第31話 君の強さのその訳は
フレイアが『フレイア王女』であることが判明したその日の夜。
俺はシャルロットさんとともに、リュートさんの私室へと呼び出されていた。
「こんな夜更けにすまないね。とりあえず適当に座ってよ。今紅茶を淹れるからさ」
空には星が瞬き、貧相なエプロンと滑走路には美しい誘導灯がともされていて、昼間とは全く違う幻想的な一面を見せるアーネストリア基地。
「気にすんな。それで、何の用だ?」
そんな景色も、彼女は見慣れてしまっているのだろう。窓の外の景色を一瞥することもなく、ソファーにどっかと腰かけた。
俺も、――少しだけ外の景色を眺めてからになるけれど――彼女の隣へと腰を下した。
「わかっているだろう? フレイア王女殿下のことだ」
「うんまぁ、そうだろうなぁとは思ってた」
まぁそうだよね。普通に考えて。
「で、早速本題なんだけどね?」
彼は自身と俺とシャルロットさんの前に紅茶の入ったカップをゆっくりと置きながら、対面のソファーへと腰かける。
そして紅茶を一口すすった後、語り出した。
「明日、フレイア殿下を首都まで護送する。空路だ。その護衛を君たちスパロウスコードロンにお願いしたい」
「まぁ、賢明な判断だよなぁ」
「ですね」
最前線基地とはいえ、こんなヘンピな田舎基地に敵国の王女を置いておくなんて、どうかしている。
だったら首都まで送り届けて、あとは上の人間に判断を任せた方が賢明だ。そもそも俺たちだけでどうこうできる問題じゃない。
「出立は明朝〇六〇〇時。フレイア殿下はAC-6輸送機で。君たちはエイルアンジェで首都グルージア国際空港へと向かってもらう。でもまぁ、国土のど真ん中を突っ切るルートだ。襲撃されることなんてまずありえないんだけどね」
「念には念を入れ、だな」
「そういうこと。それじゃあ、細かいブリーフィングは明朝〇五〇〇時から。遅れないようにね」
首都までの空路。そこで襲われるなんてことは、敗戦間近にでもならなきゃそうそうありえないはずだ。
ルーニエスとメデュラドの国境にはすでに防衛線が張られてるし、この情報を知っている人間も限られている。
メデュラドも、フレイア王女が俺たちに保護されたということを万が一知っていても、手出しできないだろう。
空路に手を出すということは、ルーニエスの防空網をすり抜けなくちゃいけないんだから。
そう考えると、明日はのんびり遊覧飛行ができそうだ。
何も考えずに飛べるこの世界の空は、初めてだ。
そう考えると、嫌でもテンションが上がってきてしまう。
湯気を立ち上らせる紅茶をあおり、気持ちを落ち着かせる。
「了解しました。明朝〇五〇〇時、ブリーフィングルームに。それでは、お先に失礼します」
「あぁ、おやすみ」
よし、今日はもう休むことにしよう。
明日飛べるとわかって、もう胸が高鳴ってきている。遠足前の幼稚園児みたいだけど、実際そうなんだから仕方ない。寝れるかなぁ、今日。
そういえば寝る前の紅茶って、いいんだっけ、悪いんだっけ……。
「それとシャルロット。大丈夫かい? 今回の任務。というより、これから先」
そんなことを考えながら意気揚々と部屋を辞そうとしていた俺の足を、リュートさんのそんな言葉が止めさせた。
いったい、どういうことだ? 今回の任務? これから先……?
