第6話 『エンドレス・today』

「おはよう!

太一くんっ、昨日の『スマートにスマッシュ!略して<<スマスマ!>>』見た?

ラスト、感動しちゃったよっ」

朝、学校へ向かおうと玄関で靴を履いているところに向かいに住んでいる山川鈴女がドアを開けて入ってきた。

毎日のように迎えに来る幼馴染なので、問答無用だ。遠慮なんてあったものではない。

だが、当人も僕もそんなことは少しも気にしていなかった。

鈴女は悩みなどないような、いつも明るくほがらかな性格だったから。僕は僕で、もっと大きな事に悩んでいる最中だったので、気にしている余裕がなかったから。

悩みを相談すれば、きっと、頭がおかしくなったのだと思われるだろう。

失恋で狂ったなどと言われるかもしれない。しかし、最近はこう思うようになったのだ。


僕はもしかして、彼女の言っていた“病気”に感染したのではないかと。


「いってきます」

憂鬱な気持ちのまま、僕、二ノ宮太一は台所にいる母に声をかけた。

「あ、太一、今日は夕方から雨が降るっていうから早く帰ってくるか、折りたたみ傘を持っていきなさいね」

知っている。

昨日も、一昨日も、先週もその前も、ずっとずっと夕方五時四十分になると雨が降ってきた。

明日も明後日もきっと同じ時間に雨は降るだろう。

雨だけではない。ありとあらゆる『日常』が、神によって作られたスケジュール通りに、昨日と同じ今日、“六月九日”を繰り返している。

そして、それを覚えているのは僕だけなのだ。

毎日、毎日、同じ時間に同じ道を通ると、“昨日”起こった出来事がそのまま再現される。

世界中の、僕以外の全員、誰も彼もが誰一人として『六月十日』になったことを知らず、同じ“六月九日”を繰り返す。何度も、何度も。

なまじ、“昨日”のことを覚えているため、頭がおかしくなりそうだった。

楽しそうにテレビの話をしている鈴女とは逆に、僕は、僕の頭を蝕む何かに脅え、恐れ、とても話をする元気はなかった。

「……帰りたい」

もしくは、この『今日』から抜け出したい。

「だね。学校サボって、どっか遊びに行こうか?」

お気楽に言う彼女が僕の心境を理解しているとは思えなかったが、こういう明るさに触れると少しだけ温かい気持ちになる。

完全におかしくならずにすんでいるのは鈴女のおかげかもしれない。

「“昨日”と違うことをすれば何か変わるかもしれないと思って、カラオケに三回、ゲーセンに二回行っただろ。なんも変わらなかったけどな。お前にねだられて、五千円も使って取ったぬいぐるみもリセットされちゃったんだよな。五千円戻ってきたのはよかったけど」

「? もう一ヶ月くらいゲーセン行ってないよ?」

「はいはい。わかってますよ」

鈴女が覚えていないのはわかっている。

だが、僕は覚えている。何度もこの『繰り返しの今日』を切り抜けるために、様々な行動をしてみた。

ノートに日記を書いても、ネットの掲示板に書き込んでも、携帯にメモしても、全部、寝て目を覚ますとリセットされてしまったので、自分の頭に記憶するしかなかった。

「……ちょっと、そっちは遠回りだよ」

「いいから早くこいよ」

「変なの」

駅前の商店街の路地を通る。開店前の忙しい時間帯で、ここを通学路にすると邪魔者扱いをされる。

この時間をいつもの道で行くと、がらの悪い兄ちゃんにぶつかって、しこたま怒られることを知っていたからだ。

同じ毎日を繰り返しているうちに、僕は避けられる運命と避けられない運命があることに気づいた。

誰かが起こす事件や過ちは必ず起きる。僕が事前に止めようと思えば止められない事もないが、当人は“昨日”の記憶はないので、当然、自分がそんな事件を起こすなどと思ってはいない。

