第15話『蒼き電脳の海』
偽りの妖精は、あれだけ苦しんでいたにも関わらず、何事もなかったように無表情で語りだす。それも、まったく別人のような口ぶりで、
「恩を仇で返すとは。礼節を忘れたようだなアラン――いや、墓守人よ」
「恩? あんな茶番に付きやってやったんだ。逆だろ? 礼を言われる覚えはあるぞ」
「本来なら今頃、クロームセキュリティ社によって真相が暴かれていたぞ。お前がペリコム1であるという真実に」
「だからどうした。それが、ジェミナス02を名乗って良いということには、ならない。そもそも何故、彼女の名を語り、俺を騙すようなことをした。正々堂々と名乗ればいいじゃないか。それとも、名乗れない理由があるのか?」
「名乗ったところで、信頼は築けないと判断したまでだ。君が心を許す唯一無二の存在。ジェミナス02の名を借りれば、円滑に事が進めると判断した。そちらのほうが効率的であり時間を大幅に短縮できる。
それと、あれは騙したのではない。功労者である君に捧げた、ささやかなプレゼントだよ。幸せな結末というものを、見せてあげたかっただけのことだ」
「うさんくさいな。そもそもあんたの言う幸せは、俺自身が殺したんだ。ジェミナス02をこの手で葬ったあの日から、俺にはもう、幸せな結末は訪れない」
墓守人は言葉を詰まらせる。脳裏にジェミナス02を葬った、あの瞬間が過ぎったのだ。あれからどれだけ時が過ぎようとも、あれを忘れることはない。それどころか苦痛が色濃くなるばかりだった。
その痛みを胸に、墓守人は自身へ今一度戒めるように、重々しく言葉を紡いだ。
「俺にハッピーエンドは……訪れない。もうどんな選択肢を選んでも、バッドエンドしか残ってねぇんだ」
偽りの妖精は、もはや交渉は不可能と判断する。だが決断を保留し、再度説得を試みる。課せられたフローチャートを、なんとか遂げようとしたのだ。
「頑固な男だ。それほどまでに、彼女の死を引きずるか」
「死を引きずる……か。そうかもな。だがそれがせめてもの弔いであり、俺が背負った咎だ。これに関して、部外者に口を挟まれる筋合いはない。これは、俺とジェミナス02との問題だ」
「だがそれでも、夢見ていたはずだ。ジェミナス02との邂逅を。彼女からの赦しの言葉を」
「赦し……か。違う、と言えば嘘になる。しかしそれは、もう永遠に叶わぬ夢だ。どんなにそれを夢見ても、それが現実になることはない。そして犯した罪が消えることはないんだよ。
仲間との思い出も、本当の名も、すべて過去に埋葬して来た。
今ここにいる俺は、彼女の……いや、共に空を守った仲間たちを弔い。その霊廟を守る墓守人だ。濡れ衣と共に、仲間殺しの罪を背負った――ただ、それだけの存在なんだよ」
「非論理的であり、理解に苦しむ。身を引き裂くほど苦しいのだろ? 救われたいのだろ? そのような過去は棄てるべきと助言する。なぜなら、諦観のうちに壊死するからだ。なんの益もない、無意味な行いに他ならない」
「それはエゴだよ。都合が悪いから、自分の犯した過去から目を背け、無かった事にしてゴミ箱に棄てるなんて……できるわけがない」
「それが人というものだ。愚かにも人は忘れ、同じ過ちを繰り返す。他でもない、人類の歴史がそれを物語っているじゃないか。しかしそれは同時に、強さでもある。忘却するからこそ、人は萎縮せず、前に進めるのだ」
「そりゃ、どこの自己啓発本から引っ張ってきた言葉だ? その愚かなる人類の一人として、あえて言わせてもらおう。過去を背負う勇気の無いやつが、強いはずがない。それも、自分の罪から逃れるなんて……。それは単に、自分を誤魔化しているだけだ!」
偽りの妖精は決断を下した。墓守人は、すでに我々の言葉に耳を傾けない。もはや交渉は無意味である――と。
「良いだろう。そうやって自ら自分を蔑み、心を潰し、好きなだけ自己嫌悪に苛まれるといい。
墓守人は身構えながらも、妖精の言葉に疑問を持つ。一人称ではなく『我々』という単語を使用したことだ。彼は無駄と知りながらも、それに言及する。
「
「その質問は無意味だ。我々と一つになれば、その疑問は解消されるのだから……――」
