第5話 恋心の死

□第5話□

□恋心の死□


「“Gillesジレ……、untウントゥ……、Adeleアデーレ……” これは、直ぐに分かりました。ジレさんとアデーレさんと言うお二人の肖像画です」

 むくの目はきらきらしていた。


「はあ……。ご夫妻でしょうか。夫のジレさんの碧眼、妻のアデーレさんのあたたかく微笑む琥珀色の眼差し……」

 体をふるっとした。

 入り込んで、うっとりしていた。


 その時だった。


「むっくんのバラバラの目みたいね!」

 つんとした麻子の声が、地下室に響いた。


「朝比奈さん、前にもお話ししましたけど、カラーコンタクトではないのです。生まれつきです。先天性のものなので、どうにもなりません」

 左に傾げて、麻子をじっと見た。


 すると、シャギーの髪をかかっとかき上げて、矢継ぎ早に攻めた。

「逆らうの?」

「ナメられたものね!」

「目にコンプレックスとかあるんだ!」

「アーハハハハ!」

「亮から聞いたわ!」

「世にも珍しいヘテロクロミアだってね?」

「野暮ったい!」

「猫みたいじゃない?」

「って、ケモノ?」

「だっさ!」

「ヤバイわ!」

「気に入らない!」

「同じ空気を吸いたくないわ!」


 むくは、唖然とした。

 瞳孔がぐっと開き、少し肩が震えた。

 下唇をくっと噛み、そのまま、じっと下を向いた。

「どうして、そんな……」

 自分がここ迄言われる理由が、皆目見当がつかなかった。


「むくさん、無視してね……。朝比奈麻子は、調子に乗ると手に負えないから……」

 友達の椛が、そっと顔を寄せて囁いた。

「……。ありがとうございます。椛さん」

 むくは、俯いてしまった顔を上げた。


 暫し夫妻を見つめた後で、絵と話をした。

「少し肩を寄せて、ジレさんがそっとアデーレさんを抱く……」

 小さくため息をついた。

「素敵です……」

 尊敬の念を込めた。

「むくもこんな絵を描きたいです……!」


 にっこりと決意の笑みを浮かべた。

 そして、誓う様に胸に手を当てた。


「ねえ、むくさん? 一九五九ってあるよ。制作した年ではないの?」

 椛が指差した。


「椛さん、見つけてくださり、ありがとうございます。この、お二人は、二五歳位と推察できます。すると、一九三〇年代なかば生まれになりますか」

 一つの発見が又、一つを生み出し、楽しかった。

「むくさん、気に入ったのね」

 手を口に当てて、ふふっと気持ちを合わせた。


「はい。幸せを分けて貰えそうです」

 優しい顔で絵を観る事ができた。

 さっきささくれた胸が、なだらかになった。


 だが、その側で突拍子もない事が起きるとは思わなかった。 


「何だ……。麻子?」

 亮の左側に麻子がごろごろと猫の様に甘えて来た。

「えー。あたしも、抱かれたいなあ」


「こんな感じか?」

 神崎亮は、ぐいっと朝比奈麻子の肩を抱いた……!


「か、かんざ……」


 むくは、心が水風船をついて割れてしまったのに似た感覚になった。


 そして、何も聞こえない筈なのに、何かは聴こえてしまっていた。


 棒立ちのままであった。


「あ、あん……! 亮ったら」

 絡まる声。

「麻子……」

 絡まる声。

「優しくしてよ……? はうん」

 絡まる声。


「か、神崎……。部長……」


 むくは、顔面蒼白になった。


 細い腕は、がたがたとなり、ぐっと拳を握りしめた。


「描くなら、モデルになってやってもいいわよ? 神崎亮と朝比奈麻子を描きなさいよ、土方むく!」

 絡まる声。


 アーハハハハ!


「くっ。それは言えている」

 絡まる神崎亮。

「笑える! ヤッバ!」

 絡まる朝比奈麻子。

 

「こう言う事って……」

 むくの碧眼から、はらり。


「あるのですか……」

 むくの琥珀色の瞳から、ぽろり。

 

 一筋の冷たいものがそれぞれ流れた。


 むくの精一杯の抵抗であった。


 ひた隠しにしていた淡い恋心は……。


 恋心は死んだ。


「空蝉と同じです」

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