忠告して怒られるのも馬鹿馬鹿しいので、だいたいは放っておくことにしてはいるが、身の回りの人が起こす小さな災難なら避けられるものは避けたいと思っていた。風、雨、地震などといった自然が起こすようなものは止めることができないのでその場に近づかせないようにする程度だが。

駅に着くと、通学、通勤に電車を利用する人でいっぱいだった。

朝のピーク時は電車の間隔が短く、数分で駅に到着するので、あまり待たずに乗ることができる。

「よっ、太一」

電車に乗り込むと、聞き覚えのある声に呼びかけられた。顔をあげて誰か確認して、この車両に乗ったことを少し後悔した。

茶髪でロンゲ。今風の男子高校生といった感じの同級生だ。新谷直哉という名前だが、しんたになおやを略されて“シンヤ”と呼ばれている。

クラスの中でもよく話すし、仲が悪いというわけでも、決して嫌いというわけではない。

だが、“昨日”を体験している僕は彼から何度も同じ話を聞かされていて、少々うんざりしていたのだ。向こうは話したことを覚えていないので、初めて聞く話に、こちらは毎回わざと驚いてあげないといけないのだ。

これは酔っ払いとの会話で経験した人もいるかもしれないが、精神的に疲れるものだ。

「なぁ、すごい話聞いたぜ。小宮って知っているか?」

「話したことはないけど、クラスメートだし、顔くらいはね。あとはバスケやってるくらいか」

「その人がどうかしたの?」

満員とは言わないが、それなりに混んでいる車内で、シンヤが顔を近づける。

「それがな、あいつに彼女ができたらしいんだよ」

「え~っどんな人?」

「へぇ」

「なんだよ?太一は興味ないのか?」

鈴女のリアクションに対して、僕の無反応に不服なのか、シンヤが呆れたように見る。

「い、いや、そういうわけじゃないけど……」

知っているからとは言えない。知らないフリをするのは、やはり疲れる。

「あぁ、自分に彼女ができないから妬いているのか?お前らもうつきあっちゃえよ」

「もーっ、なに言ってるのよ」

まんざらでもないのか。鈴女は照れたように顔を赤らめながら、シンヤの肩をばしばし叩く。

「幼馴染だからって、そういうことを何度も言うなよ」

そう。こうやって毎回からかわれるから会いたくなかったというのもあった。

呆れながら、鈴女と同じように照れて言った僕の一言に、シンヤが不思議そうな顔で返事をした。

「え? そんなに何度も言ってないだろ」

あ。

油断した。

僕は、はっとなってごまかすように、さりげなく窓に視線をやる。

「な、なに言ってるんだよ。昨日も僕たちのことからかったろ」

しどろもどろになりながらも、強引にごまかすことにした。

「そ、そうか?」

「そうだよ。そ、それにしても、小宮もまさかストーカーと付き合うとは……あっ」

今度こそ、失敗したというように口を手で抑える。これは確実に、今シンヤから初めて“今日”聞くはずの大ニュースだ。

「……なんで、それ、知ってんだよ。昨日の夜に友達から聞いたんだぜ?」

案の定、眉をつりあげ、訝しい表情でじっと顔を見つめられた。

「お、僕も直接……」

「嘘つけ。あいつと話をあんましたことないだろ。『付き合うことにした彼女がいきなり浚われたって相談された』って、友達から聞いて、俺も探すの協力しようと思っていたんだが……お前、なんか知ってるのか?」

「いや、それは知らない。興味ないし……あ、駅に着いたぜ。降りなきゃ」

まだ電車はホームに入ったばかりで、自動ドアも開いていないのに、車内の中心からドアの前へと歩きだした。

「おいっ!すげえ気になんだろ!」

「“明日”がくれば教えてやるよ」

「なんだそれ!」

ドアが開くと同時に走り出した僕を、シンヤは叫びながら全力で追いかけてきた。

乗客全員から『うるせえな』と思われていたが、蛙の面に水。若さとは恐ろしいものである。

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