「気持ち悪いんだよ。生憎、俺は独りが好きでね。正体も明かせない不審者と、仲良くランデブーするつもりはない!」
次第に空気の色が変わる。
白き世界が淀み、殺気じみたものへと移ろい逝く。虚無的な白が支配する世界で、戦いが始まろうとしていた。
墓守人は、妖精に抱擁される前に、わざと落としたハンドガンに向かって走り出す。そして飛び込み前転で回収すると、スライドを引き、作動に支障が無いかをチェックする。CZ941自動拳銃。頑丈かつ強固で名高い名銃は、落としたぐらいではビクともしなかった。
墓守人は銃口を幼女に向けつつ、こう叫んだ。
「彼女の名を穢した代償は、キッチリ支払ってもらうぞ!」
墓守人は引き金を引いた。ハンドガンは彼の信頼に応えるよう、正常に作動する。CZ941が火を吹き、真っ白な空間に銃声が轟く。
放たれた反旗の象徴――しかし効果はなかった。
偽りの妖精は回避することなく、迫り来る弾丸に向かって手をかざす。
弾丸は妖精を貫く寸前、まるで花火ように煌めく粒子と化したのだ。墓守人は諦めず、2発、3発、4発と叩き込む。しかし結果は同じだった。
妖精によって、着弾する寸前で無力化されたのだ。
「実に素晴らしい。だがしかし、愚者と勇者は常に隣り合わせ。それが世の常というものだ」
偽りの妖精は、かざしていた手を下げ、下僕を見下すような笑みを浮かべる。
彼女は無言で告げたのだ。この世のすべては、すべて自分の手の中にあるのだ、と。
予感はしていたが、墓守人は改めて表面化した現実に、息を呑む。
この戦いに意味はない。すでに、負け戦を確約された戦いなのだから。
墓守人は自分の行く末を察し、自虐的な言葉を呟く。
「威勢よく啖呵切ったものの、やっぱ勝ち目ないわな」
それでも彼は諦めなかった。走りながらハンドガンで応戦し、徹底抗戦の構えを見せる。弾丸は星屑となって消え失せ、無に帰すと分かっていながら攻撃の手を緩めなかった。
無論、どれだけ足掻こうが、この戦いに勝ち目はない。
それでも彼を突き動かすのは、誇りだ。
汚名に沈み、世界が墓守人と仲間たちを否定し、謂れのない罪の十字架を背負わされて尚、彼は世界に牙を剥けることはなかった。
なぜか?
自分を拒絶し、自分のすべてを否定する世界だったとしても、彼は今の未来――この世界のために戦い続けたのだ。
今あるこの世界を、個人的な感情で全面的に否定――もしくは破壊するようなことは、仲間と戦った日々や、彼らの想いそのものを否定することになる。
例えそれが、理想だった現実とかけ離れていても、だ。
今この瞬間は、死んだ仲間たちが歩めなかった今。
だからこそ墓守人は、かつて世界を守った
敗北すると分かっていながら。
勝てないことを承知の上で。
「死に損ないの最後の悪あがき! とことん付き合ってもらうぞ!」
墓守人はそう言いながら、空になった弾倉を排出し、リロードを行おうとする。
偽物の妖精は、そうはさせまいと再び手をかざし、言葉の矛盾を突く。
「付き合う? ランデブーはキライなのだろう?」
偽りの妖精は、墓守人の攻撃手段そのものを封じる。装填し終えたばかりのCZ941が、光るモザイクに包まれたのだ。ハンドガンは空間上に固定され、殺傷能力を無力化された。
「クッ?! ならば!」
墓守人は飛び道具を封じられ、仕方なく、ナイフで交戦しようとする。
「――無駄だ」
しかしそれすらも、偽りの妖精は取り上げる。まるで無垢な赤子から、玩具を無理やり奪うかのように。
ハンドガン同様ナイフも光るモザイク領域に侵食され、空間上で静止し、キラキラと輝くオブジェクトと化したのだ。
もはや墓守人に残された攻撃手段は、己の拳だけとなる。
すべての武器を奪われた墓守人。彼は偽りの妖精に対し、臆することなく余裕の笑みすら浮かべて、堂々と対峙した。
「少しは、フェアな戦いをしようとは思わないのか?」
「戦いの勝敗そのものに、意味はない。この空間において、君がいかに無力な存在なのかを自覚できれば、それでいいのだ。これで君にも分かっただろう。あらゆる抵抗のすべてが、無意味であるということが」
「どうかな? まだ俺にはこの、拳がある。見えるか? コイツだよコイツ。それともこの拳も、あのキラキラな空間に閉じ込めてみるか?」
