クモグライ

 雲の下では長いこと、冷たい雨の日が続いています。鳥釣りはひどい風邪をひいて寝こんでいました。何日も雲に上がっていません。らせん階段をのぼる元気がないので、仕方ありません。

 長い雨がようやくやんで窓から日が射しこんでくるようになると、鳥釣りの気分もいくぶんよくなりました。水を飲みにベッドから出ると、テーブルの下に黒猫が丸くなっています。顔を近づけても、ひげをふるふるさせるだけで目を覚ましません。めずらしいことです。鳥釣りは猫を起こさないように忍び足で離れて、窓を開けました。お日さまのにおいのする温かい風が入りこんできます。鳥釣りは大きく伸びをして、お昼には何を食べようかと考えました。

 そこへ、一枚の紙がひらひらと飛んできて、鳥釣りの足元に落ちました。白い紙に大きな文字で「クモグライにご注意!」とだけ書かれてあります。

 鳥釣りはいそいで着替えて、らせん階段をのぼっていきました。


 しばらくぶりの雲の上はひどいありさまでした。

 雲のじゅうたんに、ぼこぼこ穴が開いているのです。うっかり歩くと片足が落ちそうになります。

「あーやられちまった」

 鳥釣りは天を仰ぎました。空のまぶしさに頭がくらっとしました。

 鳥釣りはらせん階段を下りて家に戻り、かばんにあれこれと詰め込み、つばの広い帽子をかぶって、また階段を上りました。病み上がりなので、息が切れてしまいます。やっと雲の上に着くと、鳥釣りは穴の前に座りこみ、持ってきた一番大きな針に釣り糸を通しました。穴のふちをぐるりと縫って、最後に糸を引っ張ると、穴がふさがります。よく見るとそこだけ雲が薄くて下が透けて見えるのですが、しばらくこのままにしておけば、元通りに雲が厚くなってくるのです。こうやって穴をひとつふさぐと、となりの穴に移動して、おなかがすくと家から持ち出したリンゴをかじって、空いている穴をつぎつぎ縫い合わせていきました。ずっとうつむいて首が疲れてしまったのでうーんと伸びをすると、向こうからマンボウが空を泳いでくるのが見えました。鳥釣りが手を振ると、マンボウはこちらにやって来ました。が、どうも動きがヨロヨロしています。

「たーすけてー」

 雲に上がったマンボウは、いかにも疲れたようでべたっと横たわりました。その体には、白い糸が巻き付いていて、ひれが動きにくくなっています。

「おまえもクモグライにやられたな」

 鳥釣りはマンボウにからまった糸を取ってやりました。糸は少しねばっとしていて指に引っ付きます。

「くもぉくらい……?」

「雲を食べる虫だよ。ここらの穴はクモグライに食われたあとさ。食べかすを糸にして吐くんだが、たまに糸が何本も固まって浮いてることがあるんだ。そこに突っ込んだんだろうな。ほら、全部取れた」

 からまっていた最後の一本をぐいと引っ張ると、糸の終わりの、結び玉に見えたものから細い羽がはえて、ぶうんと飛び去りました。

「あれがクモグライだよ」

 半透明の灰色をしたまん丸い虫が、逃げながら糸を出しています。空に一本の白い糸が引かれていきます。

「これからはあの糸を見かけたら、よけて通るんだぞ」

 マンボウは横になったまま「ふぁーい」と返事しました。


 マンボウが帰ると、鳥釣りはまた穴をふさぐのに集中しました。全部片付けるのには夕方までかかりました。くたくたの体でらせん階段を下りると、猫はまだ同じところで寝ていました。鳥釣りが古くなりかけたパンとリンゴの残りで食事している間、猫はちらりと片目を開けましたが、すぐまた両目をつむりました。猫につられたのか、鳥釣りも大きなあくびが出ました。ずいぶんと働きましたからね。鳥釣りは食べ終えると、猫の邪魔をしないよう、そっとベッドに行きました。しばらくして目を開けた黒猫は、ベッドから聞こえてくる寝息を聞いて、安心してもうひと眠りするのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る