第36話 彼女のふるさと


 俺たちが病院を辞して向かったのは、すぐ近くのグルージア国際空港。

 その、エイルアンジェが羽を休めるハンガーだった。


 病院のスタッフには、軍の急用で少しだけ外出すると伝えてきた。

 わりとすんなり外出許可が出たので、彼女の容態は本当に全く問題ないんだろう。


 それで少し安心できていたけれど、ハンガーに入ってエイルアンジェを見た途端、再び吐き気がこみ上げてくる。



「お、おいリョウスケ。大丈夫か? どうした?」



 なさけない。俺が彼女をささえなきゃいけない立場だっていうのに、またこれだ。




 ふらつく彼女に支えられながら、近くのベンチへと腰を下ろす。

 さっきまでで胃の中身をすべて空にしていたのが幸いし、ここではそれをブチまけずにすんだ。




「す、すいません……」

「何があったんだリョウスケ。あの空で」


 自分のことなど忘れたかのように、心配そうに俺の顔を覗き込むシャルロットさん。

 ダメだ。このままじゃダメなんだ。俺は気力を振り絞って笑顔を浮かべながら――


「俺のことは……いいんです。それより、シャルロットさんこそ、何か話があるんじゃないですか?」


 ――そう返した。




「何があったかわからないけど、逆効果だったかな……。すまないリョウスケ。また場所を変えてもいいか?」

「えっ? え、えぇ。俺は問題ありませんが……」

「それじゃあ、また少し散歩に付き合ってくれ」



 ……再び歩き出す俺たち。ハンガーを辞したところで、彼女の意図がなんとなくつかめた。


 彼女はきっと、俺を励まそうとしてくれたんだと。

 自分のことなど棚に上げて、俺が大好きな飛行機に触れることで、気分転換になればと思ってくれたのだろう。




 俺に体を預けて隣を歩く彼女の全てが、急に愛おしくなる。

 

 だから、言葉にして伝えたくなった。



「あの、シャルロットさん」

「どうしたリョウスケ」

「無事に帰ってきてくれて、ありがとうございます」

「いきなりどうした。私は死なん」

「そうですね」



 平日の昼下がりだというのに賑わう、首都グルージアの街並み。

 まるで東京をさらに近未来的にしたようなその街を、俺たちは体を預けあいながら歩いていく。



「少し距離があるんだ。タクシーを使おう」

「わかりました」


 彼女の提案に乗り、道行くタクシーに向け手を上げる。

 すると、すぐさま一台のタクシーが俺たちの前に停車。静かにそのドアを開いて俺たちを招き入れてくれた。

 シャルロットさんが運転席のシートの後ろに取り付けられた端末に何かを入力する。行先を運転手に伝えるには、この端末を使うらしい。やっぱり、進んでるなぁ。

 そんな場違いなことを考える俺を乗せ、タクシーはゆっくりと走り出した。


 


「どこに行くんですか?」


 走り出して一つ目の信号で、俺はシャルロットさんに尋ねた。


「ん、大したところじゃないよ」





 その後目的地に着くまで、俺たちは一言も言葉を交わさなかった。










「ここですか? シャルロットさんが行きたかった場所って」

「そうだよ」



 走ること約十分。巨大な摩天楼が立ち並ぶ中心街から少し離れただけで、この街は纏う雰囲気をガラリと変えていた。

 一言で言ってしまえば、スラム街。



 貧相な掘っ立て小屋が所せましと立ち並び、ボロボロに擦り切れた洋服を身にまとう人々がせわしなさそうに行き来する。

 そんな場所だった。


「これが、この国の現状なんだ。経済制裁、度重なる戦争。そして、戦争で親を失った子供たち」


 彼女はとつとつと語りながら、スラム街の中を歩き始める。

 ひどい悪臭、放置されたゴミ、はい回るネズミやゴキブリ。


 本当にこんなところに人が住んでいるのかと疑ってしまうような惨状だった。



「なぁリョウスケ。お前の話を聞く前に、私の話を聞いてもらってもいいかな? 私もお前に悩みを打ち明ける。だから、お前も私に悩みを打ち明けてくれ」


 昨日、フレイアとも同じような会話をしたなぁ……。

 なんて思いつつも、


「わかりました」


 俺は何の迷いもなく、そう返していた。

 少しでも、彼女の力になりたいと思った。




 俺の返答に、ありがとうと小さな声で返した彼女は、再び口を開く。



「私はな、ここの出身なんだ」

「ここって、このスラム街ですか……?」

「そうだ。私は戦争孤児だった。親もなにもかも、物心つく前に失った。顔も覚えてないから、悲しくもなんともないんだけど」



 俺たちの隣を、ボロボロのシャツを着た子供たちが楽しそうに駆けていく。

 彼らの手には、食べかけのパンとしなびた果物がいくつか。



 昔はシャルロットさんも、あの中にいたってことか……。




「十歳になって、自分で食い扶持を稼ぐ為に軍に入ったってのはこの前言ったよな?」

「はい、十一歳で戦闘機に初めて乗ったとも」


 十二歳で初めて人を殺したということに関しては、触れなかった。


「私はな、自分で言うのもなんだが、ズバ抜けていた。近接格闘も、射撃も、何もかも。だから、ある作戦に選ばれた」

「作戦……?」




 そこでシャルロットさんは、大きく息を吸い込んだ。


 足を止め、俺を正面から見据える。



 言葉を発しかけて飲み込む。それを幾度か繰り返したのち、こう語った。




「メデュラド王国の、王女暗殺任務だ。殺し屋に見えない容姿を持ちながら、その技量を持つ者として」





 それを聞いた途端、嫌な予感が全身を駆け抜けた。

 つながってほしくない点と点が、理不尽にも線で結ばれてしまうような感覚。



「私はな、昔、フレイアの妹を殺してるんだ。それが、初めての人殺し。十二歳の、誕生日だった」






三十七話へ続く

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