思いもよらなかった言葉に、偽りの妖精は喫驚の声を上げてしまう。
「なに? まだ戦うというのか……愚かな。この空間におけるすべてのものは、我々の掌握下にあると言っただろう。現に手も足も出なかったではないか」
「それはどうかな。この空間上にある、すべてを操れるっていうのなら、俺のことだって例外なく操作できたはずだ。あのハンドガンやナイフのように。――でもそれをしなかった。いや、したくても、それが
偽りの妖精は反論せず、沈黙する。それこそが答えとなった。
墓守人は『やはりそうか』という口調で語る。
「目的は俺の心を折ること。力を示し、武器を奪い、抵抗できない状態まで追い込み、精神を衰弱させること。そうやって自分の強大さを語るのも、そのためだ。違うか?」
偽りの妖精は真意を見抜かれ、苛立った様子で答える。もちろん言葉や顔には出さない。ただ視線のみで『気分を害した』と訴えかけたのだ。
そして彼女達自身、ここまで手を焼くと思っておらず、少なからず動揺の色を見せる。
「なるほど、勘の良い男だ。どうやら、ただの愚者ではなかったようだな。これだから場数を踏んだ人間は嫌いなのだ」
「そう冷たいこと言うなよ~。予測不能な男はさ、ほら、楽しいだろ? スリルがあって」
「いいや不快だ。こうして面倒ばかり起こすのだからな」
妖精は翼を広げ、次なる手段を講じようとする。
「いいだろう。そこまで戦いたいというのなら、存分に戦おうではないか。 円滑に物事を進めたかったが、たまにはこういった余興も悪くない。 存分に足掻くがいい。 惨めに。 無様に。 お前の人生のようにな」
――しかしここで、ある異変が起こった。
白き世界にノイズが入り、空間の奥に隠されていた真相が、突如、露わになったのだ。
――電脳空間 黒の背景に光の線と無数の情報コードが行き交う光景は、まさに、そう呼ぶに相応しい様相だった。
あまりにも予期せぬ事態だったのだろう。今まで頑なに、その表情を崩さなかった偽りの妖精が、戸惑い、驚愕している。
「いったいなにが? プロテクトが解除されただと? 誰が……こんな真似をし、――――ッ?!」
偽りの妖精は、自分の姿を見て愕然とする。
彼女の体を侵食するかのように、ジワジワと、光るモザイクが侵し始めていたのだ。それだけではない。彼女の体全体にも、不可解なノイズが走っている。まるで、妖精の姿が保てなくなっているように。
この事態に付け込むかのように、空間上にドアが出現する。その真っ白なドアがバタンと開くと、中から眩い光量が差し込んだ。
それを見た墓守人は、ドアに向かって走り出す。もちろん白いドアが出口という確証も根拠もない。ただ彼の直感が、そう告げたのだ。
ドアに向かって走り出した墓守人。それを見た偽りの妖精は、逃すまいと攻撃を仕掛ける。
その幼き手から、光る針が放たれた。一本や二本ではない。暴力的なまでの、おびただしい量だ。射線上の地面が、ハリネズミのように針だらけになる。
彼女は攻撃しながらも、ドアという異物に狼狽する。
この世界のすべてを操作できる存在が、それをコントールできないばかりか、管理権限を一時的に剥奪されていたのだ。
「即席のバックドア? 誰がこんな姑息な真似を――」
墓守人は、針山に進路を塞がれる前に、ローリングで攻撃を回避する。そして勢いを殺すことなく、そのまま起き上がって走り出す。
ドアの向こう側――その光の中から、何者かが現われた。
眩い光で性別すら確認できなかったが、その人物は墓守人に向け、身を乗り出し、手を差し伸べる。
「早く手を!!」
それは初めて聞く女性の声だった。
墓守人がその手を掴もうとした刹那、彼を奇妙な浮遊感が襲う。エレベータが下降する際の、あの浮遊感だ。
そして彼の眼前にあったドアが、視界の上へと上がっていく。地に足をつけていたはずの墓守人は、なんと落下していたのだ。
電脳空間内にあった地面が砕け、地面という概念が消失していく。
奈落の底へ落下している――我が身に降り掛かった災難に気付いても、墓守人に為す術はない。
ただ、重力に身を委ねるしかないのだ。
偽りの妖精は、その光景を眺めながら告げる。
黒い世界へと堕ちて行く墓守人に、別れの言葉を、
