第8話 ディナーの秘匿

□第8話□

□ディナーの秘匿□


「はい、はい。そうです。宜しくお願いいたします」

 自分のスマホは使えるAyaであった。


 ピッツーッ。


「五ツ星ホテル、“E” にディナーを予約したわ。よろしい? ねえ、ご一緒よろしいかしら?」

 寡黙なAyaが、弾んでいた。


「そうか、ドレスコードあるね。着替えて行きますか」

 Kouは、そうしたレストランに客としては殆ど行った事がなかった。

「あっ、私もこれではいけないわね。怪しまれますね」

 自分の普段の姿を急に恥じて、服をぱたぱたとはたき、サングラスに困った。

 頬を染めて、これからの事に少女の様にひらひらと舞った。

 こんな事は、Ayaにはあり得ない程珍しかった。


「着替えたらいいよ。私も着替えて来る」

 踵を返した。

「え? 今から?」

 焦りを隠せないで、行って欲しくないと右手をKouに伸ばしてしまった。

「さ、寂しい事いわないで。一緒にお買い物しましょう」

 顔の前ではたっと手を合わせ、頭を下げた。


「後から合流します」

 Kouは、背を向けたまま、手を挙げて人混みに溶けて行った。


 Ayaは、ただ立ち尽くすしかなかった。

「こう言うの、“つれない” と言うのかしら……」


 ホルダーの、Schwarzシュヴァルツ Dracheドラッヘ のグリップをふるふると触った。


  ***


 ――ホテル。レストラン、“E” にて。


「予約した、水木亜弥みずき あやと申します」

 偽名は、しれっとして使うのが主義だとよくAyaは言っていた。

 だからか、レストランの誰もが、Ayaのどこか東洋の香りもする風貌にすんなりと行った。

 くれない色にドレスアップしていた。


「水木様、二名様で伺っておりますが、お連れ様はホテルにおいででしょうか」

 給仕長、“Capoカーポ Cameriereカメリエーレ” がわざわざ迎えて、申し上げた。

「いいえ、私しか今はおりません。申し訳ございません。後程参ります」

 日本式にお辞儀をした。


「では、こちらでお待ちください。お席へご案内いたします」

 最高級の案内をAyaの身に感じさせる仕草であった。

「ありがとうございます」


 隅にある赤いクロスの席。

 窓に向かって斜め四五度にテーブルがあり、ローマの眺めは最高で、話に華を添えられそうだった。


 しかし、Kouは、直ぐには来なかった。

「どうしたのかしら」

 そわそわして来た。

「遅いわ。あの方らしくもない」

 スカートをぎゅっと掴んだ。

「お待たせいたしました。お連れ様がおいでです」


 Ayaは、くいっと振り向き、見上げた。

「や、やあ。綺麗だね、亜弥Ayaさん」

 Kouは、照れ屋だから、率直な感想を言い難かったが、口にした。

「Kou、一言目で謝らないのね。でも文句は言わない事にしますわ」

 嬉しい笑みを隠せなかった。


「何していらしたのですか……?」

 ちょっとキツい言い方であった。

「いや、色々と……」

 Kouは、困っていた。

「お仕事?」

 Ayaもそう言う訊き方では良くないのは分かっている筈であったが、やきもきしていた。

「それは……。いや、まあ、着替えていただけだよ」


「ま、まあ。その匂い立つ立ち姿も素敵ですけれども、お掛けになっては? 椅子を引いて貰っていますわよ」

 つんとしたら良いのか、でれでれとしたら良いのか、正直分からなかった。

 少しほてりを呈していた。

「ありがとう、自分で座りますから」

 そう、側に居た給仕長に声を掛けた。


「くっくっくっ。大丈夫ですわ。怒っておりません。いらしてくださって、感謝しかないわ」


「Kou?」

 心配した声であった。

「大丈夫。座るよ」

 安心させる様に話した。


 カタッ。


 それから間もなくして、料理とワインを頼んだ。


「ふふふ、ふふふ」

 Ayaは、嬉しさを隠さないで、久し振りの歓談をした。

「お元気そうで何よりだわ」

 又、ワインに口をつけた。

亜弥Ayaさんもね。良かったよ。貴女は、危ない橋を渡るから。いつも、いつもだよ」

 ノンガスの水を飲んだ。


「でね、ローマのコロッセオで、報酬の半分を前受けする所だったの」

 箸が転げても楽しい様である。

 普段では、不用意過ぎる内容であった。

「そうだろうね。しかし、昼日中に会うとはね。驚かない様にはしているけど」


「ああ、美味しかった。もう少し飲んでいたいな」

「私は、亜弥Ayaさんが飲み終わったら帰るよ」


 一六四センチあるAyaだが、一七八センチのKouを下からちろりと見上げた。

「いつ迄私は、待っていたら良いの?」


「少しも酔っていないのだろう? 亜弥Ayaさん。だったら、冗句は言わない事だよ」

 

「心酔していますわよ」

 Ayaは、しっとりとしていた。

 まとわりつく瞳が絡まって来た。

「何に?」

 Kouは、Ayaから視線を外した。

「……それは」

 もじもじしていたAyaは、バッグから取り出した。


 カチャリ。


「これ。……鍵です」

「……」

 Kouは、受け取らなかった。

「ここの……?」

 

「そうと言ったら?」

 強気のAyaの欠片もない。

「独りで泊まったらいい。私は、他にホテルがあるから」


 ガタリ。


 Kouが、席を立ち、素早く消えた。


「あ、待っ……」

 Ayaは、ユーロで支払おうとしたが、Kouが予め済ませていた。

「待って……!」


 カッカッカッカッ。


 紅色のハイヒールの音が焦りを匂わせた。

 

 Kouは、これ迄、Ayaに対して断る等なかった。

 Ayaに冷たくする様になったのは、訳があった。

 Kouだけが知っていた。

 AyaへのKouの秘匿があった。


 明かせない秘匿が……。

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