほら、何もないでしょう? あなたたちをどうこうしようっていう意図がないこと。わかっていただけたかしら? こうするのが一番手っ取り早いと思って」

「まぁ確かに、何もせずにお茶を出されても私たちは口に含まなかっただろうな。毒でも盛られてたらお話にならん。ここはそういう街だ」


 えっ、やべぇ俺飲む気マンマンだったんだけど……。

 でも言われてみれば、そういう可能性が無いわけじゃない。


「あなたたちは武器を持ったままでいいわよ。さて、ティータイムと行きましょうか」


 そう言いながら、にこやかな表情で空いていた椅子に腰かけるマリーさん。


「それじゃあフェアじゃない」


 だがシャルロットさんは、腰のCQCホルスターから拳銃を引き抜き、同じようにマガジンを抜く。

 そしてチャンバーの中にも弾が入っていないということを証明するため、スライドをホールドオープンさせた状態で机の上に置いた。

 俺も彼女に続き、武装解除する。向こうの素性がわからない以上、本当はこうするべきではないのかもしれない。でも、フェアじゃないことも確かだった。




「あらあら、うれしいわ。じゃあ、今度こそティータイムと行きましょうか」

「あぁ。聞きたいことは山ほどあるからな」


 シャルロットさんはもう、完璧に病院に帰るということなどすっ飛んでいるような表情で、マリーおばさんを睨み付ける。

 このお茶会、なんだかとっても長くなりそうな気がするなぁ……。


 紅茶をポットからカップに注ぎ、まずはマリーさんが一口。

 毒が入っていないということを証明するためだ。


 それに続き、俺たちも紅茶を口に含む。

 フワッと広がる香りは、あまり紅茶に詳しくない俺ですら上等なものだとわかるほどのものだった。

 当然、口に広がるほのかな甘みも素晴らしい。



 一杯目のカップを空にしてから、マリーさんが口を開いた。




「まず、私の自己紹介。私はルーニエス国防軍情報統合対策室のマリー・レイトン。と言っても、元、だけどね」

「軍人か……。どおりで……。私はルーニエス国防空軍のパイロット、シャルロット・ハルトマン。こっちは……」

「シャルロットさんの二番機、橘涼介と申します」


 とりあえず頭を下げながら、同時に考えを巡らせる。

 情報なんたらかんたらって、アレか? アメリカで言うCIAとか、イギリスで言うMI5、ロシアで言うKGBみたいなものか? 

 その元情報なんたらかんたらの軍人が、なんでこの街に? それに、ノエルと一緒に?


「まぁ、これだけ言われても何が何だかって感じだろうから……。そうねぇ……なにから聞きたい?」

「まず、なぜノエルがここにいる?」


 ゴチャゴチャ悩んでいた俺を切り伏せるかのような鋭さで、シャルロットさんが問うた。

 マリーさんは少しだけ顔に影を落としながらも、ためらうことなく続けた。



「もうわかってるんじゃない? ここに来る子供たちはみんな戦争孤児よ。あの子も、両親を失った。つい最近ね」

「つい最近?」

「えぇ、宣戦布告の日の、アーネストリア城塞市で」



 その言葉を聞いた途端、俺はカップをひっくり返していた。

 幸い中身は空。


 でも、そんなこと、どうでもいい。



「アーネストリア城塞市での死者、二名っていうのはあなたたちも知っているでしょう? その二人が、あの子の両親だったの」




 

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