9.

 坑内のLTGライトは、全て光を失っていた。もう闇しかない。〈暗視〉を点けて歩きだす。

 地上に向けて添斜坑を上り始めて1時間20分ほど経ったころ、向こう側からゴーグルの光が一つ現れた。思わず立ち止り、知らぬ間に右手を左肩に当てていた。立ち止まっていたことに西口に追い越されて始めて気が付いた。

「おい。……このまま行くのか」

「ここで止まったり逃げたりした方が逆に良くないと思いますよ。それに最悪2対1だしなんとかなるでしょ」

「……」

 歩いているところからゴーグルの光まで、横道にそれる坑道はない。何も考えたくなかったので歩き始める。

 相手の顔がはっきり見える。相手をじっと見据えていた。私も彼も。

 相手もこちらも、遠くから歩いてきたスピードそのままで、すれ違う。

 まるで速度を落とすと、あるいはスピードを上げると、それで何かが決壊してしまうかのような感覚だった。きっと相手もそうだろう。相手は長い遭難でやつれきった表情をしていた。

 きっと私もそうだろう。

 彼は左肩を右手でつかんでいた。

 彼は下って行ったがどこへ行くのだろうか。どうやって電力を温存していたのだろうか。残りはどれくらいなんだろうか?



 サンニーサン坑道と中央添斜坑が形づくる巨大な交差点付近に、奇妙な死体があった。それは遠くからも見えた。死体だとは判らなかったけれど。燐光を発するようにプスプスと燃えていたのだ。近づいて死体だとわかってもあまり緊張は無かった。ケアマシンに〈帰依〉していたから。死体は顔面の辺りがとくにひどく焦げており、もはや顔面は崩落していた。燃えているせいで顔面にできた空洞が照らされる。白い骨と脂肪、それに粘膜のようなものが焦げて煤けている。事故で死んだのではないだろう。なにか抗争があったに違いない。何があったかは知らない。



 中央添斜坑は横幅9メートル、高さ7メートル。これはゴーグルアプリの機能の一つに、壁や天井までの距離を測るものがあり、それでおおよそを測定したためわかった事柄だ。斜坑の中央には機能を止めたベルトコンベアー。コンベアーの左右に沿って人一人が通れる幅の階段がひたすら続いている。たまに水平の坑道が姿を現す。

 上る。

 自分の足音と西口の足音とが、時に合ったり、時にずれたりしながら響いている。靴音はストレスの要因になるために、〈ケアマシン〉が働く。

 上り始めて1日。深度計は6300メートルを指していた。午後8時に至り、階段の傍らにある平面地に腰掛ける。簡便な食事と給水。持ってきた毛布にくるまる。西口はすぐさまゴーグルを外す。


 深度4500メートルあたりで、茫洋としていた中央添斜坑に突然壁が現れたことを〈暗視モード〉が認知した。崩落地点だ。

「進めない」

「中央本斜坑はどうでしょう? 200メートルくらい戻ったところに通行路がありましたよね戻りましょう」

「……」

 すれ違ったやつれた男や、顔面が崩落した死体のある方向に、はっきりいって進みたくない。西口にはそうした気持ちは無いのだろうか。

 西口が先頭になる。添斜坑から本斜坑へ至る通用路を歩く。すぐに本斜坑に出て再び登り始める。しばらく歩くと、同じような風景が眼前に現れた。また崩落している。どうも、どちらの斜坑をも巻き込んだ大きな崩落の様だ。斜坑に平行して走るいくつかの副道も同じく崩落していた。

「ダメみたいですね」

「……」

「下の通用路から700メートル下ったとこに第20片坑道があって、そこの西側の端に、西部斜坑がありますよね。そこから迂回して上るのがベストでしょう」

「……」

 迷いなく歩み出そうとする西口に置いて行かれそうになる。



 西口は強い人間だと思う。電力の減り具合を見ても、私と同じくらいの筋力補助アプリケーションで上って来ている。女だが体力もあるのだろう。驚嘆すべきは冷静さだ。私の計画の穴を見つけて、5日間やりすごすという解決策を見せてくれた。私は、漫然と電力を蓄えて上ることしか考えられなかった。仲間を裏切ること、その仲間に襲われることに繋がる可能性を認知できなかった。西口はそれをすぐに見こして、それを回避するための手段を実行できる精神力があった。西口は一体、暗闇のなか、ゴーグルも作業着もなく……なぜずっといられたのだろうか。

 私は西口と違って弱い人間だ。ゴーグルや作業着がないと生きていけない。生活していけない。仕事をし、家族を養っていけない。

 だが、そう考えると私の方が強い人間なのかもしれない。どこかに蒙昧さを抱えながらも、システムに上手く乗っかる能力。システムに上手く守られる能力がある。

 西口は強すぎるのかもしれない。仕組みになじまない。これまでの仕事が上手くいかなくて地底に至った根本の大きな理由がなんとなくわかるような気がする。彼女の様な人間は何もかもお見通しで、だからどこにも馴染めない。

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