――いや、新たなる門出に対する、祝福の言葉を。
「墓守人。こういった手段は取りたくなかったのだよ。だが、我々の手から離れるのなら、強制的にでも隷属させるのが得策だろう。ようこそ墓守人。共に、我々と未来を歩もうではないか」
『お前らは! いったい何者なんだ!』
墓守人は心の中で叫んだ。まるでそれを見透かしていたかのように、偽りの妖精――いや、彼女たちは自らをこう名乗る。
「我々か? 我々の名は
墓守人は、最後まで聞き届けることができなかった。
彼は音の届かぬ水の中へと没したのだ。
真っ黒な深淵の先に待っていたのは、恐ろしさを感じるほど蒼く、明瞭に輝く水面。
まるでチェレンコフ放射のような光に満たされた、無限に広がる海だった。
墓守人は落下の衝撃で意識を失い、水底へ引きずり込まれていく。意識が覚醒したときには、すでに手遅れだった。
水面は遥か彼方。
泳いで浮上するには、あまりに遠すぎた。
それでも墓守人は諦めない。遠き水面目指して、なんとか浮上しようと抗う。
しかし、水自体が彼から力を奪い取るかのように、泳ぐ力を奪っていく。それ以前に、肺に残されていた酸素が枯渇した。彼は酸欠によって朦朧とする意識の中で、ひたすら水面を目指す。
しかし目標は遥か彼方。遠すぎたのだ。
まるで墓守人の人生を象徴するかのように、思い通りにならず、どんなに泳いでも、それは届かぬものだった。
意識を失う刹那、様々な想いが去来する。
あの偽りの妖精は何者なのか。
手を差し伸べたあの少女は、敵か、それとも味方だったのか……――。
そして最後に浮かんだのは、自分の教え子であり友人であり、最後の最後まで連れ添った伴侶。ジェミナス02との思い出だ。
願わくは、もう一度、彼女に会いたい。そして救えなかったことに対し、心から謝りたい。だから――
『ジェ……ジェミナス02――』
最後の力を振り絞り、その名を心の中で呟く。
もう二度と届かぬ想いを、無駄と知りながら……。
そして水死体のように動かなくなると、そのまま水底へ引き釣りこまれていった。
――蒼き深淵へ堕ちて逝く墓守人。そんな彼の後を、一人の少女が追う。
電子の海を泳ぐ姿は、ドルフィン――いや、さながら人魚だ。彼女は水を掻き分け、沈みゆく墓守人へと潜行する。
偽りの妖精ではない。
体にフィットしたボディスーツに身を包み、エルフのように長く尖った耳を持つ、年端もいかない少女だった。
突如として現れた、摩訶不思議な少女。
そんな彼女が、墓守人に手を伸ばし、優しく抱き上げる。そして口づけで酸素を送り込むと、額と額を接し、彼に語りかけたのだ。
優しく。慈愛と労りに満ちた口調で、
『お願い、目を開けて。もう大丈夫。心配いらないから――』
「――――ハッ?!」
その言葉に導かれるように、墓守人は意識を覚醒させる。
彼は優しい言葉の余韻に浸ることなく、鬼気迫る表情で周囲を見渡す。
そこは紛れもなく、コフィンホーネットのコックピット。彼は何者かによって創生された悪夢から、現実へと帰還したのだった。
それでも未だ脳は混乱している。視界はボヤけ、思考停止に陥りそうになっていた。しかしパイロットの性だろう、無意識に高度を確認する。
幸い自動操縦でないにも関わらず、高度は十分すぎるほど確保されていた。地面とディープキスすることはまずない。
「まだ生きている。戻って……来れたのか? クソ、まだ意識がハッキリしない」
深呼吸で脳に酸素を送りつつ、顔を横に振る。そして荒ぶる意識を鮮明にさせ、メンタルをリセットした。
「やってくれたな。モニカとあの糞ガキめ。よくも人様の脳味噌ほじくり回しやがって」
そんな恨み言をまくし立てながら、戦況を確認するため、高感度センサーで外界を目にしようとする。
その時だ。背後――いや、機体の真上に、ただならぬ殺気を感じる。
機体越しでも感じるほどの、異様なる感覚を。
そして、センサーがそれを捉える。
美しく、神々しい結晶のボディを持つ敵――翡翠の侵略者だ。しかも手を伸ばせば届くほどの距離で、コフィンホーネットの頭上を飛行していたのだ。
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