第25話 悲劇のアトリエ

□第25話□

□悲劇のアトリエ□


 ――むくは、一五歳の春に、憧れの徳川学園の制服を着ました。


「むくちゃん、似合うわ。まーまと同じ制服」

「女子のかあ。ぱーぱは、参っちゃうなあ」

 美舞まーまも玲ぱーぱも喜んでくれて嬉しかったです。

「ベージュのブレザー姿、箱ひだのスカートにピンクのリボンが乙女らしく似合っていて眩しいよ」

「玲ぱーぱ、照れます」

 むくは、もじもじしながら、あつい胸を抑え切れませんでした。


 憧れていた徳川学園で、どんな大きなキャンバスにどんなに素敵な夢を虹色の雲に乗って描けるか、とても楽しみにしていました。


 中学の時、バレエも美術も大好きでした。

 だから、徳川学園入試の面接では、描きためていたファンタジーなイラストや油彩を前に、ロメオとジュリエットを踊ったのですよ。


 職員室と美術室をよく行き来しました。


 コンコン。


「失礼いたします。美術の原田結夏先生はいらっしゃいますか?」

「あ、はーい。土方さん。もう、選択科目の美術史、スライド支度できたの? 熱心ね」

「スライドのボタンを押しますので、先生、声を掛けてください」


 コンコン。


「失礼いたします。原田先生、美術のモチーフ、整理できました。又、お手伝いさせてください」


「まあ、土方さん。そんなに美術が好きなら、美術部に入るといいわ。私、顧問だから」

「それは、思いつかなかったです。お願いしたいです」

 一礼しました。


 美術室前に呼ばれました。

「僕は、美術部の部長をしている神崎亮だ。これは、高一の椛。僕のケソ妹だ。よろしく頼む」

 神崎部長が、椛さんの頭をぽんぽんとしました。

「亮兄さん! ケソは要りませんよっだ」

「土方むくです。仲良くしてください」

 ぺこりとお辞儀をしました。


  ***


 ――七月五日の事でした。


 それは、悲劇的な事件の日でした。


「原田先生、片付けが終わりました。さようなら。お先に失礼いたします」

「遅いから、気を付けて帰ってね」

 先生は、神崎部長と残務がありました。

「はい、椛さんが下で待っています」

「なら、OKよ」

 原田結夏先生、神崎部長と別れました。


「ごめん、むくさん。今日、友達にあんみつ呼ばれたの」

「大丈夫です。それなら、駅近くの寅屋とらや迄送って行きます」

「むくさんは、いいの?」

「一人で帰れます」

 他愛もない話をして、楽しく帰りました。

「またねー」

「さようなら」

 椛さんと寅屋の近くで別れました。

 暫くして、気配を感じたのです。


 ヒタヒタヒタヒタ……。


 誰かが、むくをつけて来ました。

 気味が悪いので、足を早めました。


 すたすたすた……。


「おい、土方。可愛いじゃないか……」

 後ろからむんずと肩を掴まれて、ぐいっと振り向かされ、いきなり唇を奪われたのです。

 強く抱きつかれ、心臓が、バクバクしました。

「うごっ」

「う、うぐぐ」


 この男性は、よくは知りませんが、知っている人でした。

 怖くなって、振りほどいて逃げたのですが、後をつけられてしまいました。

 自宅の中区にある団地より近い、青葉区のアトリエへと向かう事にしました。


 タッタッタッタッ。

 ハアッハアッハアッハアッ。


 振り向かずに走りました。


 ダッダッダッダッ。

 フウッフウッフウッフウッ。


 嫌な程しつこくついて来られました。


 二つの足音と息づかいだけが、夕日の道に違和感を与えていました。


  ***


 ――むくのアトリエに飛び込みました。


 バタン。

 ガチリガチリ。


 内側から鍵を掛けようにも、ドアノブを向こうから強く引かれて、シリンダーが回りませんでした。

 欠片も抵抗できませんでした。

 とうとう、力業で、開けられてしまったのです……。


「土方むくだろう」


 ギイーッ。


 ゆっくりと開いたドアの隙間に、四〇代の眼鏡を光らせた顔が入り込んで来ました。


 ガタッガタ。


 アトリエにひらめの様に入られて、直ぐに腕を掴まれてしまいました。

「バレエやっていたんだってな。体柔らかいのかよ。見せてみろよ」

 低い声が迫って来て、とても怖かったです。

「脱げよ、こんなもの! オマエは、裸でいいんだ!」

「い、嫌です……」

「脱げ、おら! って、オレが脱がせばいいのか。へへ……。こっちに来いよ。うちの奴がさっぱりでよ……。寂しいんだよ」

「止めて!」

 慌てて振り切って窓の方に逃げたら、今度はスカートを掴まれてしまい、顔面から、どたんと倒れてしまったのです。


「スカートは、どうやって脱がす? 面倒だから、パンチーだけ脱がすか」

「止め、止めて……。えっえっ」

 むくは、泣きました。

「おう、水玉のお子様パンチー!」

「うっ……。止め……」

「上も脱げ! ちゃっちゃかやれよ。柔らかく脚も広げろよ」

「ゆ、許してください。えっえ……」

「おらっおらっ!」

 制服を淫らに脱がされてしまいました。

 その時です。


 バタン。


 アトリエにドアの音がつんざいたのです。


「止めろよ!」

 神崎部長でした。

「土方むくさんが一人で帰ったと椛からスマホで聞いて探しに来てみれば、この変態が……!」


「ケソ親父! 出て行け、神崎渓! 出て行け!」

「神崎部長の……?」


「うるせえ、亮。誰にも言うなよ……?」


 神崎部長の父親は、どたどたと帰って行きました。


 そして、最悪な事が起きました。

 脱がされた服の間から、神崎部長に肌を見られてしまいました。

「何だこの体は……。土方むくさんは、女なのか?」

 神崎部長は、むくを助けてはくれましたが、秘密を見られてしまいました。


 そして、この後、バレエの教室をお休みする事にしました。

 思い出してしまって……。


  ***


 ――ドイツ、“L” 病院、四一二号室にて。


「そうか、むくちゃん……。辛かったな。俺の子だ。こっちへおいで。俺の娘だ」

 泣きながら話したむくの頬を優しく拭った。


「性分化疾患なのだよ」


「こちらの学会に来たのにもひとつある。この、“L” 病院は、その権威のドクター水島みずしまがおいでなのだよ。むくちゃん、治そうか。病気であって、むくちゃんは何も悪くないのだよ」

 玲がゆっくりと解きほぐした。


「う、うああああん。うあああ。むくは、むくは、『私』でもなく、『僕』でもないの? むくは、自分の事、『むく』としか言えないのですか……?」


「あ、ああああ……。うわあああああん……。あああああ……」

 泣けるだけ泣きたがる娘に、玲もしっかりと誓った。

 

「治るから。いや、治すから。なあ、むくちゃん」


 美舞が、ウルフが、マリアが、むくを抱き締めた。


 むくは、「『私』が……」と言いかけた。


「『私』が……」

「『私』が、むくです」

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