むくのアトリエ
いすみ 静江
―― 美術部から事件 ――
第1話 アトリエの地下室
――美術部から事件――
□第1話□
□アトリエの地下室□
「むくは、気配を感じます。
随分と冷え込む夏休みの夕なずみ、むくは、階下からの風をふっと受けて、白いドットのある水色のカチューシャに肩下迄の
むくの目は変わっており、ヘテロクロミアで、右がすうっとした碧い瞳、左があたたかい茶であった。
「むくは、
むくの所属する美術部部長、
「……はい。
むくの祖父は、
むくは、その名から親しみを込めて、ウルフおじいちゃまと呼んでいた。
「階段の少し奥です。扉があります。むくが開けます」
にじりにじりとアルビノかと思う程透ける様な肌の腕を伸ばした。
「お、おい。大丈夫か?」
むくの腕に亮の左手が不意に触れた。
むくは、はっと息を呑み、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「大丈夫です。むくならくぐれる高さです。むくは一五四センチです」
「亮兄さん、むくさんは、“
むくと同級生の
「それは、椛さんとパリへ旅行した時の話です。お恥ずかしい話です」
むくは、バレエは習っていたけれど、七月迄で教室はお休みした。
嫌な事もあり、疲れてしまったのだ。
だから、恥ずかしかった。
「亮兄さん、高三なのに扉に行かないの?」
椛が、せっついた。
「ならば、兄さんは、一七五センチあるから、扉が小さいかな……。フフフ。体も柔らかくない」
赤フレームが目元で光った。
「亮兄さん! 冗談言わないの。行くよ」
兄の背中を軽くとんっとした。
椛がボブヘアでなければ、少し長い髪の兄に良く似ていて間違われそうである。
「美術部の活動が、徳川学園の美術室でできていたら、こうはならなかったな……」
亮は、深くため息をついた。
「むくが持って来た虫食いの手紙ですか?」
どきどきして亮に伺った。
「それしかないな……。むく」
眼鏡を中指で直した。
***
――七日前であった。
「昨日、手紙を貰いました。徳川学園美術部の皆さんにと言う事です」
むくが、赤茶けた洋封筒にJ の封蝋があるものを美術部員に差し出した。
四人全員、放課後に、学園の美術室兼部室で、各々集まって、イーゼルの前の脚の長い椅子に、腰掛けた所だった。
「神崎部長、封を切りますか?」
むくは、ペーパーナイフを支度していた。
「むっくん、何それ?」
一つ上の
「汚くない?」
「怪しいし!」
「脅迫状か何か?」
「開けるの止せば?」
いつもの矢継ぎ早が出た。
「朝比奈副部長、慎んだ発言を望みます。むくさんが受け取った物を開けもしないで、脅迫状呼ばわりは良くないと思います」
椛が立派に切り返してやった。
「もみじん、いつも上から目線だよね。あたし、好かないな」
口を尖らせて、又、自分の髪を触って清潔感は余りなかった。
「はいはい、その辺にしておいて。全会一致で、封を切らずと。いいですか? 美術部員の皆さん」
亮がまとめたが、四人の意見は分かれていた。
「私は、開けた方がすっきりするかな、亮兄さん」
「ダメよ、亮。余計な事はうんざりする」
椛と麻子がじっくり睨み合った。
「あー、もう。どっちなんだよ、二人とも」
肩を落とす、議長の亮。
「むくは、皆さんに従います」
おっとりとして話した。
むくは、いつもこうだ。
「むくは、それでいいのか?」
議長は、身を乗り出した。
この場がまとまれば良かった。
「はい、大丈夫です」
右へちょいと傾げた。
「では、開封しない。この手紙の件はおしまい。各自、今日中にマルスの木炭仕上げて」
「分かったわ、亮!」
拝む様に手を組むのは、麻子の亮への信望の印だった。
「亮兄さん、仕方ないですね……」
「……」
むくは、学食で期日過ぎの食パンをいただいていたのを皆に配り、その後、自分のイーゼルに向かい、カルトンに木炭紙を留めた。
「マルスさん素敵にします。宜しくお願いします」
軽く傾げた。
***
――そして、アトリエ。
「あの手紙、あれはどうした? むく!」
興奮して、亮がむくの左腕を強く引っ張った。
「皆さんご存知の筈です」
引っ張られたまま揺すられたので、体ががくがくと振れた。
「麻子は、今どこにいる?」
「はい。麻子さんなら、美術室にいます」
亮の利き手ではない左手の握力は、想像よりも強かった。
「何故だ、手紙を読んだろう?」
「麻子さんは、あそこの石膏像 “
むくは、麻子の木炭デッサンの為にだけでも食パンを用意していた。
「そうだわ……。私、見たの。朝比奈副部長は、今日も食パンの耳をちぎり取っていたもの」
椛がさっと言葉を挟んだ。
「地下室に行くのは止めにして、麻子と合流しよう。そして、もう一度、あの手紙をむくに見せて貰おう」
亮は、ぶるっとした。
何かを懇願する漆黒の瞳に、むくは降参して二度頷いた。
「むくは、了解です。学園ではスマホが無理ですから、直接部室に行きましょう」
「亮兄さん、むくさん、私も同行しても構いませんか?」
「勿論、椛」
「椛さん。はい、分かりました」
三人は、アトリエを後にしようとしていた。
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