第3話 王子……?

 しかしリリーは、王宮に向かって駆け出そうとしたところで、急に足を止めました。


「どうしたの? リリー」

「……ヨハンの服どうしようかしら?」

「そうだな~。と言っても、今から仕立て屋に行ったとしても受付時間に間に合わないだろうしな」


 リリーとモゥは腕組をして、う~ん、と頭を悩ませています。


「モゥの服はヨハンには大きすぎて着れないだろうし」

「まあ俺様の服は6Cだからな。ヨハンには無理だ」

「ろ、6Cもあるの? ……私はてっきり8Cぐらいかと思ってたわ」


 あまりの大きさに、空いた口が塞がらない様子のリリーです。


「そんなにねえやい! って、“も”じゃねえだろ。予想のほうが大きいのになんで驚いてんだよ!」

「……それもそうね」


 二人はまた腕組をして悩んでいます。


「ねえ、6Cとか8Cってなんなの?」

「ん? あぁそれはね、服のサイズのことよ。Cって言うのは、Catの略で、6Cっていうのは、つまりは猫が六匹くらい入る大きさってこと」

「へ~、ってモゥはそんなに大きな服着てるんだ」


 サイズの大きさを聞いたヨハンは凄く驚いているようです。


「まあな! どうだヨハン、俺の服を着ていくか?」

「む、無理だよ。ぶかぶかすぎて着れないよ」


 ヨハンを半分からかって、モゥは悪戯そうに笑っています。


「そんなことより、ヨハンの服よ、服!」


 今度は三人で悩みます。う~んと唸り腕を組む二人を見て、ヨハンはあることに気付きました。


「今は二人とも着てないけど、着なきゃダメなの?」

「まあ選挙だしな。それなりにちゃんとした正装ってのが、俺たちケット・シーにもあるんだよ。まるで人間みたいだよな」


 モゥはヨハンにそう答えると、ネクタイを締めるマネをしておどけています。ケット・シーの世界にも正装があると知ったヨハンは、さらに緊張してきました。


 と、二人の様子を見ていたリリーは、改めてヨハンを見つめます。


「どうした? リリー」

「ちょっと黙ってて。う~ん……」


 ヨハンを上から下から、まじまじと見つめるリリーは一人で唸っています。


「リリー、恥ずかしいよ」


 じっとリリーに見つめられ、ヨハンは恥ずかしそうに身をよじって、その視線から逃れようとしています。


「改めてみたら、すごく綺麗な毛並みよね。……このままでいいんじゃないかしら?」

「なに!? そいつは……いいと思うけどよ、正装なしってか? 賭けだな」

「だって、ヨハンはまだコッチの世界を知ったばかりなんだし、まさか正装があるなんて思いもよらなかっただろうし……それに時間がないし。よし、そうしましょ!」


 リリーは手に持った推薦状の最後に言葉を書き足しました。


「はぁ~、ま、いっか。んじゃ早いとこ王宮に急ごうぜ!」


 そうしてリリーとモゥは、ヨハンを代々王様の住む王宮、ベルムーン城へと連れて行くことにしました。

 集会所があった巨木の広場から北へ森を抜けると、そこには広々とした道路が整備され、城下町らしい賑わいを見せている大きな街がありました。

 食べ物を売っているお店、洋服を売っているお店、はたまたなぜか武具を売っているお店など様々です。

 そして一本道をさらに進むと、見えてきました。ベルムーン城です。

 王宮独特のあの丸い屋根の部分は、猫の頭の形をしていて、ちゃんと目と口までガラス窓で作られていました。

 東西にある塔のようなものは、猫の手のようになっていて、さらには肉球まで再現されています。中庭はとても広く、色とりどりの花が咲き乱れ、風に運ばれ辺り一面に華やかな香りを漂わせていました。