「なんの話だ? 大丈夫も何も、問題なんてないだろう?」
けどシャルロットさんは、ポカンとした表情でこう返した。
「それならいいんだ。じゃあ、明日ね。おやすみ」
リュートさんはそれ以上追及することもなく、この日のプチ会議はこれでお開きになった。
気にならなかったなんて嘘になる。
でも、シャルロットさんの態度はいつもと同じ毅然としたものだった。リュートさんが深く追求しなかったことも、大したことじゃなかったのかなという考えに結び付く。
それ以上に、明日空を飛べるという胸の高鳴りが、これ以上の思考を拒否させた。
うん、そうだ。とにかく、明日寝坊しないように早く寝ることだけを考えよう。
俺は自分にそう言い聞かせ、何も聞いていない風を装ってリュートさんの部屋を辞した。
※
リュートさんの部屋がある士官向け宿舎から、俺やシャルロットさんの部屋がある下士官用宿舎へは、一度エプロンに出て外を歩かなければならない。
夜も遅いということもあり、人とすれ違うことはなかった。
そのままエプロンに出ると、心地よい夜風がさらりと吹き付ける。先ほど窓越しに眺めていた美しい夜空と誘導灯のコントラストは、やっぱり直接見た方が心に響くものがあった。
しばらくその景色に見とれ、夜風が少しだけ肌寒く感じられるようになったころ、俺は自分の部屋を目指して再び足を動かし始める。
そんな夜のエプロンの片隅、俺の寝泊まりする宿舎の前に設えられていたベンチに、見慣れた人影があった。
「フレイア王女、こんなところにいると風邪をひきますよ」
「オーリョースケかー。いや、眠れんくてナー?」
素通りするのも気が引ける。俺はそのベンチに腰掛けて缶コーヒーをすすっていた彼女――フレイア王女殿下に――何とはなしに声をかけていた。
昼間は彼女のことを『フレイア』なんて呼び捨てにしていたけど、いざ本当にメデュラドの王女様だとわかるとどう接していいのかわからない。
というか、王女様にあんな態度を取っていた俺は不敬罪でハラキリにでも処されてしまうのではないかと心配になってくる。
でも彼女は、
「アノナー? コレまじめナお願いなんダケド。私同年代のオトモダチが一人もいなくてナー? 昼間シャルロットとリョースケにああいう風に接してもらえテ、チョーうれしかったんダー! だからナー? できれば昼間みたいに、オトモダチみたいに接してくれルとウレシーなー。なんて……」
そう、寂しそうな笑みを浮かべた。
ここで悩んでも仕方ないだろう。女の子の頼みを無下にするのは男が廃る。それに、正直そう言ってもらえるとこっちもありがたかったし。
「わかった。でも他に人の目があるときはそれなりの態度を取らせてもらうよ。王女に向かってなんだあの態度はって、俺が怒られる」
「それもそうだナー! じゃあ、プライベートではこういう感じでナー!」
たったそれだけ。友人のような態度を取っただけで、彼女はまぶしいほどの笑顔を浮かべてくれた。相当嬉しかったんだろう。自分の態度でここまで人が喜んでくれることなんて、初めてだった。
「ナーナーリョースケ。昼間言ってた異世界って、何のハナシー?」
「ぶほっ」
そんなほんわかした雰囲気を吹き飛ばす、彼女の問い。
この子は本当に、突然凄まじい発言をしてくるなぁ……!
話の腰の折り方が、ジャーマン・スープレックス並みの切れ味のよさを持っている気がする。
にしても、困ったなぁ……。これ、俺の判断で語ってしまっていいものなのか……?
悩みに悩み、でも、彼女の方が突然その問を引っ込めた。
「アー、こういうこと聞くには、まず自分かラなんかカミングアウトしないとフェアじゃナイよナー……。リョースケ。なんでも聞いていいヨー? その代わり、異世界って何のことなのカオシエーて?」
うむ、そうくるか……! でもこれ、イカロス・プロジェクトだっけ? 国家機密なんだよなぁ……。
シャルロットさんがあのとき口を滑らせちゃったのが元凶だけど……。というか、自動車学校の教官をしているはずのあの海兵隊指導教官が知っていた時点でおかしいよな?
