△▼△▼カケラノセカイ△▼△▼

異端者

第1話 起


 靴が砂にめり込む感触があった。

 一歩踏み出すと、足元でシャリシャリと音を立てる。

 これは、やっぱり夢だろうか?

 僕はのろのろと頭を振った。

 始まりは覚えていない。ただ、気が付いたらこの青い砂の世界に居た。

 砂丘の向こうに地平線が見える、青く光る砂の砂漠での夜。

 もちろん僕は、この世界に来る前は普通の学生だった。普通に学校に行き、普通に遅刻する中学2年生。

 それがなぜか、この足もとの砂が青く淡い光を放つ世界に放り出されている。

 ――まあ、いいや。行こう。

 僕はゆっくりと歩き出す。どこへ行くともなく、ただ前へ。

 迷いはなかった。進むしかないのなら進むのだろう。それに当然放り出されるのはきっとこれが初めてじゃない。人間として生まれた時もそうだったはずだ。……それなら今更慌てなくても良いだろう。


 しかし、妙に温かい。砂漠の夜はひどく寒い、そう聞いたことがあったけれど……。

 それがしばらく歩いてみての感想だった。まだ月夜の砂漠なら様になっただろうが、あいにくのところ月はなかった。

 もっとも、月があろうがなかろうが、砂漠の夜は寒いはずだ。熱をさえぎるものがないので、太陽が温めるのをやめれば後は自然と冷めていく……はずだ。

 それなのに、これは一体どうしたことだろう。

 僕は座り込むと、手で砂をすくい上げた。

「なんだ? これ?」

 砂がほんのりと温かかった。

 それは昼間の太陽の熱をたくわえているというよりも、砂自体が発熱しているようだった。

 この砂漠の夜が暖かいのは、どうやらこの青い砂のせいらしかった。

 僕は笑った。あお向けに寝転がると何度もごろごろと転がった。

 ゆかい……だった。普通に考えたら有りえないこの状況に、自分が居るというのが。

 ツツン!

 不意に背中に何かが当たった。それは弾力があって、砂の中に埋まっているようだった。

 僕はせっかくの興奮を邪魔されたような気がして、せめて邪魔者の正体を見極めてやろうと両手で砂を掘り始めた。

 まもなく、そいつは地表に姿を現した。そいつ――黄色い光、青い砂よりもずっと輝いている巨大なキノコ。そいつは傘の直径が30センチ以上もあって、あたかも今は見えない月の代わりであるかのように輝いている。

 いや、これは駄目だろう!

 僕はそのふてぶてしいキノコが妙に腹立たしくなって、傘の下に手を突っ込んだ。その柄を手探りで見つけると力の限り引いた。

 少し何かが外れる感触があって、その柄は伸びること伸びること……ゆうに1メートルを超えたところで、途切れた。

 ああ、このキノコはこんなにも地下深くから伸びていたのか――僕は少し悪いことをしてしまったような気になった。

 まあ、仕方無い。戻す訳にもいかない。

 僕はその柄を右肩に掛けて柄の根元を右手で持つと、またゆっくりと歩き出した。さっきよりもゆっくりと。

 歩き疲れていた。

 今日はここら辺で横になろう。この砂の上なら、どこで寝たって風邪をひくことはないだろう。



「いやはや、これは『大会』の参加者ですかな?」

 頭の上でそんな声が響いた。

 目を開けると朝だった。霧がかったような空気の中で太陽がぼんやりと輝いているが、少しも湿った感じは無い。

 今、僕の頭上には、眼鏡を掛けた梅干しのようなしわくちゃの顔があった。

「『大会』? 何のこと?」

 そう答えながら、相手を観察する。

 毛の無い頭にしわだらけの顔、銀縁の眼鏡と白く長いひげ、やたらすその長い灰色のシャツのような服、後は……。

 「梅干し老人」がそんな僕の様子をせせら笑うかのような顔をすると、その顔のしわが一層深くなった。

「おやまあ。まさかそんな立派な物を持ってきて、何もせんと帰る訳ではありますまい。

 今日は多くの人が待ちに待った『毒キノコデコレーション大会』の日ですぞ。

 ほら、早くせんと受付が終わってしまいますぞお!」

 梅干し老人は僕の手にしたキノコを、それからいつの間にか砂丘の向こうにあった天幕を指さして言った。

 その天幕は、寝ている間に張られたらしかった。

 僕が老人に急かされるままその受付に行くと、受付のおばさんが笑いながら言った。

「やっぱりねえ。私もあんな所で寝ているんだから、そうに違いないって思ったのよ。

 でも、あんまり気持ち良さそうに寝ていたから、起こすのが悪いような気がしてねえ」

 僕がルールを知らないと言うとそのおばさんは少し驚いたようだったが、ルール説明をしてくれた。

 それによると、どうやらこれは毒キノコを使って制限時間内にオブジェを作る大会らしかった。

 参加するには毒キノコを持ってくることが条件で、食べられるキノコが混じっていた場合には出場者と関係者で食べてしまうそうだ。

 この説明を受けている間にも、隣の受付を訪れた中年男が、持ってきたキノコが全て食用だからという理由で失格になっていた。それでもその男はなかなか引き下がろうとはしなかったが、そのうちに悪態をついて去って行った。