 王様を決める選挙当日ということもあり、中庭は沢山の人だかりが出来ています。集まった彼らを尻目に、三人は王宮の中へと入っていきました。

 既に大広間には、各地域から推薦された、候補のケット・シーと推薦者たちが集まっていました。


「おぉ~、結構いるな~」


 モゥは、意外に人数が多いことに驚いています。


「私ちょっと受付に紙、出してくるわ!」


 リリーは鞄から、ピッ! と推薦状を取り出すと、受付へとその紙を持って走っていきました。

 ヨハンは改めて周りを見渡します。

 広間に集まった候補らしき人物には、青い鳥の羽が衣服の胸元に付けられていました。その人数を数えてみると、十二人いるようです。

 いずれの候補も、貴族のような家柄なのでしょうか、高貴な感じが見てとれます。

 しばらくすると、受付を終えたリリーが戻ってきました。


「候補者はあなたで最後だってヨハン、ギリギリ間に合ったみたいよ」

「……選挙なんだよね? それっていつやるの? いま? ……みんな集まってないみたいだけど」

「選挙を始める前に、面接みたいなのがあるわ。一人ずつ執事と面談することになってるの……ほら、もう受付順に呼ばれてるわ!」


 そう言ってリリーが指差した方を見てみると、受付番号一番の猫が部屋へ入って行くのが見えました。


「うぅ~……なんか緊張してきたよ」

「安心しなさい、私も付いていくから」

「ホント!? よかった~」


 リリーの言葉を聞いたヨハンは胸を撫で下ろし、大きく息を吐きました。よほど緊張しているようです。


「(扉の前までだけどね)……あら? ところでモゥはどこ行ったのかしら……」

「そう言えばいつの間に」


 二人は辺りを見渡しましたが、モゥの姿がどこにも見当たりません。

 すると突然――


「キャアァァーー!!」


 と、甲高い悲鳴にも似た、驚いたような声が鳴り響きました。


「っ!? ……なんだろ?」

「ヨハン、行ってみましょ!」


 二人は急いで声の聞こえた方へと走っていきました。そこはどうやら厨房のようです。入口の前で、メイドがオロオロとしていました。

 二人は中に入ってみると、なんとそこには、大きな調理台の上で満足そうな笑みを浮かべながら寝ている、どこかで見たことのあるような模様の大きな猫がいました。


『……モゥ!?』


 そうです、牛猫です! この牛猫は、今夜、候補者や推薦者らに振舞われるはずであったであろう料理を、すべて食べてしまったのです。この牛猫が……。

 リリーは無言のまま寝ているモゥに近付くと――


 スパーン!!


 と、いつ手にしたのか分からないハリセンで、モゥの頭を思いっきり叩きました。


「んがっ!? ……ん? よぉリリー、ヨハンも、もう終わったのか?」


 眠たそうな目を擦りながら、モゥは言いました。


「……もう終わったのか? じゃないでしょ~!! あんた、何ぜんぶ食べちゃってんのよ! 今夜のディナーよ、ディ・ナ・ー!」

「……あぁ、美味そうだったから、ついな」


 モゥは、きれいに平らげたお皿を見て、ケラケラと笑っています。


「モゥ、あんたは罰として、厨房でシェフの方たちのお手伝いしなさい!」


 リリーはモゥに対し、ビシッと指をさして言いました。


「なんでだよ~、しょうがないだろ? 腹減ってたんだから……」


 モゥはお皿を前足の上でクルクルと回しながら、ぶつぶつと文句を言っています。


「反論は許さないわよ!」


 モゥの物言いに対して、リリーの目がギラリと光ります。と同時に、ホールの方から――


「十三番のヨハンさ~ん、お入りくださーい」


 と、ヨハンを呼ぶ声が聞こえてきました。


「あっ! 僕の番だ」

「モゥ、ちゃんと手伝うのよ!」


 リリーはもう一度モゥに念を押します。


「分かったよ……」


 モゥは嫌そうな顔をしながらも、リリーには敵わないといった様子で渋々OKしました。


「ヨハン、行くわよ!」


 リリーはヨハンの手を引き面接が行われる場所、大広間の脇にある小部屋へと連れて行きました。


「ここよ、さぁ入って」


 ヨハンはマフラーを外すと大きく一度深呼吸をし、ノックを二度鳴らします。


「よ、ヨハンです! 失礼します」


 ヨハンは緊張しながらも部屋のドアを開けました。


 (……あっ)


 ヨハンは目の前にいる人物に少々驚きました。

 白くて長く、カールした立派なヒゲ。そして鼻にかけた丸眼鏡。


 (この執事さん、ちょっとおじいさんに似てるかも?)


 ヨハンは心の中で思いました。


「キミがヨハン君だね?」


 と、その執事は、先ほどリリーが提出した紙に目を通しながら言いました。


「はい!」

「出身地とご両親の名前が書かれていないが、これはどういうことかね?」


 ヨハンは執事の問いに、目を伏せながら答えました。


「ごめんなさい。僕、覚えてないんです……」

「覚えてない? ……そうか、それは困った。……まあいいんだけ……ん?」


 推薦状を見ていた執事はヨハンの方へ視線を戻すと、何かに気付いたかのように目を丸くしました。


「なんとな~くだが……似ている、ような気がする。王子の……」


 ぼそりと執事は呟くと、突然立ち上がりヨハンに近付いていきました。


(王子? 誰が? ……僕が!?)