あ、でも国家プロジェクトなんだからその国の軍人が知っていてもおかしくはないのか……。
基地の職員たちも知っていたわけだし。
うーむ、今考えると結構ザルなんじゃないか? この国の情報管理……。
シャルロットさんが昼間、この国の国民はみんな超お気楽とは言ってたけど、これはお気楽が過ぎるような……。
だって国際法違反なんでしょ? バレたらそれこそやばいでしょうに。
「ナーナーリョースケー! 聞いてるー!?」
「おぉっと、ごめんごめん、考え事してた」
フレイアが肩をユッサユッサと揺さぶり、ハッと我に返る。
ウーン、これはまた今度リュートさんに聞いてみることにしよう。かなり重要な問題な気がする。うん。
「やっぱナー? 自己紹介もカネて、まず私がリョースケの質問になんでモ一つ答えてあげるー! それデナー? 異世界のことは気が向いたらでいいから教えてチョー?」
「……いいの? そんな、俺にしかメリットがないじゃん」
「イイノヨー? 仲良くなるためにナー! さぁ、なんでも聞いテー!」
……それじゃあ、イカロス・プロジェクトのことはひとまず置いておいて、お言葉に甘えさせてもらうことにしようかな……?
「初めて会った時から思ってたことなんだけど……」
「何々ー?」
ワカメをかぶっていたことでもない。運動神経が良すぎることでもない。
「なんで、そんなにニコニコしていられるの?」
祖国の悲惨な現状。自身が今置かれている現状。はっきり言ってかなり絶望的な状態だろう。
打つ手も今のところは無くて、ルーニエスとの戦争で無駄な血を流しながら、内側では魔物に食い荒らされる祖国を、敵国から眺めることしかできないなんて。
フレイアは俺の問いに少しだけ驚いたみたいだけど、すぐに真面目な表情になって缶コーヒーをベンチに置き、腕を組んで唸り始めた。
そして三十秒ほどで、答えがまとまったのだろう。再び缶コーヒーを手にし、語り始めた。
「んー、それはナー? 昔、約束したからカナー? どんな時も、お姫様はニコニコしてなきゃいけないんダッて」
「約束?」
「ソウ。今はもういないんだけどナー? 私、妹がいてなー? でも、昔殺されてしまっタんヨ。それでナー? その時オンオンナイてナー? でも、昔から仲の良かった幼馴染が、その時言ってくれたんダー」
そこでひとまず区切り、夜空を見上げるフレイア。
「お姫様は、国民の希望じゃなキャいけない。しかもフレイアは笑ってたホウが綺麗なんダカら、常に笑ってろってネ。言ってくれたんダー。でもね、でも泣きたくなる時もあるだろう。泣きたくなる時は、俺が話を聞いてやるから俺の前でだけなケってナー」
それはなんだか……。
ちょっと、こっちが恥ずかしくなってくるくらいに……。
「ロマンティックだね……」
妹さんが亡くなったということに、同情することはやめた。
きっとどんな陳腐な言葉を向けても、笑顔を浮かべ続けるフレイアには必要のないものだと思ったから。
「デショー? デモナー? 確かに、現状を嘆き続けるヨリ、何か行動してもがいてもがいて手にした方が、先には進めるンジャないカッて。私も思うんダー。少なくとも、私はそう思っテる」
「だから……」
「ソウ! その約束もあるシ、笑ってた方が前に進める気がスルから、私はいつでも笑ってルのヨー! 答えになったカナ?」
俺は、彼女のルビーのような瞳に、吸い込まれてしまうような感覚を覚えた。
うまく言い表すことができない。だけど、確かに彼女の言葉は耳に残っていた。
恋愛感情じゃない。これだけは確かだ。
安心感というか、なんというか。
そういう感情を、俺は抱いていた。
「うん、ありがとうフレイア。参考になったよ」
陳腐だけど、とりあえずそう返しておく。
そうとしか、返せなかった。
「ドウイタマシター!」
「どういたしまして、ね」
「ソートモ言う」
大きく動いた自分の心。
その波を和らげるかのようなフレイアのボケに、少しだけ口角が上がる。
そのあともしばらく、俺たちは誘導灯と夜空を見上げ続けていた。
三十二話へ続く。
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