 ちなみに、持ってきたキノコを各選手が直接に使うのではなく、運営委員会が公平に分配するのだという。キノコを切ったりくっつけたりする道具もそこが用意するのだそうだ。

 僕は説明を聞き終わると、番号札をもらい選手席に急いだ。席ではその前の机にキノコの分配が始まっており、80人ぐらいの選手が険しい顔をしている間を、かごを持った係員がキノコを配り歩いている。

 その向かいは観客席らしく、100人以上の人が地べたに座り込んでいる。その隣が審査員席らしく、3人の審査員、くすんだ色のベレー帽の老人、手足がひょろ長い若者、ガマガエルのような腹をした中年男が思い思いの格好で座っていた。

 その場に居る人々は、皆最初に会った老人と同じく、すそが長く膝まであるシャツにサンダルという格好だった。そんな中で僕だけが普通のシャツにジーンズという、酷く場違いな格好をしていることに気付いた。

「あんた『外』から来たのかい?」

 その声が掛ったのは、それに気付いたのと同時だった。

 見ると、隣の席の木の実のネックレスを身に付けた青年だった。

「『外』って?」

「この世界、砂ばかりの世界の外だよ。……あんた、本当に来たばっかりなんだな」

 訳が分からなかった。

 とりあえず、自分も何か尋ねようと、青年のネックレスについて言った。すると青年は少し恥ずかしそうに笑って言った。

「彼女からのプレゼントさ。

 貴重なんだよ。ここらはキノコばかりでちゃんとした木がなかなかないから。あんたの世界には木がいっぱいあるのかい?」

 僕は少し考えてから、木は確かにたくさんあるが、ここのような青く光る砂は無いと答えた。それから、何百本もの木が集まってできた「森」や「林」があると付け加えた。

 それを聞くと青年はとても驚いた顔をして、そんな世界は考えられないと答えた。

 そこで大会開始を告げる鐘が鳴った。

 僕はまず、自分に配られた毒キノコを確認しようと、机の上の道具とキノコの山をしげしげと眺めた。

 何だ? こりゃ?

 配られたキノコの色は色あせた赤や黄ばかりで、1つも色鮮やかなものがなかった。

 途方に暮れて見るとはなしにさっきの若者の方を見ると目が合った。若者は「こっちもハズレだ」と言いたげに苦笑いをして見せた。

 僕はついさっきルールを知ったばかりだったが、それでも自信が無い訳ではなかった。しかし、配られたカードが最低の手札しかないのでは、どうしようもない。

 一応は他の道具は一通りそろっている。灰色ののりのような液体に、ハサミ、ナイフ。……それでも、肝心の材料がこうも貧相では、見栄えのする作品を作るのは難しい。

 また、問題は色だけではない。形も一般的な「キノコ型」ばかりで、指先ぐらいの小さな物が多い。例外的の1個だけ大きな物が混じっていたが、それだけではさすがに厳しい。

 「公平に分配」? どこが?

 周囲の選手たちも似たような状況だったが、その中に1人だけ、良さそうなキノコばかりの選手が居た。その「彼」が今手にしているのは、さっき僕が持ってきたものだ。

 いまいましかった。あのキノコをあいつの口にねじ込んでやりたいと一瞬思った。

 それでも、参加した以上は何かしらの作品を作るべきだろう。そう思って、もう一度冷静になって材料を見てみる。

 ……駄目だ。足りない。このキノコだけでは「質が悪い」というよりも「足りない」のだ。それなら、他の物を使うしかない。

「質問があります!」

 僕は声を張り上げて言った。

「あ……はい。どうぞ」

 意表を突かれた顔をして、係員のやせた男が近寄ってきた。

「材料は、ここにあるものなら何でも良いんですか?」

 やせた男は、一瞬だけ意味が分からないという表情をしたが、すぐに答えた。

「ええ、まあ。ただし、ナイフやハサミを突き刺して作品だというのはやめてくださいよ。危ないですから」

「そうですか。ありがとうございました」

 僕がそう言っても、相手はまだその意味が分かっていないようだった。

 さあて、これで許可は得た。

 僕はナイフの先の灰色ののりを少し乗せると、例の1つだけ大きな、色あせた黄色のキノコにそっと刃先をあてた。切ってしまわないように慎重に力加減をしながら、ナイフを動かす。

 そして、机の下の青い砂を一握りすくうと、その上に振りかけた。

 砂がかかったキノコを振って、余計な分の砂を落とすと、のりの付いた部分の砂だけが残って、青い模様が浮かび上がった。その模様はミステリーサークルのような円形を主体とした模様だった。

 ……うん。いい。予想以上だ。

 そう思った時、観客席から声が上がった。

 僕はそれを気にせず、次の作業へと移る。

 その模様を中心として、それを囲むかのように小さなキノコで「森」を作る。赤と黄、たった2色で残りの部分にモザイク画を施していく。

「あと30秒!」

 そんな声が聞こえた。

 僕は最後に、貼り付けたキノコの微妙な位置や角度をチェックする。

 カラアアアァン。

 全てのチェックが終わった時に、終了の鐘が鳴った。

「ここまでです。選手の皆さん、各自キノコから手を離してください。

 ……ご苦労様でした。こちらにキノコのスープが用意してありますので、それを食べながら結果発表をお待ちください」

 こうして、審査結果が出るまではひとまず休憩となった。

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