四肢鼓動

正しさを硝子の刃で斬り裂けるのならばこの世の正しさの愚かさを俺が正してやろう。

俺の正しさが愚かであるように、正しさというのは愚かさがウロボロスの様に互いに尾を喰い合って成立しているのだ。



硝子窓から見える景色は薄暗かった。

きっと客観的に見れば僕のいる部屋の方が間違える事なく薄暗い筈なのに、僕の心が写す窓からの外界の景色は正しく薄暗かった。

街灯の煌めき、豆粒ほどの人間、豆粒を輸送する車両。

人々が必死に生きる様。

薄暗く、汚れ、気持ちの悪い窓の外の景色。

僕は純白に塗装されたフレームのベッドに横たわっている。

目が醒めると外界との境目を消し去っている遮光カーテンは誰のせいか乱雑に開け放たれていて見苦しい世界を僕の視界に突き刺してきた。

動かぬ四肢では締めることもできずただ奥歯を強く噛み締める事しかできない。

唯一動く首で窓とは正反対の方向、扉があり、その先になにがあるかは僕には解らない、その扉の上にある時計を見ると午後4時30分ごろという事が解り、もう1時間もすれば彼がやってくる頃だということがわかった。

この乱雑に開け放たれたカーテンを締める事が出来るのは彼であるから四肢の動かない僕にやる事は無い。

僕は、もう一度、目を閉じて、深淵に身を落とす事にした。



俺にとっての正しさを遂行するためには彼女の正しさを斬り裂く必要があった。

彼女の正しさは愚かで斬り裂かれた。

斬り裂かれた正しさは尾すらも廃して、俺の正しさが喰いつくべき尾は消えてしまった。

喰いつく先の無い蛇の牙は一体何に喰いつくのだ。

俺は新たな愚かな正しさを捜し求めるのか。

それはとても非生産的なことのように思えた。



いかにも科学者という風貌の眼鏡を掛けた男が時計の下の扉からやってきたのはいつも通りである午後5時30分のことだった。

彼のその手にはガラス細工で造られたかと思われる美しい装飾が施されている注射器が握られていてゆっくりと一歩、一歩と僕に近づいてくる。

注射器のデザインは何種類かあるようで彼の気分で変わる。

そんなことを考えていると音も立てず目にも留まらぬ速さで僕の首筋にその美しい注射器が添えられた。

そして蜂鳥が花から蜜を吸う様にぶすりと僕の首に嘴が差し込まれるのだ。

僕の自由を奪うその薬品は僕の動かない四肢に大蛇が思い切り噛み付いた様な痛みを僕に与える。

痛みに顔を歪め、彼を睨め付ける。

しかし彼は表情を変えず開かれたカーテンに手をかけた。

「お前の愚かな正しさは誰の為にあるのだろうか、俺が貴様の全てを喰い殺したとき、俺は何を、どの尾を喰えばいいのだろう」

芝居かかった様な声色で彼は誰かに問いかける、きっと僕では無い。

そして彼はぴしゃりとカーテンを閉める。

部屋に暗闇がやって来てようやく僕は安堵した。

醜く薄暗い外界とこの部屋の繋がりは断たれ、いつもの様に男はゆっくり、一歩、一歩と地を踏みしめ戻っていく。

部屋に1人取り残された僕は痛みを四肢に宿して、眼を閉じた。

四肢は鼓動する。

また動き出すその時の為に。

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