「ちょっと失礼」


 そう言って執事は、ヨハンの側までくると匂いを嗅ぎ始めました。


「……こ、この匂いは! ……間違いない。赤子の時に、王妃様に抱かせていただいた時と同じ香りがする!」

「え! えっ!?」


 ヨハンは何がなにやら分かりません。


「あなた様はアレン王子ではありませんか?」

「ア、レン? ……違います、僕はヨハンで――」


 僕はヨハンです! そう断言しようとしたその時、執事はそれを遮って強く言いました。


「いいえ違いません! あなた様は、王妃様と突然、姿を消された我が国の王子、アレン様に違いない!」

「……て聞いてないし。……とにかく! 僕はヨハンなんです」

「いいえ違わないです。じぃの目は誤魔化されません。何故ならその容姿! ……山猫のように鋭く尖った耳に、前猫王様譲りの端正な顔立ち、王妃様譲りの真っ白な胸のカラーと尻尾の飾り毛。……そして何よりの極めつけは、この匂い。昔抱かせていただいた時に嗅いだ匂いと同じ匂いがします! ……間違いなくあなた様はアレン王子。お帰りなさいませ」


 そう言うと執事は深々と頭を下げました。


「うぅ~~……」


 どうすれば分かってもらえるんだろう、とヨハンは困惑しています。


「とにかく、王宮を見て回れば何か思い出すかもしれません! ……さぁ行きましょう王子」

「あ、あの執事さん」

「王子、わたくしの事は“じぃ”とお呼び下さい。……ああ、覚えていらっしゃらないのでしたね。申し遅れました、わたくし、ロビンと申します。さぁ行きましょう!」


 ロビンは戸惑うヨハンの手を取ると、勢いよく部屋を出て行きました。


「あっ、ヨハンもう終わったの? ……ってあれ? 行っちゃった……いったい何なのかしら」


 リリーはあまりの勢いに驚き、それ以上なにも言えませんでした。


「さあ着きましたよ王子。ここがあなた様がお生まれになった、王妃様のお部屋です」


 ロビンに案内されて入った部屋は、白を基調として、ピンクなど淡い色の家具でまとめられた美しいお部屋でした。

 ヨハンは王妃の間へと足を踏み入れた瞬間、脳裏になにかがよぎるのを感じました。


(……何だろう、なんだか懐かしい感じがする)


「ホントにここが僕が生まれた所なの?」

「そうですよ王子。王妃様も猫王様も、ご誕生なされた時には、それはもうお喜びになって」


 ロビンは遠い目をして、過去を思い出しているようです。


「さあ、他の場所へも行ってみましょう」


 それからというものロビンは、ヨハンを王宮のあちらこちらへと連れ回しました。

 ロビンに案内され、王妃が大切にしていたという、中庭とは反対にある小さなガーデンへと着いた時でした。


「この香り……なんか、なんとなくだけど覚えてる。……そうだ! 僕はよく母さんに抱かれてこの庭に来ていた! ……思い出したよロビンさん」

「“ロビンさん”だなんてよそよそしい……王子、じぃですよ! じぃ」

「うっ……。じ、じぃ?」


 少し恥ずかしそうにしながらも、ヨハンはロビンのことをじぃと呼んでみました。


「はい! ……そうですか、それはよかった。王妃様と共にいなくなられた時は、本当に心配いたしました。……もしかしたら、もう死んでしまわれたのかとも思いましたよ。しかし、ご立派になられたお姿を見て安心しました」

「人間のおじいさんとおばあさんに育ててもらったんだ! とても温かい人たちだよ」

「それはお礼をしなくてはなりませんね~」


 ロビンはニコニコしながら、うんうんと頷いています。


「ところでじぃ、母さんは……どこへ?」

「申し訳ありません王子……わたくしにも分からないんです。探させてはいるのですが、どうやらこちらの世界にはいないようです」

「そうなんだ……無事ならいいんだけど」


 ヨハンは寂しそうに言いました。


「そうですね、わたくしもそう思います」


 二人してしばらくの間、王妃のことを思いました。


「……っと、そうそう。王子がお戻りになられたという事は、今回の選挙は無しってことになりますな。……わたくしはその旨を皆に伝えて参りますので、王子は先ほどご案内した王の部屋へ行って装束に着替えてください」

「えっ、でも選挙で選ばれなきゃいけないんでしょ?」

「何をおっしゃいますか! 正統たる王位継承権を持つ王子が戻ってきたのですぞ……誰も否定はしません」

「う~ん……分かったよ。じぃが言うんなら」

「ではわたくしは急ぎますので、王子もお支度を……それでは」


 ロビンは丁寧に頭を下げると、急いで候補者と推薦者、そして投票権を持つ者たちの元へと走っていきました。


「僕も用意しなくちゃ。……えっと王の間は、たしか三階だったかな?」


 ヨハンは長い廊下を歩き、螺旋状の階段を登り、そして王の部屋のある三階の赤い絨毯の上を歩いています。

 廊下には、王と王妃、そして小さかった頃のヨハンの写真が額に入れられて飾られています。

 生まれた時の家族写真、三人で川に魚を捕まえに行ったこと、父に剣術を教えてもらったこと、母の腕の中で子守唄を聞きながら安らかに眠ったこと……目を閉じると、本当に色々なことが思い出されます。

 そうして遂に、ヨハンは王の部屋の前へと着きました。


「ここが代々の王の部屋……そして、つい最近まで父さんがいた部屋……」


 ヨハンはゆっくりとそのドアを開けました。

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