あやかしと、雨に
七十三
第1話 出会い
天気雨のことを『狐の嫁入り』と言うが、ならば豪雨のことは何と呼ぶのが正しいのか。そんなことを
だとすれば自分は何度嫁に離縁されているのだろう。バツバツと音を立てて傘を打つ雨粒の音を恨めしく聞きながら、
今は昔馴染みの白狐のところを訪ねた帰りだが、あれも見送りの際に笑いを噛み殺しながら「やはり雨だね」などと
ようやく最寄のバス停に至ったときには、着物の
雲を睨みつけ、朔が口の中でぼそりと文句を言った、そのときのことだ。
ふと、背中に視線を感じた。
――振り返る。
軒下に設置された三人掛けの椅子、そこには先客がいた。
たどり着いたときには気づかなかったが、黒髪を肩口で切りそろえた学生服の少女が一人。年の頃は十六、七ほどか。学生鞄と、女物の赤い傘を携えている。妖力は感じ取れないあたり、どうやらただの人の子のようだ。
その彼女が、
あまりの凝視ぶりに、何か不自然なところがあったろうか、もしやどこか化け損ねていたか、と心臓を掴まれたような息苦しさに襲われる。しかし、触れて確かめてみれば、耳は確かに頭の横にあった。尾の重さも感じられない。手足も確認するが、人の姿としては十全だ。
では一体? 怪訝に思いながら見返すと、彼女は、はっ、と驚くように目を見開いた。
それから顔を背けて、小さな声で「ごめんなさい」と呟く。
「絵になるな、と思って。すみません」
頬は赤く、消え入りそうな声だった。
どうやら、正体を見破られたわけではないらしい。こっそりため息をつき、そして、微笑んで礼を言った。「いえ。ありがとうございます」
外見を褒められて嬉しいのは、人でも狐でも同じである。ついでに、「雨男なので雨はあまり好きではないのですが、絵になると言って頂けるなら嬉しい限りです」などとおどけてみせると、彼女はそっと顔を上げた。――上目遣いの柔らかい表情に、腹の底の何かが動くような、妙な感覚がした。
緊張がほぐれたのか、少女の肩の力が抜ける。小首を傾げて、今度はくすくすと声を上げて笑った。
「とても整った容姿で、それだけで素敵でいらっしゃるのに、着物に和傘なんて、最近ではなかなか見ない格好をされているから。思わず見とれてしまいました」
「変、かな」
「いいえ。お似合いです」
軽く袖を振って眉を
それから少女は、いくつかのことを朔に話した。近くの学校の生徒であること、いつもバスで登下校をしていること、先日の試験の成績が
朔は、古い友人のもとを訪ねてきたという話だけをした。
――やがて、一台のバスが姿を見せる。
書かれた方面からするに、朔のねぐらへと向かうものであるようだった。
「ああ、来た。それでは」
「あの」
立ち上がりかけた朔の、別れの挨拶を遮るようにして、彼女が声を上げた。
「また、会えますか」
しかしながら、どうだろう。白狐のもとを訪ねるのは毎度気まぐれで、数日後に訪れることもあれば、それきり数年会わないことも珍しくない。となれば次にこのバス停を訪れるのはいつになることか――
しかし。
「そうだね。――また、ここで」
人の子と約束など、何を馬鹿なことをしているのだ、おれは。一瞬の
「嬉しい、です」
――まあ、いいか。
やがてバスは軒先までたどり着いて停まり、音を立てて扉を開く。
少女は椅子を立ち、扉口まで見送りにやってくると、名残惜しそうに彼を見た。
「お気をつけて」
「君もね。雨に濡れて、風邪をひかないように」
上り口に足をかけ、乗り込もうとして、しかし。
そこでもう一度だけ振り返る。肝心なことを聞き忘れていた。
「そうだ、君、名前は」
再会するにも名を知らないのでは、不便だ。
すると彼女は、にっこり笑った。
――天から落ちる小粒の雨は、未ださらさらとやむことがない。しかし薄くなった雲間から、細く光の帯が差し込んでいる。
それを背に負いながら、彼女は自分の名を告げた。
「
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